80日間世界一周
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八十日間世界一周
Le tour du monde en quatre-vingt jours
原書の扉絵[1]
著者ジュール・ヴェルヌ
イラストA・D・ヌヴィル
レオン・ベネット
発行日1872年
発行元P-J・エッツェル
ジャンル冒険小説
フランス
言語フランス語
形態上製本
前作南アフリカでの3人のロシア人と3人のイギリス人の冒険
次作毛皮の国

ウィキポータル 文学

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『八十日間世界一周』(はちじゅうにちかんせかいいっしゅう、フランス語: Le tour du monde en quatre-vingt jours・英語: Around the World in eighty Days)は、ジュール・ヴェルヌによる1873年出版(厳密には前年にパリの新聞『ル・タン』に連載されたものを単行本化[2])のフランス冒険小説。挿絵はアルフォンス・ド・ヌヴィルレオン・ベネット

時は後期ビクトリア朝イギリス人資産家フィリアス・フォッグ執事ジャン・パスパルトゥーを従えて、世界を80日間で一周しようと試みる波瀾万丈の物語である。

当時はトーマス・クック社主催による世界一周ツアーの第1回目が行われている最中であり、ヴェルヌ家の記録によると、ヴェルヌはこれに刺激されて本作を書いたとされる[3]
あらすじ

物語は1872年10月2日のロンドンに始まる。独身の紳士、フィリアス・フォッグは物事を尋常ではない正確さで行う習慣と、カードゲームに熱中する癖があったが、ロンドンの紳士クラブ「リフォーム・クラブ」(The Reform Club)のメンバーであること以外は全く謎で、裕福であることの理由も定かではなかった。

フォッグの前の執事はひげそりに使うお湯の温度を華氏で2度間違えたために解雇されてしまい[4]、新たにこれまた規則正しい生活態度を尊ぶフランス人のパスパルトゥーが雇われた[5]

その日の夜、リフォーム・クラブでフォッグは会員たちと新聞のある記事について議論をした。「イギリス領インド帝国に新たに鉄道が設けられた」という記事と、それに伴って以下のように80日で世界一周ができるという計算結果が載っており、フォッグはこれが実現可能なものであると主張する。世界一周の道筋

地名手段滞在期間(日)合計(日)
ロンドン/スエズ鉄道および蒸気船7
スエズ/ボンベイ[6]蒸気船1320
ボンベイ/カルカッタ[7]鉄道323
カルカッタ/香港蒸気船1336
香港/横浜642
横浜/サンフランシスコ2264
サンフランシスコ/ニューヨーク鉄道771
ニューヨーク/ロンドン蒸気船および鉄道980

フォッグはこれを立証するために自ら世界一周に出ることを宣言し、自分の全財産の半分にあたる20,000ポンドをクラブの会員たちとの賭け金にする。残りは旅費に充てるため、期限内に世界一周を果たせなかった場合、全財産を失うことになる。フォッグは当惑するパスパルトゥーを伴って、10月2日午後8時45分発の列車でロンドンを発つ。彼のリフォーム・クラブへの帰還は80日後の12月21日の同じ時刻とされた。

フォッグとパスパルトゥーは、時刻通りにスエズ運河へ到着するが、エジプトに滞在している間、フォッグはスコットランド・ヤードの刑事、フィックスにひそかに監視されていた。フィックスはイギリスの銀行で起きた盗難事件の犯人捜索のため派遣されたが、フォッグの容貌が容疑者と似ていたために、彼を犯人と思い込んでいたのだった。しかし、出発までに逮捕令状を取得できなかったため、フィックスはボンベイ行きの蒸気船に乗船する。船内でフィックスは自分の下心を隠し、パスパルトゥーに接近する。

予定より2日早くフォッグとパスパルトゥーはボンベイに到着し、交通手段を鉄道に切り替えてカルカッタに向かうが、くだんの鉄道はまだレールの敷設工事中であることが明らかになる。代わりの手段として、フォッグは象を2,000ポンドという途方もない金額で購入する。

