AKB48
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研究生は、バックダンサーや正規メンバーのアンダー[注釈 33]や前座として公演に出演する。研究生のみの公演(研究生公演)も実施されている。
チーム分け
各チームへの所属は、結成時からチームB発足までは、下記のとおり加入した時期ごとに決められた。チームA:2005年12月8日結成 - オープニングメンバーオーディション合格者(オリジナルメンバー)(1期)篠田麻里子は追加加入のため「1.5期」とされるが、一部メディアでは「1期」と記載される場合がある。チームK:2006年4月1日結成 - 第2期追加メンバーオーディション合格者(2期)チームB:2007年4月7日結成 - 第3期追加メンバーオーディション合格者(3期)とチームAからの異動者3名これ以降のオーディションでは、合格者はすべて研究生に所属し、その中から適宜正規メンバーへと昇格してA・K・Bの各チームに所属するようになる。研究生オーディション:第一回研究生=4期・第二回研究生=5期・第三回研究生=6期というように第六回研究生=9期まで続く。以後、第10期研究生、第11期研究生という表現が第18期研究生まで続いている。
2010年施行のチーム体制
2009年8月の日本武道館公演(『AKB104選抜メンバー組閣祭り』)で「新内閣の発足」が発表され、チームA・K・Bのメンバーの組み替えと一部メンバーのSDN48への完全移籍、研究生の大量昇格が行われることになった。当初2009年10月から実施の予定だったが、度々延期され、2010年になってチームKが3月12日から、チームBが5月21日から、チームAが7月27日からというように約半年かけて段階的に実施したため、移行期間中は新旧両チームの公演に出演する者や逆に長期間公演に出演できなかった者もいた[要出典]。
新公演体制とチーム4結成
2009年ごろからAKB48のメディア露出増加に伴い、正規メンバーの公演が少なくなり、研究生のみで行われる公演の比率が増えた。数少なくなっていた正規メンバーの公演日でも、人気メンバーは休演(欠席)することが多くなっていた。その対策として正規メンバーを従来の48人から増員して、公演に出られるメンバーと控えメンバーをその都度入れ替える計画案が浮上した。その準備段階として2010年12月8日に8名、2011年2月12日に1名がそれぞれ研究生から正規メンバーに昇格することが発表された。しかし計画自体が進まなかったことや所属チームについて同時に発表されなかったことから、所属チーム決定までの間、暫定的に正規メンバーながら各チームのアンダーとして出演する、またはチーム研究生公演を中心に出演するという状態であった。その後計画は変更され、2011年4月8日の公演から演目自体は変わらないものの、各演目名からチーム名を外し、従来のチームごとではなく出演できる者を研究生も含めてその都度組み替えることで、SDN48も含めた4つの公演をバランスよく実施することとなった(従来のチーム公演・研究生公演という形でのスケジュール発表はなくなった)[194]。それまでは休演者の発表をしていたが、以後は研究生の名前も含めて出演者を発表することになり、16人のうち研究生が過半数だった場合は観覧料金を一律1,000円値下げする割引公演とした[194]。ただしチームの冠は取り払われたものの完全なアットランダムではなく、各演目における従来の主体チームと研究生の合同チームのような形態で実施された。同年6月6日には前述の所属未定メンバーによるチーム4の結成が発表された。2011年10月10日からはチーム4 1st Stage「僕の太陽」公演が開始されたが、2012年3月31日をもってSDN48のメンバーが全員卒業したため、4チームによる4公演体制となった。将来的にチーム8を結成する予定であることが明言された[195]。2012年3月24日にSKE48・松井珠理奈とNMB48・渡辺美優紀のAKB48との初のグループ間でのチーム兼任が開始された[196]
2012年11月1日施行のチーム体制
2012年8月24日に行われた東京ドーム公演『AKB48 in TOKYO DOME ?1830mの夢?』の初日に、チーム4を解散してチームA・チームK・チームBの3チーム体制へと再編すること、国内姉妹グループとの間で数名ずつの兼任を行うこと、初の海外姉妹グループへの移籍を行うことが発表された[197]。このチーム体制では各チーム16人制が廃止されたが、公演に出演するメンバーは毎回16名の選抜制となり、研究生による欠員補充も行われなくなった。2012年10月7日に岩手産業文化センターで開催された「『真夏のSounds good !』全国握手会イベント AKB48祭り powered by ネ申テレビ」で、4チーム体制での各公演の千秋楽と新チーム公演が発表された。2012年10月21日に公式ブログで新チーム公演初日の日程が発表された[198][199]。2012年11月1日から新チーム体制での公演が開始されたが、公演形態は演目ごとからチームごとの公演に戻り、新チーム体制前から研究生公演としても行われていた「僕の太陽」公演が、完全に研究生公演としての位置づけとなった。研究生の正規メンバー公演出演も、各チームとも所属メンバーが22人(新体制開始時点)となったことから、新体制発足当初はアンダー出演がなくなり、一部チーム公演で楽曲のバックダンサーとしての出演のみとなったが、2013年5月5日にアンダー出演の復活が発表された[200]
公式チーム呼称の発表
2009年の「組閣祭り」以後、チームを時期によって区別する必要があるときには旧チーム・新チームと呼んで区別していた[201]。再度の組閣により新旧のみでは区別できなくなっていたが、2012年11月19日にチームキャプテン制を採用して以後のチームA・チームK・チームBについて、それぞれの公式チーム呼称が発表された(下表参照)[202]。2010年までのチームの呼称は、2012年11月19日の発表では触れられていないが、公式出版物・メディアでは「初代チームA」「初代チームK」「初代チームB」と記述されたり[203][204][205]、メンバーも「初代チームB」と呼称したりして[206]、チーム名に「初代」を冠している。
チーム4再結成
2013年8月24日に行われた東京ドーム公演『AKB48・2013真夏のドームツアー ?まだまだ、やらなきゃいけないことがある?』3日目に、前年の『AKB48 in TOKYO DOME ?1830mの夢?』1日目にチームA昇格が発表された大島涼花を除く研究生13期生9名と14期生全員および研究生に降格していた1期生の峯岸みなみら16人の昇格が発表され、その所属先としてチーム4が再結成され、キャプテンに峯岸が就任した[207]
ドラフト会議の開催・ペナントレースの実施
2013年11月10日には、オーディションの新たな形態としてAKB48グループ合同で『AKB48グループ ドラフト会議』が開催された[208]。ドラフト会議前日に2014年1月からAKB48グループの各チームでペナントレースを実施することが発表された[209]。実際には2014年4月22日からのスタートとなり、10月31日まで行う予定であったが、9月23日で中止となった[210]
2014年4月24日施行のチーム体制
2014年2月24日にZepp DiverCity TOKYOで行われた『AKB48グループ 大組閣祭り ?時代は変わる。だけど、僕らは前しか向かねえ!?』で、国内のAKB48グループを中心とした新体制が発表された。副キャプテン制度が導入され、各グループ数名の移籍・兼任者が発生したほか、AKB48グループを越えた初の兼任として乃木坂46生駒里奈がAKB48と兼任することが発表された[211]
チーム8発足
2014年1月のAKB48リクエストアワーで発表されたチーム8は、4月3日に結成、5月に活動を開始した[212]。これまでのAKB48とは異なる地域密着の「会いに行くアイドル」をテーマとして掲げ、トヨタ自動車の全面サポートを受けて活動した[213]
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