この項目では、AEGについて説明しています。その他の用法については「AEG (曖昧さ回避)」をご覧ください。
AEGブランドロゴ。ペーター・ベーレンスのデザイン。
AEG(ドイツ語読み:アーエーゲー、英語読み:エーイージー)は、ドイツの電機メーカー。Allgemeine Elektricitats-Gesellschaft(アルゲマイネ・エレクトリツィテート・ゲゼルシャフト、総合電気会社)の略である。ゼネラル・エレクトリックと世界市場を分け合い、空前の輸出量を記録した。家電・発電機・自動車・航空機を製造し[1]、鉄道の電化も手がけた。ドイツ再統一の前後に各事業が親会社ダイムラーもろともシュナイダーエレクトリックなどに分譲された。 1883年、トーマス・エジソンの特許を取得したユダヤ人実業家エミール・ラーテナウ
概要
テレフンケンを吸収するまで
このドレスナーがダナート銀行をかばって傾くと、AEG はナチスドイツの統制経済に組み込まれた。ほとんどの設備をAEG は第二次世界大戦で焼失した。その代わり1946年10月、リーダーのビューヒャーが放免された。AEG は戦後西ドイツにおける独占解体を免れ、復古的な米仏資本による経済の奇跡を享受した。主権の回復された1954年から増資を続け、ベルリンの壁ができてからの軍需生産を担った[5]。この目的で1967年、テレフンケンを100%支配して吸収合併した。 AEG はドイツの電力事業にも貢献した。ウニオン社に同じく1892年、エレクトロヴェルケ(Elektrowerke
AEGコンツェルン解体始末
1985年、AEGがダイムラー・ベンツに買収された。これはドイツ銀行の勢力下に移ったことを示す大事件であり、ドイツ経済の再編成とも評された。しかしドイツ銀行が1989年にモルガン・グレンフェルを買収したことを考えると、AEG買収は同社のアーリア化でもドイツ資本化でもなく、ドイツ経済がドイツ銀行という根幹から米仏資本として再編成されるプロセスだったということになる。同1989年からダイムラーごとAEGは解体されていった。1992年アトラスコプコがAEGの電機部門を買収した。同年アルカテル=アルストムがAEGのケーブル部門(AEG Kabel)を買収し、ドイツ政府が欧州委員会に抗議する国際紛争に発展した。1994年、シュナイダーエレクトリックがオートメーション部門を、エレクトロラックスが家電部門をそれぞれ買収した[7]。
AEG はベルリン近郊のヘニヒスドルフ(英語版)(Hennigsdorf)にて、鉄道車両(特に電気機関車)の製造も行っていた。ドイツ・エジソン社がAEGへと社名を変更した1887年に、AEG はドイツエジソン会社が興したベルリン電力会社(現バッテンフォール)の業務を引き継いだ[8][9]。先述のウニオン社買収もAEGの鉄道史である(1903年)。1915年、ベルリン電力会社は市有化された[10]。1927年、ベルリン電力会社の人材は今日悪名高い信用情報集積所(Schufa)を設立した。第二次世界大戦後、AEGのヘニヒスドルフ工場は東ドイツ側に属したため、社名を機関車製造電気技術工場(Lokomotivbau Elektrotechnische Werke, LEW)に変更した。LEW社はドイツ再統一が成って西ドイツ側のAEG社に吸収された。AEG社の鉄道車両製造部門は後にヘンシェルとの合併、アドトランツへの吸収などを経て、ボンバルディア・トランスポーテーションの一部となった。