AKB48
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2020年3月時点のアルバム総売り上げは664万1000枚である[33]。「シングル表題曲におけるセンターポジションの推移」については「AKB48のグループ構成#センターポジション」を参照

2005年のチームAのデビュー公演では、入場者72人のうち一般の観客は7人だった(65人は関係者)が、約2か月後の2006年2月4日に初の満員(定員は250名)を記録している[34]。同年4月にはチームKの初公演が行われ満員となるが、3日目には半減するなどの不安定な時期を経て、定員に対して観覧応募数が上回る高倍率な状態が続いている[注釈 8]。2009年1月には、劇場公演のオンデマンド配信を開始している[37]。劇場外では、2006年11月に日本青年館で初のコンサートを開催[38][39]。2007年3月から4月には東京・名古屋福岡大阪を巡る全国ツアーを開催[40]。2008年9月には中華人民共和国北京で行われた文化交流行事のなかで、チームBが日本国外初のライブを行っている[41]。2011年7月に西武ドームでAKB48グループによるコンサートを開催して以降、2012年8月には東京ドームでコンサートを開催、2013年7月から8月にかけては全国5大ドームツアーコンサートを開催している。2014年3月には旧国立競技場でAKB48単独コンサートを開催、同年8月には東京ドームでは初のAKB48単独コンサートも行っている。「AKB48のコンサート一覧」を参照。

2009年6月から7月に、シングル選抜メンバーを決める第1回選抜総選挙を実施、2018年まで毎年開催している。2012年からは、地上波でのテレビ中継が行われた。2010年9月に、同じくシングル選抜メンバーを決める第1回選抜じゃんけん大会を実施、このイベントも2018年まで毎年開催しているが、第5回からはAKB48のシングル選抜を決めるものではなくなった。さらに2011年1月に、AKB48初のドキュンタリー映画『DOCUMENTARY of AKB48 to be continued 10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう?』が公開となった[42]。同年3月の東日本大震災後に、チャリティー活動として「誰かのために」プロジェクトを開始している[43]

2008年に名古屋市・を拠点とするSKE48が結成されたのを皮切りに、日本国内外に複数の姉妹グループが結成されている。「#姉妹プロジェクト」を参照。

2011年6月にはチーム4が、チームB[注釈 9]以来4年半ぶりの新チームとして発足した[44][注釈 10]。2014年4月にチーム8が発足し[45]、約9年間活動した後、2023年4月30日をもって活動休止となった[46]。チーム8は他のチームと異なりトヨタ自動車のサポートを受け[注釈 11]、メンバーは各都道府県別のオーディションにより、それぞれの代表とした[47]。「#チーム」を参照。

メンバー構成は、不定期で行われるオーディションで研究生として加入し、適時正規チームへの昇格人事が行われる一方で、不定期に卒業者も出るなど大人数グループであるため流動的である。チームの体制は、2010年に初めて「組閣」と呼ばれるAKB48内で大規模なチーム再編が行われて以降、2012年の2回目はAKB48と姉妹グループ間での兼任と日本国外移籍を含む再編、2014年の3回目は国内AKB48グループ内での兼任・移籍と乃木坂46からの兼任を含む再編、2015年の4回目は姉妹グループの兼任解除を含む変更およびNGT48新設に伴う移籍・兼任、2017年の5回目は姉妹グループからの兼任が解除される一方で、チーム8メンバーは全員がチームA、K、B、4のいずれかのチームとの兼任となった。2023年4月末のチーム8活動休止に伴い、チーム8メンバーは兼任先の専任メンバーとなった。同年10月にはチーム制が休止となった(「#編組略史」を参照)。「メンバー構成の推移」については「AKB48のグループ構成#メンバー構成の推移」を参照
特色
活動方針・目標・ルール

AKB48は、「アイドルはテレビやコンサート会場でしか会うことができない」とする従来の固定観念を根底から覆し、結成以来「会いにいけるアイドル」のコンセプト[48]のもとで、専用劇場での高頻度の公演や徹底したファンサービス(握手会・写真会など)によりアイドルとファンとの距離を縮め、アイドルをより身近な存在にする取り組みを継続して行っている。

AKB48は、発足した当初はメジャー・デビューを目標にしていたが、2006年8月20日にメジャー・デビュー決定をファンに報告した[49]。その後、公式ブログのタイトルは「AKB48?メジャーデビューまでの軌跡」から「AKB48?TOKYO DOME までの軌跡」に変更され[49]、東京ドームでのコンサート実現に目標を置いていたが、この目標も、2012年8月24日から8月26日に開催された『AKB48 in TOKYO DOME ?1830mの夢?』で達成された。目標達成により公式ブログのタイトルは『?1830mから?』に変更された[49][注釈 12]

メンバーは、特に初期に加入した者を中心に「AKB48は一つの通過点」とする認識を持つ者が多い。すべてが歌手を目指しているわけではなく、女優ファッションモデルなど志望する職業は様々である。一方で歌手や女優などへのステップではなく、佐藤亜美菜(4期生・元メンバー)以降には明確にAKB48での活動自体を目標としている者も現れている[51][52]

AKB48は「恋愛禁止」がルールになっていると言われており、メンバーも公言しているが[53]、一方で秋元康は特にルールとして規定したものではないと語っている[54]前田敦子によれば、AKB48に在籍中の16歳の時に恋愛で恋人に裏切られた「ショックで秋元(康)先生たちにも話さないとやっていけないくらい」辛くなり、恋愛で「グチャグチャになったのが結構きっかけ」になって、AKB48で恋愛禁止のルールができた[55]


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