8時だョ!全員集合
[Wikipedia|▼Menu]
1970年代後半から1980年代前半にかけては、19時台前半の『まんが日本昔ばなし【第2期】』(1976年1月 - 1994年3月、毎日放送制作)、19時台後半の『お笑い頭の体操』『クイズダービー』(1976年1月 - 1990年3月)、21時台の『キイハンター[1]Gメン'75』(1975年5月 - 1982年4月)や『スクール☆ウォーズ』(1984年10月 - 1985年4月)などとともに、TBSの土曜夜の黄金期を象徴する番組であった。このため、後年TBS系の番組名場面集などで取り上げられることが多く、番組終了から40年近く経つ現在も高い知名度を誇っている。

1978年には日本PTA全国協議会が「低俗テレビ番組を野放しにできない」として放送中止をテレビ局とスポンサーに求め、チャンネルの切り替え運動や商品の不買運動までちらつかせた[2]が、視聴率はびくともしなかった。
番組の終焉

1981年に仲本、志村の競馬ノミ行為事件の影響、その年の春から始まったフジテレビの裏番組『オレたちひょうきん族』の台頭、さらに6月のギロチン事件の影響が重なり、1982年中頃から番組人気に陰りが見え始め、1982年10月2日の放送回で初めてひょうきん族に視聴率を抜かれた。これ以降は視聴率争いに苦戦し、1983年8月13日に視聴率で初の1桁(9.2%)を喫した。以降は視聴率が10%後半くらいが平均となり、ひょうきん族と抜きつ抜かれつの視聴率争いを繰り広げるが[注釈 7]、1985年に入ってからはほぼ後塵を拝した。

そして遂に、土曜20時台枠の抜本的な見直しにより、1985年9月28日に中断期間を含めて16年の歴史に幕を閉じた。TBSは、1985年7月19日の打ち切り発表の中で、「生放送を公開形式でやっていくことには限界があった。ナンセンスギャグもやり尽くした」ことを理由に挙げていた[4]
番組終了後

1985年10月5日は『電リクだョ!全員集合』と称し、約2時間枠で電話リクエスト形式で過去の名場面集を放送した。そして年内いっぱいは総集編番組『ドリフフェスティバル・全員集合ベスト100』でつなぎ、1986年1月から同じくドリフの加藤茶志村けんをメインに据えた『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』が始まった。ドリフのメンバーがメインの番組は、1992年9月終了の『KATO&KENテレビバスターズ』まで続いた。

ドリフメンバーのスケジュールは木曜日から土曜日までの3日間押さえており、基本的には木曜日に次週分(9日後)のネタ作り、金曜日に翌日分の立ち稽古、土曜日がリハーサルと本番という流れとなっていた[5]。「番組がスランプに陥っている」と言う理由で、通常のレギュラー放送を一時休止して(その間は総集編を放送)、ドリフメンバーによる「合宿」まで行ったという。このように莫大な労力を費やして制作していた番組であった上、セットや出演者への保険といった諸経費の高騰・安全性の問題・その後の様々な表現規制芸能事務所の生放送番組に対するスタンスの変化[注釈 8]などといった業界を取り巻く事情の大幅な変化もあり、現在ではこの様な規模の公開生放送番組を毎週1回のペースで作ることは極めて困難である。かつてドリフのマネージャーを務め、現在ドリフメンバーが所属するイザワオフィス社長の井澤健も『週刊新潮』のインタビューで[いつ?]「時代が変わり過ぎて、現在ではもう再現不可能な要素が多過ぎる」と語っている。
番組の構成

