87式砲側弾薬車
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87式砲側弾薬車

87式砲側弾薬車(はちななしきほうそくだんやくしゃ)は、陸上自衛隊野戦特科部隊の装備していた装甲車両である。
概要

203mm自走榴弾砲の導入に伴い開発された装備で、砲弾及び装薬を搭載し、自走砲に随伴し弾薬の補給を行うと共に、自走砲に搭乗しきれない砲操作要員を輸送するための車両である[1][2]。203mm自走榴弾砲とともに用途廃止となる。
開発試作型である砲側弾薬車(B)

防衛庁(当時)では、1984年より、各方面隊直轄の特科大隊の装備する牽引式火砲の更新装備として203mm自走榴弾砲の導入を開始した。しかし、203mm自走榴弾砲は車体が小型であるため、車両本体には砲弾及び装薬は2発分しか搭載できず、また、射撃に必要な13名の要員のうち搭乗できるのは5名のみであった[1]アメリカ陸軍では弾薬と残り8名の砲要員は随伴するM548 装軌貨物輸送車によって輸送されるが、陸上自衛隊ではM548は採用せず、独自に国産の随伴弾薬車を開発・装備することに決定した。

これにあたっては、203mm自走榴弾砲が更新する装備である203mmりゅう弾砲M2の牽引と弾薬及び砲要員の輸送に使用されている73式けん引車の発展型を開発して装備することとされ、1983年より日立製作所によって開発作業が開始された。

試作車両は新造したものと73式けん引車を改造したものが製作され、1985年にはそれぞれ砲側弾薬車(A)、砲側弾薬車(B)として完成し、各種試験が行われた[1]。試験の結果、エンジンを203mm自走榴弾砲と同じものに変更した砲側弾薬車(A)の方が、203mm自走榴弾砲に随伴して行動し、同じ部隊内で運用するにはより適しているとされ、1987年に「87式砲側弾薬車」として採用された[3]
特徴砲弾を吊り上げた状態

野戦特科部隊に装備し203mm自走榴弾砲に随伴して継続的に弾薬補給を行う。開発の経緯が示すように重砲牽引用の73式けん引車の派生型であり、基本設計は73式のものを流用している。車体前部に操縦席があり、上構部分が兵員室や弾薬庫となっている構成は同様だが、弾薬庫等のある車体上部は新たに設計されており、車体長が1m伸びた分、転輪位置も一部変更されている[3]

弾薬庫には203mm砲用の弾薬であれば50発搭載できる[1][2]。弾の揚降は右後部に設置された揚力約1トンの油圧式クレーンは、203mm砲弾を最大で10発吊り下げられる[1][2]。車体後部を自走砲に面して停止配置した場合、車内のガイドレールを用いて、自走砲の装弾機に砲弾を移送できる[1]

自衛用に車体前部天面のハッチに防盾付きの12.7mm重機関銃M2を備える。前部の窓ガラスは、スリット式の装甲シャッターによって爆風銃弾から守られる[1]

73式に装備されていた排土板、203mm榴弾砲M2及び155mm加農砲M2の野戦牽引用の牽引ブームは装備されていない。本車はあくまで「砲側弾薬車」であり、火砲の牽引車として用いることは想定されていない。

87式砲側弾薬車の調達数[4]予算計上年度調達数
昭和62年度(1987年)不詳
昭和63年度(1988年)不詳
平成 1年度(1989年)不詳
平成 2年度(1990年)8両
平成 3年度(1991年)8両
平成 4年度(1992年)6両
平成 5年度(1993年)4両
平成 6年度(1994年)4両
平成 7年度(1995年)4両
平成 8年度(1996年)4両
平成 9年度(1997年)4両
平成10年度(1998年)3両
平成11年度(1999年)3両
平成12年度(2000年)3両
平成13年度(2001年)1両
平成14年度(2002年)1両
平成15年度(2003年)1両
平成16年度(2004年)1両

配備部隊・機関

203mm自走榴弾砲を装備した野戦特科部隊(主に方面隊直轄の特科大隊)に配備されていた[1]

陸上自衛隊武器学校
過去の配備部隊

陸上自衛隊富士学校

富士教導団

特科教導隊

第4射撃中隊


北部方面隊

第1特科団

第1特科群

第101特科大隊

第102特科大隊

第103特科大隊


第4特科群

第120特科大隊

第104特科大隊


東北方面隊


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