80式空対艦誘導弾
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80式空対艦誘導弾
ASM-1

種類空対艦ミサイル
製造国 日本
設計技術研究本部三菱重工業
製造300発以上
性能諸元
ミサイル直径350 mm
ミサイル全長3,980 mm
ミサイル全幅1,190 mm
ミサイル重量600 kg
弾頭弾頭重量:150kg
射程推定50キロメートル (27 nmi)[1]
誘導方式中途航程:慣性誘導
終末航程:ARH誘導
飛翔速度亜音速
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80式空対艦誘導弾(はちまるしきくうたいかんゆうどうだん)は、日本が開発・配備した空対艦ミサイル対艦誘導弾)。別称はASM-1。1980年から航空自衛隊に配備が開始されている[2]。技術開発は技術研究本部、主契約会社は三菱重工業で、川崎重工業富士重工業を協力会社とし[3]、総開発費は113億円とされている[1]
来歴

昭和40年代、第3次防衛力整備計画に基づき、「F-86Fの後継機として戦技訓練が可能で支援戦闘の潜在能力をもち、かつ超音速飛行の能力を有する練習機」としてT-2の開発が進められていた[4][5]。その設計段階では、ブルパップ空対地ミサイルも話題になり、指令誘導装置の後日装備余地を確保することも検討されたものの、真剣な議論には至らなかった[6]

T-2の開発の主契約会社は三菱重工業であったが、富士重工業も協力者として開発に参画していた[5]。そしてXT-2の初飛行の直前にあたる1971年6月、パリ航空ショーにおいて、同社は、フランスマトラ社より、空対艦ミサイルの開発に関する接触を受けていた。当時、ヨーロッパでは、同国のアエロスパシアル社のエグゾセ西ドイツメッサーシュミット・ベルコウ・ブローム(MBB)社のコルモランなど、新世代の対艦ミサイルの開発が進められているところであった[6]

1972年からは、T-2をもとに単座化し、爆撃能力の強化や外部搭載能力の増加などを図った支援戦闘機の開発が着手され、1976年11月の部隊使用承認とともにF-1と命名された。同機の開発段階では、ヨーロッパの情勢も踏まえ、将来構想(プロビジョン)として近距離空対艦ミサイル(ASM)の運用も想定されていた[4]。その後、F-1の開発進展に伴って、こちらの開発も進められることになり、1973年11月30日の要求性能上申ののち、1974年3月28日に基本要目が決定され、翌日には基本設計命令が下され、8月10日にはその報告が示された。以後、昭和49年度から昭和53年度にかけて試作が実施されるとともに、昭和50年度より各年度の試作に関連する技術試験が実施され、昭和53年度末をもって試作を完了した[2]

技術試験においては、昭和52年度第3四半期より誘導弾の発射試験を開始しており、1979年5月からは航空自衛隊による実用試験に入った。これらの発射試験では、模擬標的に対し15発を発射予定であったものが直撃弾が続出して標的が破損してしまったために1発を残して終了したり、「かや」を実艦標的として実弾3発を発射予定であったものが初弾で撃沈してしまったために2発を残して終了したりと、予想以上に誘導制御性能が良好であることが確認された[2][注 1]

F-1支援戦闘機を発射母機とすることを前提に開発された物だが、F-4EJ改戦闘機およびF-2戦闘機でも運用される。
設計F-1に搭載されたXASM-1

ミサイルは葉巻型の胴体中部に4枚の主翼および末尾に4枚の操舵翼をつけた形状となっている[2]。ミサイルは、前方よりセンサー部、誘導部、弾頭部、エンジン部からなる[2]

エンジンは固体燃料ロケットを用いている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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