番組は下記の順番で行われていた。
オープニング曲
生放送開始1分前、すなわち19時59分(午後7時59分、同8時前)の時点ではステージ上にはいかりやのみが上がっており、ドリフの残りのメンバー(初期は手前から加藤・荒井・仲本・高木、志村が正式に入った後からは加藤・仲本・高木・志村の順で縦に並んでいる。なお、荒井がドリフ脱退後にゲスト出演した際は、志村の後ろに並んでいた)は観客席の通路に待機している。20時(午後8時)丁度になると、いかりやがカメラに向かって大きく指を差しだし「8時だョ!」と掛け声をかける。それと呼応するように、観客席から観客とドリフの残りのメンバー4人が片手を拳にして上げながら「全員集合!」と返し(連動して自動的にカメラの向きが変わる)、ゲイスターズの演奏と共に4人が客席後方から舞台上に登場する(1984年10月以降はメンバー全員が舞台に上がった状態でオープニングマーチが演奏されていた)。4人は、この演奏が鳴り終わるまでに、素早くステージに上がる。同時に舞台下手側からゲストが、両脇からレギュラー出演者が登場。その後、いかりやのちょっとしたトークを5秒程度挟み(「寒くないか?」「春休みでございますね」「いっていいか?」「さぁ元気良く」等。年内最後の放送に当たる場合は「本年最後の「全員集合」です」が挙げられる)、「行ってみよう?!」「ゆけ?!」「出発?!」という掛け声にあわせて
北海道民謡北海盆唄」の替え歌であるオープニングテーマ曲[注釈 9]が流れ出す。「北海盆唄」の替え歌の使用は『8時だョ!出発進行』と入れ替わりで番組が再開した1971年10月2日の放送からで(この年には『ドリフ音頭 北海盆唄より』が発表されている)、番組開始当初は放送当時のドリフの新曲(『ドリフのほんとにほんとにご苦労さん』や『ズンドコ節』などの替え歌)を使っていた。振付は藤村俊二。1971年10月2日の第2期開始以降、オープニングは3コーラス(2コーラス目は当日のゲストが歌い、キーが低い。その後3コーラス目に入る前にいかりやが「ゆけ?!」と掛け声を入れる)流していたが、1983年2月19日(第669回)の放送から2コーラスに短縮された(同時にキーも一定にされた)。そして最後はいかりやの「よろしく?!」の叫びと共に、全出演者がお辞儀をして終わる。一時期、「よろしく?!」の前に加藤がVTRで一言しゃべっていた時期もある。なお大物ゲストが登場した回では、大物ゲストはオープニングの踊りには参加せずに舞台下手側で待機、そして歌が終わるとオープニングを一旦中断し、いかりやが大物ゲストを紹介してから、そのゲストが現れて舞台中央(いかりやの隣)に立ったところで、「よろしく?!」→お辞儀となる。放送上では、1コーラス目では手書き調ロゴによる出演者(順番はドリフ→ゲスト→レギュラー→コーラス→ゲイスターズ。回によっては、レギュラーとコーラスの間に殺陣やダンスグループ、ナレーター等が加わる)のロールが、続いて2コーラス目ではゴシック体でスタッフロールがいずれも縦方向に流され、3コーラス冒頭で画面中央に「企画 渡辺プロダクション」と「製作著作 TBS」のクレジットが表示される。末期の頃は曲調を速くしたことや3コーラス目を省略したため、ロールを速くして1コーラスの中盤に出演者のロールを終えて、スタッフロールに移り、「企画 渡辺プロダクション」も「製作著作 TBS」も止めずに流している。オープニングでのドリフの衣装は2種類ある。1つは複数の白い丸(後に四角形に変更)がデザインされた半纏の色違い(いかりやは若草色、加藤は赤→ピンク、荒井は青、仲本はオレンジ→水色(荒井脱退後)、高木は紫、志村はオレンジ(見習い時代は一般的な半纏))に黄色い襷と長股引、もう1つは市松模様の半纏に色違いの襷と帯(いかりやは黄緑、加藤は赤、仲本は黄色、高木は茶色、志村はオレンジ)と半股引で、いずれも頭に鉢巻を着用。また、ゲストは左襟に「8時だョ!」、右襟に「全員集合」と書かれた陣羽織(男性は水色、女性はピンク)、ゲイスターズは青い法被を羽織っている。