AERA
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この項目では、朝日新聞出版の週刊誌について説明しています。同社が運営するオンラインメディアについては「AERA dot.」を、住宅メーカーについては「アエラホーム」をご覧ください。

アエラ
AERA

刊行頻度週刊
発売国 日本
言語日本語
出版社朝日新聞出版
刊行期間1988年5月 - 現在
発行部数68,138部(2021年1月 - 2021年3月日本雑誌協会調べ)
ウェブサイトAERA
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AERA(アエラ)は、朝日新聞出版が発行する週刊誌である。

正式な誌名は朝日新聞ウィークリー AERA。発行部数7万872部(2018年10月1日?2019年9月30日において)は一般週刊誌(女性週刊誌除く)において、SPA!に次いで業界第11位[1]
概要創刊直後の1989年川崎球場(当時、ロッテ・オリオンズ本拠地)の外野・ライトスタンドに掲げられた広告幕。写真左上のスタンド右中間側にある)

1988年(昭和63年)5月、同年の5月24日号として創刊。「AERA」とはラテン語で「時代」の意と、「Asahi shimbun Extra Research and Analysis」の太字部分を合成したものの意。「日本初の本格的ニュース週刊紙」(紙の文字をあてた)を標榜し、創刊当初の広告見出しは『ライバルは朝日新聞です』で、初代編集長と当時の朝日新聞社長が握手を交わすものであった。

誌面のフォーマットは、その週のニュースの中から特に印象的なテーマを選んでカラー写真を織り込んで掲載するビジュアル重視。政治的には、基本的に朝日新聞本紙同様のリベラル路線であるが、本紙と比較して、女性をとりまく社会情勢や学歴(受験)に関する記事が多く、東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故以降は女性及び子供を巡る安全安心をテーマにした記事も増加している。女性ライターによる記事も多い。

2009年4月、小中学生を対象としたAERAとして、月刊誌ジュニアエラが創刊された。また、英語語学月刊雑誌「AERA ENGLISH」(2008年創刊)、AERA増刊より独立創刊した季刊誌「AERA with Kids」、その姉妹誌で不定期刊行のムック「AERA with Baby」(2007年創刊)もある。

朝日新聞社→朝日新聞出版は、もう一つの週刊誌「週刊朝日」(1922年創刊)を発行していたが、それが2023年5月で休刊することになり、今後週刊誌は当雑誌に注力(事実上統合)し、ネット版の「AERA.dot(アエラドット)」とも連携しながら、ブランディング強化を図るとしている[2]。また、週刊朝日の増刊号扱いで発行されていたムック本のうち、全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)関連の増刊と、季刊・サザエさん作品集は今後AERA増刊号扱いで発売される。
不祥事

2011年、東北地方太平洋沖地震による福島第一原子力発電所事故を受けて3月28日号(3月19日発売)の表紙に防塵マスクをつけた人物の顔のアップに、赤い文字の見出し「放射能がくる」を重ねたものを使用した。これに対して、「風評被害を助長する」「恐怖心をあおってどうするのか」「インパクトばかり求めている」などと非難が相次いだ[3][4]。同誌は、Twitter謝罪を表明[5][6]産経新聞の取材に「ツイッターに掲出したコメントにある通りです」と回答して、ツイッターでのコメントをもって公式コメントに変える意向を示していたが、最終的に、同誌公式サイト上での編集長尾木和晴名義での謝罪を行った[7]。また、このような危機を煽る報道姿勢に反発し野田秀樹は、連載していたコラムを4月4日号をもって自ら打ち切ることを表明した[8]。一方で当時の副編集長で、のちに編集長にもなった浜田敬子は「ものすごい批判にさらされて……、最悪のケースは休刊になるかもしれないとまで思いました。ただし、ちゃんと取材していたので内容に自信はあり、後に正しい報道だったことも判明しました」[9]との見解を表明している。
代表的な連載

現代の肖像 - 現代を代表する人物のルポタージュ

世界の遺産 - 世界遺産を写真つきで紹介

坂田栄一郎のオフ・カメラ - 表紙写真の人へのインタビュー(現在は person in focus・表紙の人)

小林麻耶のクワクワ対談 -
小林麻耶が、各界で活躍する著名人と対談

スーパー特派員・亜江良十三(あえら じゅうぞう)- 1988年5月24日号(創刊号)?1990年5月15日号まで掲載。AERAの海外特派員である(という設定)の亜江良が、世界を股にかけ、掲載当時の世界情勢を架空の登場人物を交えて解説。亜江良ほかイラストはさいとう・プロダクションが担当。なお、この連載を纏めた書籍が1991年12月に『亜江良十三の大報道』として刊行された(朝日新聞出版、.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4-02-256259-3

一行コピー

電車の中吊り広告などに掲載される「一行コピー」が名物となっている。記事に掲載されたトピックに引っかけた駄洒落となっているのが特徴で、毎週どういう駄洒落が掲載されるかを楽しみにしたり、週毎の出来・不出来をチェックする者もいる[10]。それどころか、自作の駄洒落を勝手に投稿する人すらいる。なお、一行コピーは編集部の中から選考され、投稿された駄洒落が採用されることはない。選考過程やエピソードはしばしばAERA.dotに掲載される[11]

1998年には、AERA創刊10周年を記念して、それまでに発表された一行コピーとそれにまつわるエピソードなどを掲載した『腰くだけ発想法 アエラ一行コピー』(『AERA』1998年7月10日号臨時増刊)を出版した。

重大事件の直後は駄洒落は封印される。例えば2001年アメリカ同時多発テロの際は「世界が言葉を失った」というコピーが代わりに掲載された(2001年9月24日号)。

この一行コピーは、年間最後の号に一年分の一行コピーが掲載されるのを除いて、本誌にはほとんど掲載されなかったが、2010年6月7日号から目次に掲載されるようになった。
編集長、歴代編集長

富岡隆夫(初代編集長、元朝日新聞社取締役)
[12]

西村秀俊(元編集長、元アエラ発行室長)

蜷川真夫(元編集長、ジェイ・キャスト代表取締役会長)

大森千明(元編集長、元ジェイ・キャスト社長、元J-CASTニュース編集長)

関戸衛(元編集長、元朝日新聞厚生文化事業団常務理事)

一色清(元編集長〈のちに再び編集長を務めた〉、元一行コピー作者、元テレビ朝日「報道ステーション」コメンテーター)

宇留間和基(元編集長、朝日新聞出版初代社長、元J-CASTニュース編集長)

市村友一(元編集長、朝日新聞出版第4代社長)[13]

尾木和晴(元編集長、朝日新聞出版常務取締役)[14]

鈴木直哉(元編集長、朝日新聞文化財団常務理事)[15][16]

浜田敬子(元編集長、元Business Insider Japan統括編集長)

井原圭子(元編集長、朝日新聞社ジェンダープロジェクト担当補佐)[17]


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