ASM-135_ASAT
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ASM-135 ASAT

種類対衛星ミサイル
運用史
配備期間配備に至らず
開発史
製造業者LTVエアロスペース
製造期間1984年
諸元
重量1,180kg
全長5.48m
直径50.8cm

弾頭運動エネルギー弾頭

最大高度563km
誘導方式赤外線誘導シーカー
発射
プラットフォームF-15
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ASM-135 ASATとは、アメリカ合衆国で作られた、航空機から発射する多段式対衛星ミサイルである。この兵器はリング・テムコ・ボートのLTVエアロスペース部門が開発した。ASM-135はアメリカ空軍F-15戦闘機が専用装備したが、実戦配備には至っていない。
開発

1950年代後期に入ると、アメリカ合衆国では対衛星兵器の開発が始められた。アメリカ合衆国最初の対衛星兵器はボールド・オライオンWS-199Bであった。ASM-135と同じようにボールド・オライオンは空中発射式だったが、このミサイルの場合、発射母体はB-47ストラトジェットを使用した。1959年8月19日、ボールド・オライオンはエクスプローラー6号衛星に対して試験を行った[1]。二段式のボールド・オライオンはエクスプローラー6号から6.4km離れた地点を通過した。このような距離では、比較的大威力の核弾頭によってのみ目標が破壊できるかもしれなかった[2]

1960年代初め、アメリカ国防総省はスペース・インターセプトと呼ばれる計画(SPIN)を開始した[1]。1962年、アメリカ海軍では衛星迎撃計画の一環としてNOTS-EV-2ケイレブロケットを発射した。この狙いは対衛星兵器の開発だった[3][4]

アメリカ合衆国は地上からダイレクトに目標へ向けて上昇していく対衛星兵器を開発した。アメリカ陸軍のLIM-49 ナイキ・ゼウスミサイルは核弾頭を装備し、1963年5月には軌道衛星を破壊した[5]。MUDFLAP計画、後にはプロジェクト505と呼ばれるシステムから出現したミサイルは、1964年から1967年まで発射可能状態にあった[5]。核弾頭を装備したPGM-17ソー対衛星システムは、アメリカ空軍がプログラム437により開発したもので、最終的には1967年にプロジェクト505のナイキ・ゼウスミサイルに代えられた。プログラム437のソー・ミサイルシステムは限定的な配備により1975年まで用いられた[6]

核弾頭装備の対衛星兵器が持つ欠点の一つは、アメリカの偵察衛星も損傷させる可能性があることだった。結果として、アメリカ合衆国の対衛星兵器を開発しようとする努力は、核の使用を必要としないシステムの開発へと向け直された[5]

ソビエト連邦は共軌道対衛星システムの操作上のデモンストレーションを行った。この後の1978年、ジミー・カーター米大統領はアメリカ空軍に対し、新しい対衛星システムを開発・配備するよう指示した[7]

1978年、アメリカ空軍は新しい計画を開始した。この計画は当初、試作小型空中発射部品(PMALS)と呼称された。また空軍システム軍団の宇宙部局はシステム計画局を設立した[7]。アメリカ空軍は空中発射小型機の提案依頼書を出した。必要とされる条件は、低軌道の衛星に対して使用可能な空中発射式ミサイルだった。

1979年、アメリカ空軍はLTVエアロスペースとALMVの研究を開始する旨の契約を結んだ。LTVエアロスペースの設計は、多段式のミサイルに赤外線誘導される運動エネルギー弾頭を装備したことが特色だった[8]
設計衛星へ向かうMHVの図。側面から軌道修正のためのパルスロケットを噴射している

ASM-135は全長5.43m、直径56cm、2段式のミサイルである。高度20kmでF-15戦闘機から射出され、弾道飛行では衛星の半分ほどの速度を出し、高度1,000kmに到達できる。静止軌道ないし高軌道の衛星の迎撃はできない[9]。ASM-135は超音速でズーム上昇するF-15Aから発射されるよう設計された。F-15の作戦コンピューターおよびヘッドアップディスプレイは操縦士に操縦方向を指示するよう変更された[8]。実際の発射は亜音速でなされた。[要出典]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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