7つのヴェールの踊り
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アルマン・ポワンの「サロメの踊り」(1898)[1]

7つのヴェールの踊り(ななつのヴェールのおどり、ドイツ語:Tanz der sieben Schleier (Salome Tanze)、英語: Dance of the Seven Veils)は、サロメヘロデ・アンティパスの前で踊ったという踊りのことである。

洗礼者ヨハネの処刑をめぐる福音書の記述では、王の前で踊る「ヘロデヤの娘」についての言及があるが、娘は名前では呼ばれておらず、踊りにもとくに名前はついていない。

「7つのヴェールの踊り」という名前は1891年にオスカー・ワイルドフランス語で書き、1893年に英訳して翌年に英語版が発行された戯曲サロメ』のト書き「サロメは7つのヴェールの踊りを踊る」([Salome dances the dance of the seven veils.])によるものである[2][3]

この踊りはリヒャルト・シュトラウスオペラサロメ』 にも組み込まれている。

古代ローマユダヤ人歴史家フラウィウス・ヨセフスがヘロデ・アンティパスの義理の娘の名前をサロメと記載しているが、踊りやサロメとヨハネの関連については何も述べていない[4]
聖書の記述

もとになった箇所は、新約聖書マタイによる福音書』14章1?12節、同『マルコによる福音書』6章14節?29節である。

バプテスマのヨハネヘロデ(・アンティパス)が自分の兄弟ピリポ(異母兄ヘロデ2世)の妻ヘロデヤと結婚したことを批判したため収監されていた。

ヘロデヤの娘は、ヘロデの誕生日の祝いの席で踊り、何でも褒美をもらえることになった。

ヘロデヤは、ヨハネの首をもらうよう娘に言った。

ヘロデみずからはこれに反対するだけの判断力を持っていたが、いやいやながらこの要求をのむことになった。
マタイによる福音書そのころ、領主ヘロデはイエスのうわさを聞いて、家来に言った、「あれはバプテスマのヨハネだ。死人の中からよみがえったのだ。それで、あのような力が彼のうちに働いているのだ」。というのは、ヘロデは先に、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことで、ヨハネを捕えて縛り、獄に入れていた。すなわち、ヨハネはヘロデに、「その女をめとるのは、よろしくない」と言ったからである。そこでヘロデはヨハネを殺そうと思ったが、群衆を恐れた。彼らがヨハネを預言者と認めていたからである。さてヘロデの誕生日の祝に、ヘロデヤの娘がその席上で舞をまい、ヘロデを喜ばせたので、彼女の願うものは、なんでも与えようと、彼は誓って約束までした。すると彼女は母にそそのかされて、「バプテスマのヨハネの首を盆に載せて、ここに持ってきていただきとうございます」と言った。王は困ったが、いったん誓ったのと、また列座の人たちの手前、それを与えるように命じ、人をつかわして、獄中でヨハネの首を切らせた。その首は盆に載せて運ばれ、少女にわたされ、少女はそれを母のところに持って行った。それから、ヨハネの弟子たちがきて、死体を引き取って葬った。そして、イエスのところに行って報告した。 ?  『新約聖書『マタイによる福音書』14章1?12節』。ウィキソースより閲覧。 、口語訳聖書
マルコによる福音書さて、イエスの名が知れわたって、ヘロデ王の耳にはいった。ある人々は「バプテスマのヨハネが、死人の中からよみがえってきたのだ。それで、あのような力が彼のうちに働いているのだ」と言い、他の人々は「彼はエリヤだ」と言い、また他の人々は「昔の預言者のような預言者だ」と言った。ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首を切ったあのヨハネがよみがえったのだ」と言った。このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤをめとったが、そのことで、人をつかわし、ヨハネを捕えて獄につないだ。それは、ヨハネがヘロデに、「兄弟の妻をめとるのは、よろしくない」と言ったからである。そこで、ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。それはヘロデが、ヨハネは正しくて聖なる人であることを知って、彼を恐れ、彼に保護を加え、またその教を聞いて非常に悩みながらも、なお喜んで聞いていたからである。ところが、よい機会がきた。ヘロデは自分の誕生日の祝に、高官や将校やガリラヤの重立った人たちを招いて宴会を催したが、そこへ、このヘロデヤの娘がはいってきて舞をまい、ヘロデをはじめ列座の人たちを喜ばせた。そこで王はこの少女に「ほしいものはなんでも言いなさい。あなたにあげるから」と言い、さらに「ほしければ、この国の半分でもあげよう」と誓って言った。そこで少女は座をはずして、母に「何をお願いしましょうか」と尋ねると、母は「バプテスマのヨハネの首を」と答えた。するとすぐ、少女は急いで王のところに行って願った、「今すぐに、バプテスマのヨハネの首を盆にのせて、それをいただきとうございます」。王は非常に困ったが、いったん誓ったのと、また列座の人たちの手前、少女の願いを退けることを好まなかった。そこで、王はすぐに衛兵をつかわし、ヨハネの首を持って来るように命じた。衛兵は出て行き、獄中でヨハネの首を切り、盆にのせて持ってきて少女に与え、少女はそれを母にわたした。ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、その死体を引き取りにきて、墓に納めた。 ?  『新約聖書『マルコによる福音書』6章14?29節』。ウィキソースより閲覧。 、口語訳聖書
オスカー・ワイルドオーブリー・ビアズリーによる「腹踊り」("The Stomach Dance")は7つのヴェールの踊りの解釈のひとつである。

サロメのダンスが「7つのヴェール」にまつわるものだというアイディアは1891年のオスカー・ワイルドの芝居『サロメ』に端を発する。ワイルドはサロメのイメージを女性の欲望の権化に変容させたフランスの先行する作家たちから影響をうけていた。ストリップティーズの歴史に関する著書を著している研究者レイチェル・シュタイアはこの点についてステファヌ・マラルメジョリス=カルル・ユイスマンスの影響を指摘している[5]。ワイルドはとくにギュスターヴ・フローベールの作品「へロディア」("Herodias")からとくに影響を受けており、この物語ではサロメがヘロデ・アンティパスを喜ばせようと両手をついて踊る。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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