会場では、生放送が始まる十数分前から、いかりやが観客に対し何度も掛け声の練習を行わせる。2分前?数十秒前(19時58分以降)になると、いかりやは練習にあたって観客に対し、「ゲンコツを握って大きく上へ突き上げていただきます」と案内し、それと連動して残り4人のメンバーも観客とともに観客席通路上でシュプレヒコールの練習を行い、本番開始に備える。時報までの残り時間が少なくなり、残りあと10秒を切る段階になるといかりやは「○秒前」と口ずさむ。生放送である以上、オープニング終了後、出演者全員はそれぞれの出番に間に合うように、素早く着替えや化粧替えなどを短時間で済ます。ここで一旦幕が下り、観客に対しいかりやは「只今、コマーシャルに入りました。番組ではここが一番忙しいところであります」と案内する。なお、第2期のオープニングの歌詞は最終回まで変わらず同じものが使用され続けたが、例外として1981年2月の「ノミ行為事件」発覚から1ヶ月間、本来3番の歌詞を1番とし、3番の歌詞を異なるものに差し替えて歌われていた[注釈 10]
前半コント
この番組のメイン。通称「前半」。時間にして20時04分頃。大体の場合はいかりやが観客に向かって「オイッスー!」と挨拶してコントが始まる(例外的に「おはようさん」などの挨拶で始まったこともあった)。観客もこれに応えて「オイッスー!」と返し、いかりやは観客の反応に対して「元気がいいね!もういっちょ、オイッスー!」(学校の先生など善良役の場合など)または「声が小さいぞ!!オイッスー!」(悪役の場合など)と再び挨拶をする。コントの内容によって挨拶にもレパートリーがあり、母親役の時は「あ?らみんな元気がいいわねえ?、オイッス」と控えめな女性言葉に、泥棒や忍者になる時はいつものように観客へ挨拶させた後に「シッ、静かにしろ!!」とドスを効かせた低い声で返してオチを作る。時には挨拶をしなかった観客に対してもう一度挨拶をさせて「よく出来た。みんなで拍手!」と他の観客に拍手を促す事もあった。いかりやが舞台に入ってくる前の出囃子の演奏時には画面下に「○○(会場名)から生中継」のテロップが出る。事前録画の回では、テロップの表記が「○○から中継」に変更された。概ね20時26分頃にオチがつくと「盆回り」が流れ、大勢のスタッフがステージに繰り出しゲストの歌1に間に合うように、30秒にも満たないといわれる短時間で素早くコントのセットや小道具類をステージ脇に撤収させる。短時間での撤収を可能にするため、大きなセットは全て可動する仕掛けになっている(建物類ではキャスターが付けられていたため、その建物類と床面との間にわずかな隙間があった)。この時点で演奏席はスタンバイを完了している。撤収作業が終わるのと前後して基本的にステージ下手側から歌手が登場し、そのままゲストの歌1に入る。
ゲストの歌1
アイドル歌手・アイドルグループ。「盆回り」が流れる3 - 5分前にはコントのセットを撤収するスタッフ共々舞台袖方向でスタンバイしている。このゲストの歌1が終わるとCMとなる。
ゲストの歌2・3
若手から中堅の実力派歌手・シンガーソングライターなど(2組)。歌謡曲ポップスが主体だが、若手・中堅の演歌歌手が入ることもある。またゲスト歌手が3組(普段より1組少ない)の時は、キャンディーズなどの女性レギュラーが歌う事が有った。なお、このゲストの歌1・2・3については、当日の出演者の顔ぶれや他コーナーの状況などによって順序が若干左右する。
少年少女合唱隊
1972年から始まったゲストと共に歌うコーナー。階段様のステージが設置され、パイプオルガンが奏でるジャック・アルカデルトの「アヴェ・マリア」と共にスタートし、司会役のいかりやが神父のような服装、残りの出演者が白いスモックに白いベレー帽、すなわち少年聖歌隊の様式で登場する。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:213 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef