両親が離婚している6才のメイソンJr.は、姉サマンサとともに、母親オリヴィアの故郷ヒューストンに引っ越すことになる。バンド活動にうつつを抜かす父親メイソン・シニアは、曲作りのためにアラスカ州に旅立ったものの、結局アメリカ本土に舞い戻り、定期的に子供達と会うようになる。
オリヴィアは職を得るために大学で心理学を学ぶが、そこで教授のウェルブロックと再婚し、教授の2人の連れ子と共に6人の生活が始まる。だがウェルブロックが酒を飲んで暴力をふるうのを見て、オリヴィアは子供2人と家を飛び出す。オリヴィアは大学の教職に就き、メイソン・シニアは恋人と再婚し、赤ん坊も生まれる。
メイソンJr.は思春期を通して、反抗期や失恋を経験し、やがて写真撮影に没頭するようになる。家を出て、大学の寮に入った日、メイソンJr.はルームメイトたちとビッグ・ベンドにハイキングに行く。 ※括弧内は日本語吹替
キャスト
家族
メイソン・エヴァンス・ジュニア - エラー・コルトレーン
オリヴィア・エヴァンス - パトリシア・アークエット(松本梨香): メイソンの母親
サマンサ・エヴァンス - ローレライ・リンクレイター
2002年5月、監督・脚本を務めるリンクレイターが生まれ故郷のテキサス州オースティンでタイトル未定の映画を撮影すると発表した[8]。その時、リンクレイターは「子供が6歳から18歳になり、大学に進学して親元を離れるまでの12年間の親子関係を描き出したい。しかし、子供に起きる変化は多すぎて十分に語りつくせない。そこで、子供が経験するものすべてを盛り込むつもりで脚本を執筆した」と述べ[8]、毎年数週間ずつ撮影するつもりでキャストとスタッフを集めた。リンクレイターは当時7歳だったコルトレーンを本作の軸となる役であるメイソン・ジュニアに抜擢した[9][16]。コルトレーンは12年間にわたってメイソン・ジュニアを演じきった。
本作のキャストはカリフォルニア州のデ・ハヴィランド法
(7年以上にわたる仕事の契約を結ぶのは違法とする法律)のために契約書にサインすることができなかった。そのため、リンクレイターは出演者の一人であるイーサン・ホークに本作の撮影期間中に自分が死んだなら、自分の代わりに作品を仕上げるよう言った[17]。12年間の撮影に加えて、本作の脚本は主演4人が役を演じる中で書き上げられた[18]。このため、リンクレイターはあるシーンの脚本を撮影前夜に書き終えたこともあったと述べている[18]。