2010年現在、エクタクローム100D等のカラーリバーサルフィルムのみ日本国内で現像が可能である。現像は墨田区にある有限会社レトロエンタープライズ「レトロ通販」が担当し、主要カメラ店などからコダック社製スーパー8フィルムの現像依頼が可能である[2]。
シングル8「シングル8」および「富士フイルムのカメラ製品一覧#シングル8使用カメラ」も参照
富士フイルムが開発し、1965年に発表した規格[3]。パーフォレーションや画像の寸法などはスーパー8とほぼ同じだが、PETベースを採用しており、従来のアセテートより薄く、強度が強い。スーパー8とは厚みが違うためシングル8とスーパー8をつなぐと映写時にピントがずれる。マガジンカセット形式で、VHSテープの様に2軸で走行するため巻き戻しなどが可能である。
当初は「ラピッド8」の名称で開発し、パーフォレーションはダブル8と共通し映写機の互換性を保持した。ドイツのアグフアと共同開発で世界展開を目指したが、開発中にアグフアがコダックのスーパー8に鞍替えて開発から離脱した。富士フイルムは日本のカメラやフイルムメーカーに協力を募り、パーフォレーションと性能をスーパー8に同等として、発売当初から日本国内でデファクトスタンダードの立場を確立した。取り扱いの良好さは海外でも好評価を受け、富士フイルムの世界市場進出の足がかりになった[4]。
後に参議院議員となる扇千景が1965年にシングル8のCMタレントとして起用され、「私にも写せます」のキャッチフレーズで当時発売した小型8ミリカメラのフジカシングル8とP1を宣伝し、「私にも写せます」は当時の流行語となった。
富士フイルムはカメラの出荷停止後も販売を継続していたが、2007年3月にフィルムの販売を、2008年9月に現像サービスをそれぞれ終了することを2006年4月25日に発表[5]した。映画関係者や文化人らが危機感を持ち「フィルム文化を存続させる会」が結成[6]し、大林宣彦監督らを発起人に約300人の賛同者が事業存続を求めて同社と協議し、設備の更新と修理、販売を数年延長した[7]。
現在はサイレントフィルムのみが販売されているが、現像後に磁性体を塗布する「アフレコ仕上げ」が行われて、映写機などで後から録音が可能である。2008年ごろから機械の故障を理由に「アフレコ仕上げ」を中止したが2009年6月1日から再開した。
フィルム現像は2009年現在、日本国内では調布市のフジカラーサービス東京現像所と墨田区の有限会社レトロエンタープライズ「レトロ通販」で可能である。
富士フイルムは2009年6月に、フィルム販売と現像サービスの段階的終了予定を
2010年5月 FUJICHROME RT200N販売終了
2012年3月 FUJICHROME R25N販売
2013年9月 富士フイルムにおける現像サービス終了
と発表した[8]。 撮影および映写に必要な一般用機材は生産終了している。中古カメラを扱う店舗やオークションなどで中古品が入手可能、例外的にステレオスプライサー、スプライシングテープは販売が継続されている。 代表的な機材を記す。「※」は既に生産が終了している。
機材
8ミリカメラ※ - 付属機器として、レリーズ、電磁レリーズ、各種フィルタ、アングルファインダなどがある。
三脚
照明機材
エディタ(編集機)※
スプライサー
映写機※
スクリーン - 家庭用の8ミリでは白い壁、あるいはシーツなどで代用されることも多かった。
脚注^ Baumgarten, Martin W.. “8mm Film Gauges (archived page)”. Lavender.fortunecity.com. 2012年1月23日時点の ⇒オリジナルよりアーカイブ。2014年3月15日閲覧。
^ ⇒KODAK スーパー8フィルム 製品情報
^ FUJIFILM シングル8
^ ⇒FUJIFILM 8mmフィルム
^ ⇒シングル-8用フィルム 販売および現像終了のお知らせ
^ ⇒フィルム文化を存続させる会
^ ⇒シングル-8用フィルム「FUJICHROME R25N」「FUJICHROME RT200N」販売および現像サービス終了延期のお知らせ 平成19年1月10日
^ ⇒シングル-8用フィルム 「FUJICHROME R25N」「FUJICHROME RT200N」販売および現像終了のご案内 2009年6月2日[リンク切れ] ⇒「シングル-8用フィルム…販売および現像終了のご案内」 ( ⇒ニュースリリースポータル)
関連項目
8ミリビデオ
外部リンク
ムエン通信(総合情報、古い機材のマニュアルなど)
⇒8ミリ映画制作マニュアルWIKI(8ミリ映画制作のガイドブック)