5セント硬貨_(アメリカ合衆国)
[Wikipedia|▼Menu]

5セント硬貨 アメリカ合衆国
価値0.05 アメリカドル
質量5.000 g (0.1615 troy oz)
直径21.21 mm (0.835 in)
厚さ1.95 mm (0.077 in)
縁Plain
構成銅75%
ニッケル25%

ウォータイム・ニッケル(1942年中頃から1945年)
銅56%
銀35%
マンガン9%
鋳造年1866年?現在(1922年、1932年、1933年除く)
カタログ番号-
表面
デザイントマス・ジェファーソン
デザイナージェイミー・フランキ
デザイン時期2006年
裏面

デザインモンティチェロ
デザイナーフェリックス・シュラーグ
デザイン時期1938年

アメリカ合衆国5セント硬貨は、アメリカ合衆国において使用されている硬貨。主に「ニッケル(英語:Nickel)」の通称で知られ、1アメリカドルの20分の1の価値と等しい。

5セント硬貨の表側には、1938年よりアメリカ合衆国第3代大統領を務めたトマス・ジェファーソンの肖像が描かれている。また1938年から2003年まで、硬貨の裏側には彼の邸宅であり世界遺産でもある、モンティチェロがデザインされている。2004年2005年、硬貨はルイジアナ買収ルイス・クラーク探検隊によるアメリカ大陸探検から200周年を記念し、新しいデザインが描かれた。これらは「ウェストウォード・ジャーニー・ニッケル」シリーズと呼ばれている。また2006年には裏側にモンティチェロが再び描かれるようになったが、表側は正面を向いたジェファーソンの肖像がデザインされた。
略歴

元来、5セント硬貨は非常に小さな銀貨で、10セント硬貨が「ダイム」と呼ばれていたことから5セント硬貨は「ハーフダイム」と呼ばれていた[1]。しかし、南北戦争中や戦争が終結した後は、の不足のため代用の金属が硬貨の製造に必要となったため、今日までニッケルの合金を使用することが選択された。その極端な硬度のために20世紀中ごろには、5セント硬貨の製造において様々な問題に悩まされたが、近代の製造技術によって十分すぎる程の作業改善が図られた。ハーフダイム銀貨の詳細については、この項目では省略しているが、概ねダイム銀貨と同等なデザインが採用されていた。

第二次世界大戦中は定期的にニッケルを使用しない種類の特殊硬貨が発行されており、戦時を含め5セント硬貨は常に1グラムにつき1セント以上の価値があった。5セント硬貨の重量は、1866年に導入されたメートル法に基づいて5グラムに設計された。合衆国内では1866年7月28日の法律により、メートル法の使用を合法としている。

通称である「ニッケル」という言葉が5セント硬貨に適用されたのは、実際には硬貨がニッケルの合金を用いて製造されるより前だった。この言葉は元々、1859年から1864年にかけ銅とニッケルで構成された「インディアン・ヘッド・セント」硬貨に使用されていたものである。南北戦争の始めから終わりにかけ、この1セント硬貨は「ニッケルズ」および「ニックス」と呼称された。1865年に3セント硬貨が登場すると、街ゆく人々からこの硬貨が新しく「ニッケルズ」と呼ばれるようになった。その後1866年に登場したシールド・ニッケルにスポットライトが当てられ、以降アメリカの人々はこのニッケルの合金で製造された硬貨と、5セントという通貨単位を結びつけて考えるようになったのである。

1950年代初頭までアメリカ合衆国内のほとんどの地域において、公衆電話から低料金の近距離通話を行うのに5セントが課せられた。その後1950年代の初めを境に、公衆電話からの近距離通話料金はそれまでの2倍に当たる10セントへと値上げされた。しかし、ニューオーリンズや各地に散在していた田舎の地域等では、1970年代中頃まで5セントの料金設定のままであった。また、電話での会話を続けるため硬貨をつぎ込む人へ言う「It's your nickel」などのフレーズも生まれた。その他多くの都市で、電話料金が繰り上げとなった時期に、バス地下鉄など各種公共交通機関の乗車料金が5セントであった。
シールド・ニッケル(1866年?1883年)

ジェームズ・B・ロングエーカーによってデザインされたシールド・ニッケルは、1866年5月16日に定められた法律に基づき、アメリカ合衆国において製造された最初の5セント硬貨となった。硬貨に(シールド)が描かれているのが特徴である。初期の種類は、中心に描かれた数字の5の文字から周囲に飾り付けられた星のデザインの隙間を通り、光線が円形に彫られた硬貨であった。これら最初に製造されていた5セント硬貨は、1866年と1867年の一時期のみ製造された硬貨である。このロングエーカーによるデザイン原案は、細かいデザインのため硬質の合金で製造することが困難であることや、版型の関係上反対側の面にも全般的な欠陥が生じるなどの理由から、光線のデザインは取り下げられた。

シールド・ニッケルには冶金学的に困難な点があり、それが製造の際に多くのエラーを出す原因となった。他の硬貨は打ち型のミスによる傷やエラーが表れている場合、興味深いものとしてややプレミアがつくこともあるが、シールド・ニッケルの場合は打ち型による欠陥が見つからない方が稀であり、こうした状態の良い硬貨はあまり出回っていない状態で取引される。その他、日付がずれて印字されたり、打抜きのミスがある硬貨も存在する。
リバティー・ヘッド・ニッケル(1883年?1913年)

1883年から1912年にかけて、リバティー・ヘッド・ニッケルが公式に発行された。これはニューヨーク自由の女神像の横顔(リバティー・ヘッド)が描かれた面と、数字の5を表すギリシャ文字の「V」がもう片側にデザインされており、「V・ニッケル」とも呼ばれる硬貨である。しかし、1913年の日付で非公式なV・ニッケルが製造されていたことが分かり、その数は不明である。現在は、この違法に製造されたニッケルのうち、5枚しか確認されていない。この1913年のV・ニッケルには偽物も多く、本物であれば現存する硬貨の中でもかなりの高値が付くものの一つである。これら本物と確認されている1913年のV・ニッケル5枚は、一時期アメリカの実業家ヘティ・グリーンの息子が所有していた。2003年、以前の持ち主に因み「オルセン・スペシメン」と名付けられた硬貨が、オークションにて300万ドルで落札された。また、2005年6月2日、ニュージャージー州リンクロフトのコイン販売店、レジェンド・ニュミスマティックス社は、同じ州のメリマックに住むコイン収集家、エド・リーからもう1枚の1913年のV・ニッケルを購入した。この時の購入金額は415万ドルで、希少価値の高いアメリカ合衆国の硬貨に支払われた金額としては、当時で史上2番目の高値であった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:40 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef