7人制ラグビー
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1883年に、メルローズの地元のクラブメルローズRFCの資金集めのためにラグビーの大会を開こうと考えたが人数がなかなか集まらず、メルローズの肉屋であったネッド・ヘイグとデビッド・サンダーソンによって少ない人数でラグビーを行うにはと考え出されたのが七人制ラグビーであった。史上初の7人制ラグビーの試合はメルローズグラウンド、グリーンヤーズで行われた。2年後の1885年、ガラにおいてタインデールはスコットランド外のクラブで初めてボーダーズのセブンズタイトルの1つを獲得した[9]

ボーダーズでの7人制ラグビーの人気にもかかわらず、1920年代1930年代まで他の場所では流行しなかった[10]。スコットランド外での初の7人制ラグビー大会は1921年にイングランド北東部ノース・シールズで開催されたパーシー・パーク・セブンズである[9]。ここはスコティッシュ・ボーダーズと近かったため、この地域からの関心を集め、決勝はセルカーク(優勝)とメルローズ(準優勝)との間で争われた[9]

1926年、イングランドの主要な大会ミドルセックスセブンズがロンドン在住のスコットランド人J.A. Russell-Cargill博士によって設立された[9]。7人制ラグビーのイングランドへの普及における重要な出来事の一つがこのミドルセックスセブンズであった。ミドルセックスセブンズの小委員会にはウェーベル・ウェイクフィールドやビル・ラムゼイといった風格のある人物がいた[10]。ミドルセックスセブンズはチャリティーのためのすばらしい資金集めの催しでもあり、1926年にはキング・エドワード7世病院のために1600ポンドを集めた。当時は標準的な入場料は1シリング、スタンド席は5シリングであった[10]

ミドルセックスセブンズでの7人制ラグビーの試合の1927年の記述は、イングランドの人々に対するこの競技の目新しさを示している。

フィールドはとてもオープンであり、もしボールを持って逃げられたとすると、彼を捕まえるのには全速力で走る必要があるが、非常に多くの場合そこにはもういなかったのだ[11]

スコティッシュ・ボーダーズは農村地域であるのに対して、ミドルセックスセブンズは人口数百万人のロンドンの郊外の近くであった。第2回のミドルセックス大会には1万人の観客が詰め掛けた[11]。そして、ボーダーズ・セブンズはスコットランドラグビーの中核地域において選手の技術に磨きをかけていたのに対して、ミドルセックスセブンズはロンドンラグビーと同じように行っていた。ミドルセックスセブンズに出場していた地元の選手には、前述したウェーベル・ウェイクフィールドやブラックヒースFCのカール・アーボルド(後のシティ・オブ・ロンドンの法律顧問官)、ロンドン・ウェルシュRFCのウェイク・パウエル、後にフォー・ホームユニオンツアー委員会の委員長となったジョン・タレントがいた[10]。彼らはセールRFC1936年)やカーディフRFC(1939年)といった様々な招待チームと親交を持った。セールRFCのバックスにはウェールズ代表のウィルフ・ウーラーやクロード・ダビー、スコットランド代表のケン・ファイフがおり、カーディフRFCには再びウィルフ・ウーラーやレス・スペンス、ウェンディー・デービスがいた[10]

史上初の公式に認められた国際大会は、1973年にスコットランドラグビー協会の百周年記念行事の一部としてマレーフィールド・スタジアムで行われた。
国際的発展

7人制の成功により、史上初の公式国際大会の開催から3年後の1976年に香港セブンズが始まり40年以上、開催は続いている。「メルローズ・カップ」を争うラグビーワールドカップセブンズ1993年に開始された。最もよく知られている3つの7人制ラグビーの大会は香港セブンズ、ウェリントンセブンズ、ドバイセブンズであり、これらはワールドラグビーセブンズワールドシリーズの一部を構成している。

スコットランドとの結び付きは1970年代における香港セブンズの設立でも継続し、香港セブンズは主に "Tokkie" Smithといった専門家らによって設立された。イングランドでは、ロンドン・スコティッシュRFCが開始時からミドルセックスセブンズに強く関与していた。香港セブンズは時代を先取りしており、ラグビーユニオンの近代化に影響力の大きい力であった。例えば、香港セブンズは大きなスポンサーを引き付けた初めてのラグビーユニオン大会の1つであり、1976年大会ではキャセイパシフィック航空がスポンサーを務めた[12]。また、7人制ラグビーは世界主義的な国際競争の意識をラグビー界にもたらした。このような意識は、フランスが少し関わっている以外、1987年ラグビーワールドカップが初めて開催される以前にはラグビー界には存在しない傾向があった[13]。特に香港は「ビッグエイト」の1つと見なされていなかった。そして、英連邦のチームは悪名高く排他的な傾向にあった。1986年までには、香港セブンズは他国に対する良い手本として支持されていた。

この7人制国際大会は疑いなく最も壮観、魅惑的で、世界で最もよく組織されたラグビー大会であり、どこでも見られるセブンズ・ラグビーの最高水準を一貫して生み出してきた。

私が最初に観戦した際にオーストラリア人、ニュージーランド人、 フィジー人、そしてイギリス人選手の上質のプレーを見たことは驚きではなかったが、これまでラグビーがプレーされていることを私が知りもしなかった国々によって産み出される驚くほどに質の高いプレーには圧倒された。韓国および西サモアはあらゆる点で日本およびトンガに劣っていなかった。インドネシア、タイ、シンガポールは純然たる体の大きさや厚さに欠けていることで克服できないハンディキャップを負っていたが、互いに対抗して幅広いランとハンドリングの技術を示し、これらは無条件の称賛に値した。パプアニューギニア、スリランカ、ソロモン諸島はいや応なく主要なラグビー強豪国によって打ち負かされたが、彼らは注目すべきほどに高いレベルの技術を持っており、この競技の将来は前途洋々である。

香港大会の週には、数日間にわたって24カ国の代表が混ざることができ、この大規模な知識の交流は新興国に対して長期的には有益なことづくめである。上位8カ国のシード国がプールシステムで戦った初日の後、2日目は3つの異なるレベルの競技会に分かれる。…この偉大な大会の強みは、開幕日に世界で最も有名な選手達と、ラグビーがマイナースポーツである国から来た相手がピッチを共にする点にある。…香港セブンズのような大会が続いている間は、ラグビーの責任者達は、この競技が世界中の100を超える国々で繁栄し続けることを確信できるだろう。

[13]

しかしながら、この見かけの多様性とは裏腹に、国際ラグビーを悩ませてきた同じ古い問題の一部が1980年代の香港セブンズではまだ明白であった。例えば、1984年の大会での香港対バーレーンの試合の写真には、民族的にアラビア人あるいは中国人である選手は誰も含まれいないように見え、代わりにどちらのチームもかなり明確に北ヨーロッパに民族的起源を持っていた[14]

7人制ラグビーはスコティッシュ・ボーダーズにおいて人気を保ち、この地方では最高峰の10の7人制ラグビーの大会によって「Kings of the Sevens」と呼ばれるリーグ大会が作られている。7人制ラグビーの創造におけるメルローズRFCの役割を称えて、クラブはヘイグと共に2008年IRB殿堂入りした[15]

7人制ラグビーはフィジートンガサモアの南洋諸国やアフリカのケニアにも強く根付いている。多くのラグビーがマイナーな国々(例えばポーランドの場合)において、ラグビーを人々に紹介する手段として7人制ラグビーに焦点を合わせる傾向がある[16]。7人制ラグビーは香港、シンガポール、ドバイといった15人制の普及が成功してない場所で盛んになっている。加えて、2020年現在、セブンズワールドシリーズの全てのレグに参加している15の核となるチームのうち7つ(フィジーサモアケニアアメリカ合衆国カナダスペイン)は、15人制では広く認められたトップティアの国には入っていない。
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