ARPANET
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1977年3月時点のARPANETの論理マップ

ARPANET(アーパネット、Advanced Research Projects Agency NETwork、高等研究計画局ネットワーク)は、世界で初めて運用されたパケット通信コンピュータネットワークであり、インターネットの起源でもある。アメリカ国防総省高等研究計画局(略称ARPA、後にDARPA)が資金を提供し、いくつかの大学と研究機関でプロジェクトが行われた。ARPANETのパケット交換はイギリスの科学者ドナルド・デービス[1]リンカーン研究所ローレンス・ロバーツ[2]の設計に基づいていた。
歴史

パケット交換は今日データ通信の基盤として世界中で使われているが、ARPANETの構想が持ち上がった当時は新しい概念だった。パケット交換が登場する以前、音声通信やデータ通信は回線交換が基本であり、電話の回線網のように電話をかけるたびに通信局から通信局まで専用の電気的接続がなされていた。この場合の通信局は電話やコンピュータである。この(一時的な)専用回線は多数の中継局間の回線から構成されており、発信局から受信局までを結ぶようになっている。パケット交換では、データシステムは単一の通信リンクを使って複数のマシンと通信する。データはデータグラムに分割され、パケットとしてそのネットワークのリンク上を転送される。パケットは小さいので、リンクはすぐに空き状態となり、別のパケットを転送可能となる。そのため、郵便ポストが様々な宛先の手紙を出すのに使えるようにリンクを共有できるだけでなく、各パケットはそれぞれ独自の経路で転送される[3]
概念の提唱

ARPANETに直接影響を及ぼしたコンピュータネットワークの概念の提唱を行ったのはBBNテクノロジーズJ・C・R・リックライダーによるタイムシェアリングシステムによるネットワークである。リックライダーの1960年の論文、「人間とコンピュータの共生」[4]の中で早くもリソースを共有するためのタイムシェアリングシステムのネットワークの可能性について言及している箇所が見られる。又リックライダーがARPAのIPTO[5]部長に就任した後の1963年にIPTOの助成機関宛に送ったメモランダム「銀河間コンピュータネットワークメモランダム」[6]の中ではIPTOの将来的な目標として相互の研究内容の情報を共有するためにコンピュータネットワークを構築することの提案を行っている。これには現在のインターネットを構成するほとんど全てのアイデアが含まれていた。リックライダーは計画が実施される前にARPAを去ったが、その構想はアイバン・サザランドロバート・テイラーといったIPTOに入社した彼の後継者達によって受け継がれる事になった[7]
ネットワークの実験

サザランドとテイラーはそのようなコンピュータネットワークを構築することに関心を持ち続け、ARPAが資金提供しているアメリカ各地の様々な企業や大学の研究者たちがARPAの資金で開発されたコンピュータ群にアクセスできるようにし、ソフトウェアなどの計算機科学の成果を素早く広めたいと考えていた[8]。テイラーのオフィスには3つのコンピュータ端末があり、それぞれ別々の(ARPAが資金提供した)コンピュータに接続されていた。1つはサンタモニカの System Development Corporation (SDC) にあるAN/FSQ-32[9]、2つめはカリフォルニア大学バークレー校Project GENIE、3つめはMITMulticsである。これについてテイラーは後に次のように回想している。

「この3台の端末はそれぞれユーザーコマンド群が異なっていた。だから私が S.D.C. の誰かとオンラインで話をしていて、バークレーあるいはMITの誰かと話したいとき、S.D.C. との端末から離れて、別の端末にログインして連絡する必要があった。(中略)何をするのかは明らかだが、私はそんなことをしたくない。インタラクティブ・コンピューティングが可能なら、1つの端末でどこにでも接続できるべきだ。このアイデアが ARPANET だ」[10]

1964年にリックライダーがIPTOの部長を退いた後、彼の役職を継いだサザランドはリックライダーが提唱したコンピュータネットワークの実験を行ってみる事にした。1965年にUCLAの2つのコンピュータをネットワークで接続してみる事になったが、この実験は通信方式に問題があったために失敗した。
ARPANETの開発

