662_BPM_BY_DG
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『662 BPM BY DG』
電気グルーヴスタジオ・アルバム
リリース1990年6月28日
録音1990年
Studio EGM
ジャンルエレクトロニック
ヒップホップ
ポップス
テクノ
ブレイクコア
エクスペリメンタル
時間3543
レーベルSSE
プロデュース石野卓球
電気グルーヴ アルバム 年表

『662 BPM BY DG』
1990年)『FLASH PAPA
1991年

EANコード
EAN一覧

ASIN B00005IHSV(1990年)
ASIN B07PNVRL6D(1993年)

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『662 BPM BY DG』(ろくろくに・ビーピーエム・バイ・ディージー)は、日本テクノユニットである電気グルーヴインディーズ・レーベルよりリリースされた1枚目のアルバム。

後に至るまで演奏されている「電気ビリビリ」「WE ARE」「N.O.」の原曲を収録。7曲目から11曲目は1分ずつの無音トラックとなっている。

当時インディーズで活動していた電気グルーヴにソニー・レコードからメジャー・デビューのオファーがあった際に、同グループの中心人物であった石野卓球の「どうしてもインディーズでアルバムを出しておきたい」という思いから本アルバムは制作された。

ちなみに、リリース元のレーベルであるSSEの前身はトランス・レコードであり、前身の人生時代にナゴムレコードとキャプテン・レコードからリリースしていた同グループは、当時「インディーズ三大レーベル」と言われていた全てのレーベルからリリースしたことになる。
背景

1988年、ナゴムレコード所属のテクノポップバンド・人生(ZIN-SAY!)で活動していた石野卓球は、同レーベル所属の筋肉少女帯がメジャーデビューしたこと、あるいはTBS系深夜番組平成名物TV』(1989年 - 1991年)での1コーナー「三宅裕司のいかすバンド天国」から多数のバンドが輩出されていることに焦りを感じていたが、結果として同番組には出演しなかった[1]

またその当時、YelloM/A/R/R/Sボム・ザ・ベースなどを聴き衝撃を受けた石野は、人生としての活動に疑念を持ち始めていた[1]。自身の音楽に対する嗜好と人生の活動が乖離している状態であったため、一度は人生とは別のバンドを結成することも検討したが、人生のライブにはパンクスの観客が来るなど誤解されていた面があったこと、プライベートでは石野が彼女と別れたこと、プロになることを優先しすぎたあまりバンドメンバー同士が倦怠期に陥っていたこと、メンバー・おばば(EX分度器)が脱退の意向を示したことなどを理由に人生の解散を決定した[1]

人生の解散後に一時は音楽を辞める事も想定した石野であったが、メジャーデビューを目指すのではなく、自身が納得できる音楽を製作すること、マイペースで活動することを念頭に電気グルーヴを結成する[1]。その当時に石野はYello、ポップ・ウィル・イート・イットセルフジーザス・ジョーンズなどを愛聴していたが、パブリック・エナミーを聴いた影響で電気グルーヴではラップを全面的に採り入れることを検討することとなった[1]

一方で人生解散後、音楽の道から外れビデオ制作会社に就職していたピエール瀧は、当初は電気グルーヴには参加しない意向であったが、石野からの勧誘によりグループへの参加を承諾する[2]。その他に人生から若王子耳夫、それ以外で高橋嵐をメンバーに加え正式にグループの結成となった。
録音

電気グルーヴとしての楽曲製作に取り掛かった石野は、かなり早いペースで「WE ARE」「電気ビリビリ」「無能の人」「ブス女」などの曲を完成させた[1]。中でも「電気ビリビリ」は1時間ほどで製作されたという[1]。自宅アパートで打ち込みと作詞を同時に行い、曲の完成と共に瀧に連絡しスタジオに呼び出して歌唱パートを指導していた[1]

また、ラップを導入するために最初に制作されたのが「WE ARE」である[2]。レコーディングでは打ち込みが主体となっていたことに関し、「後期の人生で忘れてた感覚がよみがえった」と期待感が高かったことを瀧は語っている[2]
音楽性
歌詞とテーマ

当初製作された曲の中でスラッシュメタルをテクノで構成した「JB・ザ・スラッシャー」という曲があったが最終的に没になった[1]。しかし、この着想から同グループの当時のコンセプトは「スラッシュ・テクノ」となり、90年代のパンクデジタルハードコアを志向していた[1]。また、当初は人生の延長線上にある音楽性であったが、ナパーム・デスなどのグループからの影響やハウス、ヒップホップを導入し、「打ち込みでも力強い音でありたい」と志向したことが人生との最大の違いであると石野は語っている[1]

収録曲の内、「N.O.」の原曲「無能の人(LESS THAN ZERO)」は、人生時代の自身のことを歌詞にしたという[1]。これは自身にとって初めて心情を歌った曲であり、石野自身にも特別な曲であるとして「好きな曲ですね」と語っている[1]。また、歌詞に関してはコミカルなものはやめ、物語のような歌詞や「短くてズバリと言えるような歌詞」を書いていきたいとも語っている[1]

タイトルに関して、「662BPM」とは収録されている楽曲のそれぞれのBPMを単純に総て足した数値から来ていると一般的には言われている。ただし、ライナーノーツに記載の各曲のBPMを足し合わせると合計622BPMとなり、BPMの記載がない6曲目の「LEE」が40BPMでなければならない。また、BPMが記載されている図表では、12曲目の120BPMを後から足してTOTAL662+120との記載になっている。このことについて石野卓球は「全部の曲を足したBPMをタイトルにしたんだけど、計算を間違っていた」と語っている[3]
サンプリング

無許可で多数のテレビ番組有名人の音声をサンプリングして使用(サンプリングの元ネタはジャケットに記載)、さらに放送禁止用語、差別的な表現を含む歌詞を多用している。後に契約することとなるソニーの歌詞検閲では、この頃の歌詞はほとんどNGとなり、改詞してリリースしている(しかし、ライヴにおいては原曲の歌詞、もしくは原曲とも異なる歌詞で歌っていた)。

改詞の一例:

「とっとと帰って糞でも食べて 犬の死体オナニーしろよ」→「とっとと帰ってメシでも食べて ママの下着フィーバーしろよ」(電気ビリビリ)

「邪魔な奴らは跳ね飛ばせ 特にババアやジジイは高得点」→「邪魔な奴らはブッ飛ばせ 特に砂かけババアは高得点」(電気ビリビリ)

強制フェラチオ 泉重千代 ギネスブックで長寿世界一」→「ネオンにおやじ 野獣におやじ 三つ子の魂百までおやじ」(ウィアー/WE ARE  2コーラス目以降は全て書き直されている)

キチガイ」を曲全編に渡って連呼(映画『その男、凶暴につき』の1シーンからのサンプリング)する「D・E・P」は楽曲そのものがお蔵入りになっている。


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