ABブラザーズ
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出典検索?: "ABブラザーズ" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2016年8月)

ABブラザーズ
メンバー中山秀征
松野大介
結成年1985年
解散年1992年
事務所渡辺プロダクション
活動時期1985年 - 1992年
出会いライブにて
現在の活動状況事実上解散(中山はタレント、松野は小説家として活動)
芸種コント ほか
現在の代表番組なし
過去の代表番組ライオンのいただきます
夕やけニャンニャン
など
同期ウッチャンナンチャン
ダチョウ倶楽部
出川哲朗
など
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ABブラザーズ(エービーブラザーズ)は、1980年代に活動していたお笑いコンビ。1985年結成、1992年頃にコンビ自然消滅(事実上解散)。目次

1 メンバー

2 概要

3 出演番組

4 出演ラジオ

5 脚注

5.1 注釈

5.2 出典


メンバー

中山秀征(なかやま ひでゆき、1967年7月31日 - )群馬県藤岡市出身。現在はタレント司会者

松野大介(まつの だいすけ、1964年2月5日 - )神奈川県川崎市出身。現在は小説家
概要

音楽の道を諦め、お笑いタレントを目指していた松野とアイドル俳優を目指しオーディションに合格した中山。それぞれ
渡辺プロに属し、1984年頃から若手タレントを育てる趣旨のライブに幾たびか出演。その際、一緒にコントなどを試みたことがきっかけでコンビを組むようになり、1985年、正式にABブラザーズを結成。「ライオンのいただきます」でメディアデビューを果たした。

アイドルの様な笑顔と砕けたトークを武器にしていた中山と、司会の小堺一機が急にアドリブを振っても切り返しが早く、機転の利く松野のコンビは番組内でも重宝された。昼間の生放送にも拘わらず女子中高生を中心に知名度が上がり、それに伴い人気も急上昇。アイドル雑誌にも取り上げられるようになり、同年、長年続いた「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」の後継としてパーソナリティーに抜擢されるなど、周囲からの期待は高かった。

1986年7月には写真集「A&BEAT(エイトビート)」を発売。西武百貨店池袋本店で行われた発売記念の握手&サイン会には数百人が集まり、当初予定していた会場には収まりきらず急遽会場を変更するなど、その人気は今後も伸び続けるものと期待させるものであった。その写真集で中山はシャワーを浴びている写真を掲載。背中と臀部の一部が映っているその写真は一押しのショットであるとラジオ番組内で話していた。

夕やけニャンニャン」の進行(月曜日レギュラー)に抜擢されるなど、新たなジャンルの仕事が舞い込むようになる。しかし、自分たちの個性でなくても成立する内容の仕事であることや、次に繋がる布石がない不安などから松野は疑問や違和感を持ち始める。多くの芸能人と華やかな仕事をすることにマルチタレントとしての新たな光明を見い出し始めた中山と、あくまで基本はお笑いタレントとして舞台やライブで勝負をしたい松野との間に意見の相違が生まれ、顕著に溝が出来始めた。テレビやラジオでも二人の会話は噛み合わず、コーナーを消化することだけに気を急いていたと、のちに松野は回想している。「ライオンのいただきます」卒業後はコンビでの仕事は減っていき、正式に解散というより自然消滅に近い形での終了となった。その後、中山はタレント司会者、松野は小説家コラムニストに転向。以来20年以上顔を合わせていないという[1]

血液型がそれぞれA型(松野)とB型(中山)ということで、コンビ名を“ABブラザーズ”にしたが、後に二人ともB型とわかり、実はBBブラザーズであったことが判明し、ラジオなどでネタにしていた。

「ライオンのいただきます」放送開始直後は「笑っていいとも!」に出演していた初代「いいとも青年隊」が交代でアシスタント(居残り青年隊)として出演していた。そのため、後に新規で「いただきます」に出演するようになった彼らも「いいとも青年隊」と間違われることがあったという。

ABブラザーズとして最後にゲスト出演したテレビ番組は当時吉村明宏が司会をしていた『DAISUKI!』(日本テレビ)だった。その後中山は吉村の役割を受け継ぎ人気番組に成長させており、これについて運命的なものを感じた事を語っている[2]

2016年3月20日放送の「ウチくる!?」で小堺一機がゲスト出演し、中山と「ライオンのいただきます」での思い出を語り合った。この時「ライオンのいただきます」のABブラザース登場シーンのVTRも放送されたが、松野が芸能人から文化人(小説家)に転身したためか松野の顔にぼかし処理が施され、番組内でも松野の話題には一切触れられなかった。

お笑い第三世代が台頭する以前はABブラザーズは関東のお笑い代表として扱われており、それに対する違和感からダウンタウン今田耕司東野幸治といった主に関西勢の芸人からは敵視されていた[3][4]

爆笑問題は若手時代にABブラザーズの前座を務めた経験がある。この縁から現在も中山とは交流がある[5][6]

中山が2018年にゲスト出演した『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』(ニッポン放送)および2020年にゲスト出演した『太田上田』(中京テレビ)『爆笑問題の日曜サンデー[注釈 1]TBSラジオ)ではABブラザーズ時代の話題になり、前者ではパーソナリティの高田文夫により松野の近況が報告され、後者では太田光が松野の名前を出して笑いを誘った[8][5][6]

出演番組

ライオンのいただきます(フジテレビ)

冗談画報(1985年10月28日、フジテレビ)

桃色学園都市宣言!!(1987年10月 - 1988年3月、フジテレビ) - 火曜日「合羽坂学園」 に出演

夕やけニャンニャン(フジテレビ)

月曜日のレギュラー。月 - 金の帯で出ていたとんねるずが火曜日のみの出演になったことに伴い[9]、月曜日の担当に抜擢された。しかし、暫くして中山だけが残り、松野は降板と発表された[10][要出典]。


放課後通信(1989年、中国放送) - 広島にて土曜夕方に一年間放映された若者向けバラエティ番組。

トキメキおちゃめ組(テレビ東京) - 兵藤ゆきとABブラザーズがレギュラー。「トキメキ応援TV」にリニューアルする際、兵藤と中山はレギュラー出演者として残り、松野大介のみが降板。

所さんのただものではない!(フジテレビ) - 不定期出演

出演ラジオ


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