42 ?世界を変えた男?
42
監督ブライアン・ヘルゲランド
脚本ブライアン・ヘルゲランド
製作トーマス・タル
製作総指揮ジェイソン・クラーク
ディック・クック
ジョン・ジャシュニ
出演者チャドウィック・ボーズマン
ハリソン・フォード
音楽マーク・アイシャム
撮影ドン・バージェス
編集ケヴィン・スティット
ピーター・マクナルティ
製作会社レジェンダリー・ピクチャーズ
配給ワーナー・ブラザース
公開 2013年4月12日
2013年11月1日[1]
上映時間128分
製作国 アメリカ合衆国
言語英語
製作費$40,000,000[2]
興行収入 $92,924,954[2]
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『42 ?世界を変えた男?』(42 せかいをかえたおとこ、原題: 42)は、2013年制作のアメリカ合衆国の映画。
アフリカ系アメリカ人初のメジャーリーガーとなったジャッキー・ロビンソンを描いた伝記映画。タイトルの「42」とはロビンソンが付けていた背番号で、現在アメリカ・カナダの全ての野球チーム(メジャーはもとより、マイナーリーグ、独立リーグ、アマチュア野球に至るまで)で永久欠番となっている。
アメリカとカナダでは公開から3日で、2730万ドル(約27億円)を売り上げて初登場1位となり[3]、野球映画史上最高のオープニング記録を打ち立てた[4]。 第二次大戦が終結した直後の1945年。人種差別が激しいアメリカでメジャーリーグは白人選手だけが所属し、黒人は黒人だけのニグロリーグでプレーしていた。ブルックリン・ドジャース(ロサンゼルス・ドジャースの前身)のゼネラルマネージャーであるブランチ・リッキーは、黒人の能力を評価しており、チームに加えれば戦力になると考えた。それは世間からも白人選手からも非難される常識外れな計画だったが強行するリッキー。 書類選考で白羽の矢が立ったのは26才の黒人選手ジャッキー・ロビンソンだった。ジャッキーに、やり返さない勇気を持てと指示するリッキー。殴られてやり返せば非難されるのは黒人だ。立派な紳士であり偉大な選手だと示すしか勝ち残る道は無かった。 ジャッキーをまず所有するマイナーリーグのロイヤルズに入団させるリッキー。空港で搭乗拒否されホテルにも泊まれないジャッキーの為に、リッキーは宿泊場所などきめ細かいサポートを続け、文句を言う白人選手は容赦なくトレードに出された。野球場で白人の観客たちからブーイングを浴び、故意のデッドボールを受けても受け流して、俊足による盗塁や打率、捕球力で成果を上げて行くジャッキー。 1947年にドジャースと契約したジャッキーは背番号42を獲得した。初めは渋っていた白人のチームメートたちも、優秀で忍耐強いジャッキーを見て差別の心を捨てて行った。ある日試合でジャッキーが野次をされていると、チームメイトはジャッキーと肩を組んで、「明日は全員で『42』を着けるか。そうすりゃ見分けがつかない」と言う。試合後のシャワーを白人選手と一緒に浴びるようになるジャッキー。 試合でジャッキーに酷いヤジを飛ばし続けた相手チームの監督は新聞記事で非難された。白人社会にも少しずつ、ジャッキーを認める層が出始めたのだ。この年の最終戦をジャッキーのホームランで勝ち取ったドジャースはワールドシリーズに進出した。ジャッキーのメジャーデビュー50周年である1997年4月15日以降、背番号42はジャッキーを記念して、メジャーリーグ全球団で永久欠番となっている。 ※括弧内は日本語吹き替え
あらすじ
キャスト
ジャッキー・ロビンソン - チャドウィック・ボーズマン(三宅健太)
ブランチ・リッキー - ハリソン・フォード(勝部演之)
レイチェル・ロビンソン - ニコール・ベハーリー
レオ・ドローチャー - クリストファー・メローニ(落合弘治)
ウェンデル・スミス
2013年のハリウッド映画祭において、本作に出演したハリソン・フォードが功労賞を受賞した[5]。
第38回報知映画賞で作品賞(海外)を受賞[6]。
関連項目
『ジャッキー・ロビンソン物語』 The Jackie Robinson Story - 1950年制作、アルフレッド・E・グリーン監督、ロビンソンが本人役で出演。
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