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千年紀:1千年紀
世紀:7世紀 - 8世紀 - 9世紀
十年紀:700年代 710年代 720年代 730年代 740年代
750年代 760年代 770年代 780年代 790年代
イスラム帝国の拡大。ウマイヤ朝時代までにイスラム帝国は中央アジアからイラン・イラクを経て、エジプト・北アフリカを超えてイベリア半島まで拡がった。ウマイヤド・モスク。ウマイヤ朝第6代カリフのワリード1世により705年にシリアのダマスカスに建築された現存する世界最古のモスクで、カアバ・預言者のモスク・岩のドームに次ぐイスラム教第4の聖地として巡礼者が絶えない。クルアーンとイスラムの書法。すでに正統カリフ時代にはクルアーンの編纂が行われていたが、この世紀になると洗練された書体が生み出され用いられた。画像はアッバース朝初期に置かれた都クーファの名から「クーフィー体」と呼ばれた書体によるクルアーンの一節。円城(ムダッワラ)都市バグダード。アッバース朝の第二代カリフ・マンスールによって766年に完成したこの都市はティグリス川に面した交通の要衝で最盛期にはその人口は100万人を擁した。アラビア語で「平安の都」を意味するマディーナ・アッ=サラームとも呼ばれる。画像はアッバース朝時代のバグダードの再現地図。イコノクラスムの始まり。イスラム帝国の攻撃から帝都コンスタンティノポリスを死守した皇帝レオン3世により聖像禁止令が出され、東ローマ帝国と周辺のキリスト教国は宗教的混乱に巻き込まれることになった。画像はレオン3世とその子コンスタンティノス5世の肖像が刻まれたソリドゥス金貨。第2ニカイア公会議。東ローマ皇帝コンスタンティノス6世とその母である皇太后エイレーネー(後に女帝)により787年に開催されたこの全地公会議により、イコノクラスムの嵐はいったん収まることになった。画像は1502年にディオニシイにより描かれたロシア・ヴォログダ州にあるフェラポントフ修道院フレスコ壁画の公会議の場面。ファラス(英語版)の聖堂遺跡(英語版)。ヌビア(スーダン)の国家マクリア(英語版)では、イスラム勢力との抗争が落ち着いた8世紀から11世紀にかけて独特なキリスト教文化が発展した。