1966年にサザランドの次にIPTO部長に就任したテイラーは更に一歩進めて本格的なコンピューターネットワークを構築しようと試み、ARPA本体から予算を取り付けた。ただしテイラーはリックライダーと同じ音響心理学者でコンピュータ工学のエンジニアではなかった。このためネットワークを実際に構築できる技術者を必要としていた。こうしてマサチューセッツ工科大学リンカーン研究所から半ば脅される形でIPTOにリクルートされてきたのがローレンス・ロバーツである。ロバーツは1967年にこれまでリックライダーやサザランド、タイラーが概念として述べてきた事を「指示書」のような形でまとめた。これがMultiple Computer Network and Intercomputer Communication[11]である。この「指示書」の中ではARPANETの基本的な「仕様」が以下のように示されている。
負荷共有

メッセージサービス

情報の共有

プログラム共有

遠隔ログイン

タイムシェアリングシステム本体にコミュニケーションの管理を行わせる事に対してはコンピュータの管理者から否定的な意見が出されていた。このためロバーツはリンカーン研究所のウェズリー・クラーク(英語版)の助言を受け入れタイムシェアリングシステムにコミュニケーションの管理を専門に行わせる小さいコンピュータを接続させることにした。この結果開発されたのが、現在のルーターの前身ともいえるInterface Message Processor(IMP)である。

1968年中ごろまでにテイラーはコンピュータネットワークの計画を完成させ、ARPAの承認を得た。そして、契約者となる可能性のある140の組織などに見積依頼を送った。多くのコンピュータ企業はARPAとテイラーの提案を絵空事だとみなして考慮せず、送り返されてきたネットワーク構築の見積もりは12だけだった。ARPAはそこから4社を契約候補に選んだ。同年末には2社に絞り込み、最終的に1969年4月7日、BBNテクノロジーズとネットワーク構築の請負契約を結んだ。BBNでは当初7人のチームを結成しフランク・ハートが指揮した。ARPAの見積依頼は技術的にも詳細で、チームはすぐさまネットワーク接続用のコンピュータを構築できた。BBNの提案したネットワークはARPAの計画に沿ったもので、IMPという小型コンピュータでネットワークを形成してIMPをゲートウェイ(今日のルーター)として機能させ、ローカルなリソースと相互接続するというものだった。各サイトではIMPがストアアンドフォワード型のパケット交換機として機能し、IMP同士はモデムを介して専用線(当初50kbit/s)で相互接続した。ホストコンピュータとIMPは独自のシリアル通信インタフェースで接続された。このシステムのハードウェアとパケット交換ソフトウェアは、9カ月で設計・構築された[12]

第一世代のIMPはBBNがハネウェルのDDP-516というコンピュータをベースとして構築した。主記憶(磁気コアメモリ)は24キロバイト(拡張可能)で、16チャネルの Direct Multiplex Control (DMC) というDMAユニットを備えていた[13]。DMCはホストコンピュータやモデムとのインタフェースに使われた。フロントパネルのランプ群に加えて、DDP-516にはIMPの通信チャネルの状態を示す24個の表示ランプがある。IMPは最大4台のホストコンピュータを接続でき、最大6台のIMPと専用線で相互接続できる。パケット転送の機構はストアアンドフォワード型として設計された。また、各ルータは2秒毎に経路情報を送信し、最小のトランジットタイムを持つ経路を評価すると共に、0.5秒毎に経路表を各送信先までのトランジットタイムを最小にするように更新する、動的なルーティング・アルゴリズムも実装された[14]。このアルゴリズムは以前にポール・バランが考案していたものであった。

ほぼ同じころ、他の人々も(それぞれ独自に)「パケット交換」について研究を行っており、まず1968年8月5日にイギリス国立物理学研究所 (NPL) が公開デモンストレーションを行った[15]
設計目的についての議論

ARPANETは核攻撃にも耐えるよう設計されたネットワークだ、という言い伝えが広まっているが、インターネット協会は否定している。その方式が1960年代前半にアメリカ空軍シンクタンクであるランド研究所ポール・バランによって提唱された核攻撃下でも生き残れるコミュニケーション方式であるという点を持ち上げて冷戦構造全体の中で技術としての「インターネット」を議論するべきなのか、それともロバーツの言うとおりパケット通信はバランの研究とは全く関係の無いイギリス国立物理学研究所ドナルド・デービスの研究成果を反映したもので「インターネット」の誕生は新しいコミュニケーションツールとしての側面から評価してよいという議論までかなりの幅が見られる。インターネット協会は A Brief History of the Internet の中でARPANETを生み出した技術的アイデアの融合について次のように記している。


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