AR-10
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AR-10着剣状態のAR-10(アーティラリエ・インリッチンゲン社製のポルトガルモデル)
AR-10
種類軍用小銃
製造国 アメリカ合衆国
オランダ
設計・製造設計:ユージン・ストーナー
製造:アーマライト
アーティラリエ・インリッチンゲン
年代1950年代
仕様
種別バトルライフル
口径7.62mm
銃身長528mm
ライフリング右転
使用弾薬7.62x51mm NATO弾
装弾数20発(箱形弾倉
作動方式作動:リュングマン方式
閉鎖:ロータリーボルト式
(マイクロロッキングラグ型)

全長1,050mm
重量3,200-4,050g
発射速度700発/分
銃口初速820m/秒
有効射程630m
歴史 
製造期間1960年?1976年 (ポルトガルモデル)
1958年?1985年 (スーダンモデル)
関連戦争・紛争アンゴラ独立戦争など
製造数約10,000丁
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AR-10は、ガスオペレーション方式、口径7.62mmの自動小銃である。
概要 National Firearms Museum[:en]に展示されたAR-10(ハリウッドモデル)

ユージン・ストーナーによって開発されたこのAR-10は後にアメリカ軍の制式採用小銃となるM16(AR-10がその始祖である)同様発射ガスの一部を銃身から導入してボルトを作動させる方式を採用しており、直線的な銃床アルミ合金製のレシーバーさらには強化型グラスファイバーのハンドガードなどを備えている。AR-10は合計でわずか10,000丁ほどしか生産されなかった。

同年代の他の自動小銃と比べ、AR-10の外見は先進的で他にない物だった。1956年にAR-10が発表された当時、この銃は他のあらゆる当時の歩兵装備よりも1kg近く軽量であった。フルオートマチックによる連続発射も非常に行いやすく、セミオートマチックでは精度が高く、当時のどんな個人用火器よりも扱いやすいといっても過言ではない画期的な銃器であった。
デザイン 分解状態のAR-10(ポルトガルモデル)

AR-10の基本構造は当時フェアチャイルドエアクラフトの一部門であったアーマライトの銃工、ユージン・ストーナーによって開発された。AR-10の画期的な特徴は後のM16に踏襲されることになる。

AR-10はほぼ独自の設計ではあるが、一部には当時すでに実績のあった銃器のシステムが取り入れられた。FNハースタルFAL自動小銃と同様にレシーバーがヒンジで固定されており、アッパーレシーバーとロワーレシーバーがヒンジを介して開くようになっており、メンテナンスがし易くなっている。また、ボルトのロックメカニズムはM1941ジョンソンライフルのものに似ていた。ドイツFG42に似せて銃床を直線的に作ったことで、肩付けした状態でフルオート射撃した際のマズルジャンプも抑えることができた。フェアチャイルドは現在ではA-10を製造した航空機メーカーとして知られているが、航空機メーカーではプラスチックアルミニウムチタン合金の使用は非常にありふれたものであった。一方で銃器メーカーではそれらの素材はほとんど当時は使用されていなかった。

AR-10のボルトの閉鎖機構、ガス圧利用の作動方式は当時としては非常に斬新なロータリーボルトとマイクロ・ロッキング・ラグ閉鎖と、発射ガスがボルトに直接導かれるガス圧作動方式を採用していた。

銃身とほぼ直線的に配置された銃床のために上述の通り、射撃時に安定しているが、頬付けした際に目線が銃身よりも数センチ上に来る。そのため、装弾レバーを覆う形で取り付けられたキャリングハンドルにリアサイトが取り付けられた。

レシーバーは軽量化のためにアルミ合金削りだしで作られている。ボルトはレシーバーにではなく、レシーバー内部に延長された銃身後端と噛み合ってロックされる。レシーバーがボルト閉鎖に耐える強度を持つ必要が無いため、レシーバーの軽量化に一役買っている。初期のプロトタイプには当時のアーマライト社長、ジョージ・サリバンの強い指示によりアルミ製銃身やアルミ/スチール合金の銃身が取り付けられたが、後の製品では全てスチール銃身が取り付けられている。ストック、ハンドガード、ピストルグリップはプラスチックとグラスファイバーの混合素材で製造される。
歴史

アーマライトフェアチャイルド銃器用の新しい素材や機構などを開発する1部門として1954年に誕生した。後に非常に有能な銃工として知られるユージン・ストーナーがアーマライトに加わった。当時アメリカ軍では陳腐化・老朽化が進んでいたM1ガーランドライフルの後継となる銃の選定作業を行っていた。スプリングフィールド造兵廠のT44E4とT44E5は7.62mm弾を使用するM1ガーランドの改良版であり、また、FNハースタルからはFN FALT48としてトライアルに提出された。アーマライトは遅れてトライアルに参加し、2丁のAR-10を1956年秋に合衆国陸軍スプリングフィールド国営造兵廠に提出した。工廠におけるテストでテスト要員から良好な反応をAR-10は受け、テスト銃のなかで最良との評価も受けた。

しかし、上述の通りユージン・ストーナーの再三にわたる反対にもかかわらず、社長の指示によりアルミ合金のバレルを使用していたため、トライアル耐久度を測るために酷使されたAR-10のバレルは途中で裂けてしまい、採用は見送られT44がM14として1957年に制式採用された。

1957年、フェアチャイルドアーマライトはAR-10の製造権をオランダの銃器メーカーアーティラリエ・インリッチンゲン(Artillerie Inrichtingen)社に販売譲渡した。銃専門家はAR-10の系譜を射撃銃、カービン銃、試験銃のほかベルト給弾式分隊支援火器など4つに分類する。ハリウッドモデル(初期にフェアチャイルドアーマライトで製造されたタイプ)、スーダンモデル、過渡期モデルそしてポルトガルモデルの4つである。

オランダのAI社はスーダンモデルを先駆けに多くのAR-10を製造した。スーダンモデルのAR-10は銃身にフルートが切ってある他、調整式のガスレギュレーターを備えており、重さが3.29kgと非常に軽量である。しかしAR-10の製造はグアテマラ、ビルマ(ミャンマー)、イタリアキューバ、スーダンそしてポルトガルでのみ行われ、その数は限られたものであった。スーダンではゲリラ部隊や隣国との戦闘においてAR-10が使用され、鹵獲されたAR-10はアフリカ諸国で非制式ライフルとして採用された他、ゲリラ部隊やさらにはフランスの植民地でも使用された。AR-10は1985年までスーダンの特殊部隊において使用された。

1958年には7.62x39mm弾を使用するAR-10が試験的に極少数フィンランドドイツで製造され、性能試験が行われた。イタリア海軍は海軍潜水部隊がAR-10を採用した。上述のドイツとフィンランドの他、オーストリア、オランダそして南アフリカ共和国もAR-10を少数購入して性能評価を行った。

さらに1958年には100丁のAR-10がキューバのフルヘンシオ・バティスタ政権によって購入された。当時キューバで武装闘争を行っていたフィデル・カストロの部隊によってキューバに納入されたAR-10が鹵獲され、後にフィデル、その弟ラウルチェ・ゲバラによってAR-10の発射試験がハバナ郊外で行われその破壊力に驚いたという。フィデル・カストロは後に鹵獲したAR-10の内のいくつかをドミニカ共和国の共産革命家に流していた。そして当地では実際に政府軍との銃撃戦で射殺された共産ゲリラの遺体からキューバから持ち込まれたと見られる鹵獲兵器が発見されている。

オランダのAI社のAR-10の最終モデルがポルトガルモデルと呼ばれるタイプである。


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