74式戦車
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副武装として、12.7mm重機関銃M2を砲塔左側に、74式車載7.62mm機関銃主砲同軸に各1丁装備する(12.7mm重機関銃M2は陸上自衛隊をはじめ、西側諸国で地上用、車両用、対空用を問わず広く用いられている重機関銃である)。STB-1ではリモコン可動式で、車長席に機銃用ペリスコープが装備されていたが、ペリスコープからの狭い視界からは精密射撃が期待できない[12]ため、STB-2以降は通常の手動操作に戻された(74式車載7.62mm機関銃は、本車のために62式7.62mm機関銃を元に開発された新型機関銃である)。M2用の12.7x99mm NATO弾は660発、74式機関銃用の7.62x51mm NATO弾は4,500発を車内に格納する。

このほか、乗員用に11.4mm短機関銃弾薬150発)を2挺、64式7.62mm小銃(弾薬200発)を1挺、21.5mm信号けん銃(弾薬10発)を1挺、手榴弾(8発)を搭載する[14]
防護力

防弾鋼板の溶接構造を採用し[15]90式戦車のような複合素材は採用されていない。だが、避弾経始の思想が随所に見られる設計となっており、車体前方装甲を例にあげると、約80mmの装甲板が斜めに溶接されており、水平弾道に対する厚さは上部装甲板で189mm、下部装甲板で139mmとなっている[16]

車体側面は厚さ35mmの装甲板で構成されている[16]。車体後面装甲は厚さ25mmとされる[16]。防弾鋳鋼製の砲塔に関しては、砲塔上面が約40mm、前面装甲は189-195mmと推測されている[16]

他国の第2世代戦車と比較しても、車体前面装甲厚はレオパルト1の122mm・140mmより厚く、T-62の174mm・204mmよりやや劣る程度である[16]。車体側面・後面装甲厚もレオパルト1と同程度とされる[16]

発煙弾発射機は61式では後からの増設であったが、74式では砲塔側面には3連装式の74式60mm発煙弾発射機を標準装備している[17]
車体.mw-parser-output .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .trow>.thumbcaption{text-align:center}}油気圧サスペンションにより車体を前に傾斜させている様子砲塔側面に装備された「74式60mm発煙弾発射機」

乗員は車長操縦士砲手装填手の4名が乗車する[18]。配置は、車体前方左側に操縦士、砲塔右側に前から砲手、車長、砲塔左側に装填手となっている[18]。前方から見て左右に2人ずつ配置されるのは、被弾の際に一度に機能を失うリスクを軽減するためでもあった[18]

61式戦車では道路事情の制約のため設計段階から鉄道輸送を考慮し、横幅を在来線車両限界である3m以下とすることが前提であった。しかし1964年の東京オリンピックを機にモータリゼーションが進み、1966年には鉄道部隊の第101建設隊が解散するなど鉄道輸送に固執する意味が薄れたこともあり、最終的に鉄道輸送を考慮しない3.18mとなった。74式以降に導入された戦車は全て3mを超えるサイズとなっている。

車体は61式に比べ大型化したが車内は狭く、砲手席に乗り込むには一旦車長席に座り、次に砲塔天井裏の取っ手につかまって体を持ち上げ、その足先にある座席に滑り込むという手順が必要であった。部隊配備された当時、本車を見学に来て車長席に座った米軍将校は、そこを砲手席と勘違いして「車長席はどこか?」と尋ね、今座っているのが車長席で砲手席はその足先にあると教えられ、その狭さに驚いたというエピソードもあるなど、当時の日本人の体格でも余裕のない狭さであった。砲手ハッチはSTB-1ではソ連戦車と同じ前側に開くタイプだった[12]が、STB-2以降は通常の後ろ側に開くタイプになっている。

74式戦車は日本の戦車としては初めて上部転輪を排し、直径の大きい下部転輪を採用している。61式戦車では超信地旋回ができなかったが、74式戦車からは可能になっている。

操縦席にはT字型のハンドルがあり、アクセル・クラッチ・ブレーキがそれぞれ備わる[18]。左側に変速レバー、コントロールボックス、前後・上下調節式の座席下には緊急脱出用のハッチが設けられている[18]。また、緊急時用に油圧式懸架装置の手動コントロール装置も配置される[18]


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