象でカルカッタに向かう途中、彼らはサティー(未亡人の女性が夫の後を追い殉死するインド古来の儀式)へと向かう行列に遭遇し、その中に翌朝儀式の生贄にされる若いインド人の女性、アウダを見出す。彼女は麻薬で意識が朦朧としており、また、現地のガイドによると、本人は殉死を望んでいないという。2人は彼女を救出することにし、行列の後をつけて儀式が行われる場所までたどりつく。パスパルトゥーはインド人女性が共に焼かれる夫の遺体の安置場所を発見し、ある計略を思いつく。夜が明けてサティーが始まると、パスパルトゥーはそれまで身を隠していた薪の中から突然起き上がり、死んだ夫が蘇ったふりをし、恐怖におびえている僧たちを尻目にアウダを運び去る。

救出したアウダを連れた一行はカルカッタに到着し、香港行きの蒸気船に乗り込む。フィックスもカルカッタにたどり着くが、またしても逮捕令状を取り損ね、香港まで一行の後を追う羽目になった。船の中でフィックスはパスパルトゥーの前に現れ、パスパルトゥーは知り合いに再会できたことを喜ぶ。

一行は香港に着くが、アウダの身柄を預けようとしていた彼女の遠戚が、すでに他の土地に移ってしまったことが明らかになり、フォッグはアウダをヨーロッパまで連れて行くことを決める。未だに逮捕令状を手に入れられないフィックスは、香港こそイギリス領土内でフォッグを逮捕できる最後のチャンスだと考えていた。フィックスは居酒屋でパスパルトゥーに自分の身分と旅の目的を明かしたが、忠実な彼は主人が盗みを働いたとは信じなかった。フィックスは自分の計画を知ってしまったパスパルトゥーを酔いつぶしたあげく、その店がたまたまアヘン窟だったことから麻薬で前後不覚にする。パスパルトゥーは意識朦朧となりながら、どうにか横浜行きの蒸気船に乗り込んだが、主人に船の出航が繰り上げになったことを伝えられなかった[8]

翌日、フォッグは日本への移動手段が絶たれたことに気づく。彼は次の目的地である横浜へ向かう船を探し、最終的に小さな水先案内船を見つけ、船長に大金を握らせてアウダ、フィックスとともに横浜経由・サンフランシスコ行きの大型船の出発地、上海へ向かう。洋上で時化に遭うものの、上海で運良く乗船予定だった船に助けられて横浜にたどり着き、フォッグはサーカス団の団員としてアメリカへ渡ろうとしていたパスパルトゥーを発見する。

無事再会した4人は、太平洋を横断しサンフランシスコへ向かう蒸気船に乗る。フィックスは、イギリス領土を離れてしまった今となっては、旅を邪魔することをやめて、フォッグを本国で逮捕するべくできるだけ早くイギリスへたどり着けるよう助力することをパスパルトゥーに約束する。

サンフランシスコで一行はニューヨーク行きの大陸横断鉄道に乗り込むが、列車がインディアンの襲撃を受け、パスパルトゥーと他の2人の乗客が人質として拉致されてしまう。フォッグは旅よりもパスパルトゥーの救出を優先し、砦の近くの兵士たちとインディアンの集落に向かい、無事人質たちの解放に成功する。

人質救出で生じた遅れを取り戻すため、一行はそりを雇い、オマハへ向かった。そこでどうにか時刻通りにシカゴ行きの列車に乗り込むことができ、シカゴでニューヨーク行きの列車に乗り換える。しかし、ニューヨークに着いた一行は、乗ろうとしていたリバプール行きの蒸気船が45分前に出港してしまったことを知る。

翌日、フォッグは大西洋を横断するための手段を探し、ボルドー行きの小さな商船を見つけた。船長は一行をリバプールまで乗せていくことを拒み、フォッグたちはボルドーまでという条件で乗船するが、洋上で乗組員を金で買収し、船の針路をリバプールに変更させる。ところが、目一杯炉の火を焚き続けたため、燃料がなくなってしまう。フォッグは再度大枚をはたいて船長から船の船体と機関以外だけを買い、船の木製の部分を乗組員たちに燃料として燃やさせた。

12月21日に一行はリバプールへ到着し、列車で行けば悠々ロンドンに着けると思われたが、イギリス領へ戻った途端、フィックスは横浜で受け取っていた逮捕令状をもってフォッグを逮捕してしまう。しかし、やがて本物の盗人は3日前に逮捕されていたことが明らかになる。釈放されたフォッグはフィックスを殴った後、急いでロンドンへ向かうが、予定の列車に乗ることができず、約束から5分遅れた午後8時50分にロンドンへ到着した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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