ANTHEM_(バンド)
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ANTHEM
出身地
日本 東京都
ジャンルヘヴィメタル[1][2][3]
パワーメタル[1][2]
活動期間1981年 - 1992年
2001年 -
レーベル キングレコード
1985年 - 1992年
Restless Records
1986年 - 1987年
ビクターエンタテインメント
2001年 - 2011年
ユニバーサルミュージック
2012年 - 2017年
ワードレコーズ
2018年 -
ニュークリア・ブラスト
2019年 -
公式サイト ⇒ANTHEM

メンバー柴田直人ベース
森川之雄ボーカル
清水昭男ギター
田丸勇(ドラムス

旧メンバー坂本英三 (ボーカル)
福田洋也 (ギター)
大内貴雅 (ドラムス)
中間英明 (ギター)
前田敏仁 (ボーカル)
小柳彰史 (ギター)
本間大嗣ドラムス

ANTHEM(アンセム)は、1980年代初期から活動している日本ヘヴィメタルバンド[2]

1985年にデビュー。1992年に解散。2001年に再結成。
メンバー

再結成前は、リーダー兼メインソングライターである柴田とドラムの大内以外、メンバーチェンジの激しいバンドであった。再結成後は、1990年代後半に柴田と共にLOUDNESSのドラマーとして活動していた本間を加えた過去にないラインナップで、10年以上メンバーチェンジもなく安定した活動を続けた。2004年以降、本間が膝を悪化させてからは何度か休業と復帰を繰り返していたものの、2013年4月に脱退した。本間が休業中の間のサポートドラマーの中には、再結成以前のドラマーであった大内もいた。再結成以降のボーカルを担ってきた坂本は、2014年2月にそれぞれの音楽性を悔いなく追求するために脱退、後任者として1988年から1992年の解散まで在籍していた森川が再加入、同時にサポートメンバーの田丸の正式加入が発表された。
現在のメンバー

第10期(2014年 - )

森川之雄:ボーカル

清水昭男:ギター、作曲

柴田直人:ベース、作詞、作曲

田丸勇:ドラム

過去のメンバー

期時期ボーカルギターベースドラムス備考
第1期1982年 - 1983年前田“トニー”敏仁小柳彰史
柴田直人大内“MAD”貴雅
第2期1984年福田洋也
第3期1985年 - 1987年坂本英三
第4期1988年 - 1990年森川之雄
第5期1990年中間英明
第6期1991年 - 1992年清水昭男
第7期2000年グラハム・ボネット
第8期2001年 - 2013年坂本英三本間大嗣本間は2012年に膝が悪化したため一時離脱。2013年4月27日に脱退を表明した。
第9期2013年 - 2014年田丸勇(サポート)
第10期2014年 - 現在森川之雄田丸勇

サポート、ゲストメンバー

三国義貴キーボード(1988年)

ドン・エイリー:キーボード(1990年、1992年)

高濱祐輔:キーボード(2011年 - )

長田昌之:ドラム(2005年)

田丸勇:ドラム(2008年、2012年 - 2014年)

時系列
来歴
結成からデビューまで

元ブラック・ホールのベーシスト、柴田直人を中心に1981年に結成された。結成当時のメンバーは柴田、前田“トニー”敏仁(Vo)、元十二単の小柳彰史(G)、当時18歳の大内“MAD”貴雅(Dr)の4人。結成当時のステージネームは柴田“マグナム”直人、前田“アンヴィル”敏仁、小柳“レイヴン”彰史、大内“ヴェノム”貴雅であり、主に渋谷のライブハウス「屋根裏」等で活動していた。

その後「もっと強力なギタリストが欲しい」と考えたバンドは小柳を解雇。

1983年、元アンサーの福田洋也(G)を迎える。同年、“関西ヘヴィ・メタル殴りこみギグ”に参加。このライブがきっかけで44MAGNUMMARINOサポートを務めた。

1984年にはオムニバス・アルバム『HEAVY METAL FORCE』にSABBRABELLS、ヴェイルらと参加。バンドは「Warning Action!」を提供(現在この音源は「OFFICIAL BOOTLEG」に収録されている)。レコード・デビューの話が舞い込みEARTHSHAKERの石原慎一郎をアドバイザーに迎え、デビューに向けてデモテープを作成し始めたが(こちらも「OFFICIAL BOOTLEG」に収録されている)、ヴォーカルの前田がツアーの疲労と音楽性の食い違いにより脱退。前田は2年後、藤本泰司のバンド、DANCERに加入。

ヴォーカル脱退により活動を半年近く休止。

1985年、オーディションの結果、元レゾナンスの坂本英三(Vo)が加入。後に加入する森川之雄もオーディションに参加していたが、バンドは坂本を選択[4]
デビュー

1985年、キングレコードより「ANTHEM」でデビュー。

1986年4月、2ndアルバム「TIGHTROPE」をリリース。同年11月2日、学園祭でのライヴにて主催した学生のミスにより数十人の学生が酸欠で倒れる事故が起こった。

1987年3月、3rdアルバム「BOUND TO BREAK」をリリース。同年6月には海外公演も行い、その海外公演を収めたライブ・アルバムTHE SHOW CARRIES ON!」を10月にリリース。その後、坂本英三がバンドへの責任感からくるプレッシャーとツアーによる疲労、プライベートでは子供ができたために音楽で生活するには不安という理由から脱退。代替メンバーとして森川之雄が加入した[5]

1988年5月、森川加入後の第一作として4thアルバム「GYPSY WAYS」をリリース。

1989年5月、5thアルバム「HUNTING TIME」をリリース。この頃からリーダー柴田と福田洋也との間に軋轢が発生。

1990年2月、次回作のアルバムのレコーディング終了後、浜松でのライヴを最後に福田が脱退。「即戦力となるギタリストが必要」と判断したバンドは3月には元ハリー・スキュアリーのギタリスト中間英明を加入させ、6thアルバム「NO SMOKE WITHOUT FIRE」をリリース。4月には韓国公演を行った。

1991年初頭、中間がバイク事故を起こしたため活動停止。しかし、中間とバンドメンバーとの活動方針に対する意見の相違が原因で中間は脱退。中間は脱退理由について「海外へのアプローチではなく日本向けのハードロックを日本語でレコーディングする」事への違和感を理由に脱退したと述べていたが[6]、柴田は2017年のBURRN! JAPANのインタビューでWikipediaの当項目に「海外へのアプローチをするという約束で加入させた中間が、バンドの活動領域が日本に留まっていることに耐えかね、脱退を申し入れた」と書かれていた件に触れ「そうした認識は全くない」とし、「彼にあったのだとすると、それが彼の真実であるんでしょうけど僕は全く違う(苦笑)。僕は海外に行かないと言ったことはないですね。海外レコーディングが中止になったのは僕のせいではなく湾岸戦争のせいですから」と、中間の考えとは違う理由を述べている[7]。同年8月、森川の知り合いを通じてオーディションに参加した当時20歳の清水昭男が加入。数か月後、レコーディングのために渡英。

1992年3月、7thアルバム「DOMESTIC BOOTY」をリリース。同年5月、森川の脱退により解散を表明。同年7月の日清パワーステーションのライヴを最後に解散。
解散後


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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