4フィート6インチ軌間
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1835年7月21日に認可され、1837年4月3日に開業した[5]。技師はThomas Graingerであった[6]。1866年に標準軌に改軌された。

ロバートスティーブンソン・アンド・カンパニーは、ガーンカーク・アンド・グラスゴー鉄道向けにスコッチゲージの機関車であるセントロロックス(: St.Rollox)を製造した。これは後にペイズリー・アンド・レンフルー鉄道に売却された[3][5]

すべての路線は後に標準軌に改軌された[3][5]
1372 mm軌間以外の鉄道
1384 mm軌間

上記の鉄道に加えて、1822年1835年の間に承認された3つの鉄道があり、ダンディー地方にて建設された。その路線の軌間は、4 ft 6+1⁄2 in(1384 mm)であった。

ダンディー・アンド・ニュータイル鉄道[3][6] - 路線長:16.9 km[4]

ニュータイル・アンド・クーパーアンガス鉄道[3][6] - 路線長:10.5 km[4]

ニュータイル・アンド・グラミ鉄道[3][6] - 路線長:16 km[4]

1676 mm軌間

グレインジャーとミラーは、同じエリアに1676 mm(5 ft 6 in)軌間の鉄道を2路線建設した。トーマス・グレインジャーは、1435 mm(4 ft 8+1⁄2 in)では狭すぎ、イザムバード・キングダム・ブルネルの2140 mm(7 ft 1⁄4 in)では広すぎると考え、この軌間を選択したと言われている[3]

ダンディー・アンド・アーブロース鉄道[3][6] - 路線長:23 km[4]。1836年5月19日に設立され、一部は1838年10月に開業した[5]

アーブロース・アンド・フォーファー鉄道[3][6] - 路線長:24 km[4]。1836年5月19日に設立され、1838年11月24日に部分開業した[5]

スコットランドにおける1372 mm軌間の終焉

グラスゴー・ペイズリー・キルマーノック・アンド・エア鉄道とグラスゴー・ペイズリー・アンド・グリノック鉄道(1837年7月15日に議会の承認を得て、後にグラスゴー・サウスウェスタン鉄道とカレドニアン鉄道となる)は、開業時から標準軌で建設された[3]

ジョージ・スチーブンソンに由来し、スティーブンソンゲージとしても知られる1435 mm(4 ft 8+1⁄2 in)軌間は、1846年軌間統一法の発効後、グレートブリテン島の標準軌となった[7]。旧路線のいくつかの路線は存在しているが、使用されていない。
日本1,372 mm軌間を採用する京王線府中競馬正門前駅都電で唯一現存する荒川線

日本国内では、東京馬車鉄道1882年(明治15年)の開業時から1,372 mm軌間を使用した[8][注 1]。同鉄道がこの軌間を採用した経緯は不明である[1]ニューヨーク馬車鉄道がかつて1,372 mm軌間を採用していたのに倣ったとする説[9]が存在したものの、実際にはニューヨークの馬車鉄道が1,372 mm軌間を採用していたことは一度もない(当初から1,435 mmの標準軌を採用していた)ためその説は誤りだとする反論[1]がある。

東京馬車鉄道が東京電車鉄道と改称して動力を電気に改めたが軌間はそのまま引き継ぎ、同じ東京市内で開業した東京市街鉄道と東京電気鉄道も1,372 mm軌間であった。3社は合併して東京鉄道と改称した後、東京市に買収されて東京市電気局の運営による東京市電(のちの東京都電)に引き継がれた。また、東京市電への乗り入れや中古車両の購入を視野に入れた同業他社も1,372 mm軌間を採用し、このうち王子電気軌道城東電気軌道は後に東京市電へ組み込まれた[注 2]東京の1,372 mm軌間の路線図
現存路線

鉄道及び軌道事業者によって運営する路線は、1993年(平成5年)の函館市電一部廃止以降、以下の区間のみ。

京王電鉄 - 井の頭線を除く全線。

東急電鉄 - 世田谷線のみ。

東京都交通局 - 都営地下鉄新宿線都電荒川線(東京さくらトラム)。新宿線は京王線との直通運転をする際に軌間を京王線に合わせるため、馬車軌間を採用。

函館市企業局交通部 - 東京馬車鉄道の技術指導で亀函馬車鉄道として開業。2代目200形1000形は東京都からの譲渡車である。

都市高速鉄道としては京王電鉄、都営地下鉄新宿線のみ採用している。特に京王電鉄については、その創業期に東京市電への乗り入れを計画したことや、軌道法により敷設を始めたことなどから1,372 mm軌間を採用し、地方鉄道として開通させた旧玉南電気鉄道区間(府中駅 - 東八王子駅間)では京王電気軌道への合併後に1,067 mmから1,372 mmへの改軌も行ったが、最終的に東京市電乗り入れは実現しなかった。1945年(昭和20年)には京王線が軌道法から地方鉄道法による鉄道に変更されたが、以後も1,372 mm軌間を使用し続けた。後に都営新宿線を建設する際、都が相互乗り入れを予定している京王帝都電鉄(当時)に対して1,435 mmへの改軌を迫ったが、営業運転を継続しながら改軌を行った1950年代の京成に比べ、1970年代の京王線のダイヤと車両数では営業を続けながらの改軌工事が不可能であったことなどから、京王の言い分が関係各所に受け入れられ、都営新宿線の方が京王に合わせて1,372 mm軌間を採用したという経緯がある。これにより都営地下鉄が当時保有する3路線全てが、いずれも乗り入れ先の都合でそれぞれ異なる軌間となった[注 3]日本の改軌論争も参照のこと。
かつて存在した路線

京浜急行電鉄 - 前身である京浜電気鉄道時代の一時期(1904年〈明治37年〉 - 1933年〈昭和8年〉)に、1,372 mm軌間へと改軌し、東京市電に乗り入れていた。


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