8時だョ!全員集合
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注釈^ 1973年12月から。当初はメンバー見習いとして出演。ドリフターズの正式メンバー入りは1974年4月から。
^ 1974年3月まで。
^ 本格的に行うようになったのは1982年1月からだが、それ以前にも1980年5月3日と1981年5月9日放送分でステレオ放送を行ったことがある。
^ 「ドリフのズンドコ節」、「ほんとにほんとにご苦労さん」、「誰かさんと誰かさん」など。
^ 最後に回り舞台を使用したのは1985年6月1日の日本青年館からの放送で、1985年ではこの回のみだった。
^ 例外は、TBSが土曜日に開催されるオールスターゲームの放映権を獲得した場合だが、このケースも1977年までは一度もなかった。
^ この「熾烈な視聴率争い」について、当時のひょうきん族と全員集合のスタッフはしばしば会遇し、その際に視聴率は話題に上らなかったと語る関係者の視点もある[3]
^ 現在では、出演芸能人の生放送での不用意な問題発言によるイメージの瑕疵の発生を芸能事務所側が警戒するようになっている。
^ 1973年6月10日にシングルとしてリリースされた「チョットだけョ!全員集合!!」と混同されることがあるが、オープニング曲へ更に番組全体のギャグなどを盛り込んだアレンジ曲であり、オープニングとは別。
^ 1番の歌詞に「5人の色男」という歌詞があるため。仲本と志村が復帰直後も差し替えた歌詞のまま歌われていたが、すぐに元の歌詞に戻った。
^ 第1期の最終回(1971年3月27日放送分)ではゲストではなく仲本と荒井が担当、(仲本)「おい、楽しかったな」「仲良くしろよな」(荒井)「いつまで見てんだよ」「もう終わりだよ」という台詞だった。
^ 年内最後の放送は「餅食い過ぎるなよ」「また来年」。第1期最終回は「長い間どうもありがとう」「別れるのはさびしいけどもさ」「また逢えるもんな」「病気だけはするなよ」、そして最終回は「長い間ありがとう」「元気で」。
^ 1998年10月3日に加藤が解答者として参加した『オールスター感謝祭'98超豪華!クイズ決定版この秋お待たせ特大号』で、志村との医療コントのVTRが流れた後、実際にクイズが出題された(加藤と志村の医療コントのVTR中、紳助と和歌子も笑っていた)。
^ 番組初期の頃にADとしてスタッフに加わり、後にディレクター→プロデューサーと昇格。後番組『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』のプロデューサーも務めた。
^ 2000年の持株会社化に伴い、芸能プロダクション事業などは新設子会社ワタナベエンターテインメントに移行した。
^ 付き人はすわを含め数人が出演していたが、オープニングの出演者・スタッフロールには名前が出されなかった
^ 加藤は1970年に交通事故による怪我および謹慎、仲本は1981年にノミ行為事件での謹慎、高木は1984年にアキレス腱の怪我のために休養といずれも出演していない期間があるため全ての回には出演していない。荒井の後任でドリフメンバーとなり、見習い期間を含めて1973年12月以降から出演していた志村も1981年に仲本同様にノミ行為事件での謹慎で出演していない期間がある。すわに関してはオープニングの出演者テロップに名前が出されていた訳ではなく(1975年には登場時にドリフ見習いとテロップされるなど扱いは別格)、正確な出演回数は分からないものの、全員集合に付き人として出演し始めたのは、いかりやに弟子入りした1972年以降となる。少なくとも1969年の番組開始時点ではまだ上京していなかったため、いずれしろ全ての回に出演していないのは事実である。いかりやも1980年に喉の手術をして声が出せなかった期間があったが、声は出せなくても番組には顔を出していたので、結果的に全ての回に出演した。
^ 各回のゲストは、『8時だョ!全員集合の作り方』(双葉社、2001年5月15日刊)に詳しく掲載されている。
^ 尾藤イサオ&ドーン名義で出演したことがある。
^ 盆が故障した回に、故障した盆の前で歌った。
^ a b c d 番組初期のトークコーナーにゲスト出演。
^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w コントにゲスト出演。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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