4横綱(よんよこづな)では、大相撲において横綱が同時に4人在位した時代について述べる。 大相撲において、横綱が同時に在位したのは現在4人が最多数であり、これまでに16例発生している。以下、各事例ごとの、場所別成績を記す。 場所四股名と成績(太字は優勝又は優勝相当成績)備考
概要
一覧
参考18代大砲19代常陸山20代梅ヶ谷(2代)21代若島大阪横綱の若島を交えての4横綱。当初は若島は吉田司家未承認。
この時代、東京大阪とも千秋楽には(1904年5月場所までの大阪相撲では、初日)幕内力士は休場が通例。
1904年1月場所全休7勝1敗2休
[注釈 1]7勝1敗1預1休
[注釈 1]6勝1敗3休常陸山と2代目梅ヶ谷が新横綱(東京相撲で3横綱になったのもこの時が初)。
常陸山は2日目からの出場。
常陸山と梅ヶ谷はともに幕内最高成績。
1904年5月場所全休全休
[注釈 1]6勝1敗1分
[注釈 1]7勝1敗1分1休
1905年1月場所3勝1敗1預5休2勝8休
[注釈 1]8勝1敗1休
[注釈 1]全休
1905年5月場所2勝1敗6分1休5勝1分1預3休5勝5休8勝1分1休若島吉田司家の追認を得る。
常陸山と梅ヶ谷は相手力士休場による1休がある。
1906年1月場所1勝8分1休9戦全勝1休7勝1敗1分1休全休
1906年5月場所全休8勝2休7勝1分2休-常陸山と梅ヶ谷は直接対戦で休場。
1906年6月場所---全休
1907年1月場所1勝1敗2分5休全休1勝9休全休(引退)大阪相撲でも初めて明確に横綱の地位が現れる。
若島が引退。
参考19代常陸山20代梅ヶ谷(2代)22代太刀山23代大木戸大阪横綱の大木戸を交えての4横綱。当初は大木戸は吉田司家未承認。
この時代、東京大阪とも千秋楽には幕内力士は休場が通例。
1911年6月場所全休全休10戦全勝-太刀山が新横綱。
1911年9月場所---6勝2敗2休
1912年1月場所5勝1敗4分7勝3敗8勝1敗1分-大阪相撲は1月場所を開催せず。
1912年5月場所全休1勝1敗3分5休10戦全勝7勝1敗1分1休
1913年1月場所6勝1敗3分4勝1敗5分全休5勝3敗1休大木戸吉田司家の追認を得る。
1913年5月場所2勝1預7休1敗1分8休10戦全勝全休
1914年1月場所1勝2敗7休2勝2分6休10戦全勝全休(引退)大木戸が引退。
第1次22代太刀山24代鳳25代西ノ海(2代)26代大錦
1917年5月場所全休3勝2敗5休2勝1敗7休9勝1敗大錦が新横綱。
1918年1月場所全休(引退)7勝3敗全休8勝1敗1休太刀山が引退。
第2次24代鳳25代西ノ海26代大錦卯一郎27代栃木山1918年4月には大阪相撲にも横綱大錦大五郎が誕生しており、西ノ海引退までの1ヶ月弱、5人の現役横綱が存在した。
1918年5月場所0勝1敗9休全休(引退)全休9勝1敗栃木山が新横綱。
東方に大錦、栃木山、西ノ海の3横綱、西方に鳳ひとりの現在の観点ではやや奇異な番付となっている。
逆に大関は東方に九州山ひとり、西方に千葉ヶ崎、伊勢ノ浜、朝潮3人で、大関以上東西4人ずつとバランスを取っている。
西ノ海が引退。
参考24代鳳26代大錦卯一郎27代栃木山28代大錦大五郎大坂横綱大錦大五郎を交えての4横綱時代。
1919年1月場所3勝1敗1預5休8勝2敗9勝1休1勝1敗8休
1919年5月場所3勝6敗8勝2敗10戦全勝6勝2敗2分
1920年1月場所3勝4敗3休8勝1敗1分8勝2敗1勝1敗8休
1920年5月場所全休(引退)9勝1敗8勝1分1預-大坂相撲はこの年は6月場所を開催。
鳳が引退。
参考27代栃木山29代宮城山30代西ノ海(3代)31代常ノ花大坂横綱宮城山を交えての4横綱時代。
なお、この期間中、東京相撲の本場所は11日制、大阪相撲は10日制。
1924年5月場所10勝1敗全休5勝2敗1預4休5勝2敗2分1預常ノ花が新横綱。
1925年1月場所10勝1分4勝2敗1分3休9勝2敗0勝2敗9休
1925年5月場所全休(引退)-9勝2敗3勝1敗1分5休この年大阪相撲は6月場所を開催。
栃木山が引退。
第3次32代玉錦33代武蔵山34代男女ノ川35代双葉山
1938年1月場所10勝3敗5勝4敗4休7勝6敗
[注釈 1]13戦全勝双葉山が新横綱。
1938年5月場所10勝3敗7勝6敗6勝7敗(負越)13戦全勝4横綱総当たりが実現。
場所後、玉錦が死去。
第4次35代双葉山36代羽黒山37代安芸ノ海38代照国
1943年1月場所15戦全勝13勝2敗12勝3敗
[注釈 1]14勝1敗安芸ノ海と照国が新横綱。
安芸ノ海は千秋楽のみ休場、双葉山に不戦敗。
4横綱合計の成績が史上最高。
1943年5月場所15戦全勝14勝1敗11勝4敗12勝3敗
[注釈 1]
1944年1月場所11勝4敗12勝3敗全休11勝4敗
[注釈 1]
1944年5月場所9勝1敗10戦全勝5勝5敗6勝4敗
[注釈 1]
1944年11月場所4勝3敗3休7勝3敗全休4勝2敗4休
1945年6月場所1勝6休5勝2敗6勝1敗5勝2敗
1945年11月場所全休(引退)10戦全勝4勝6敗(負越)9勝1敗双葉山が引退。
第5次36代羽黒山38代照国39代前田山40代東富士
1949年1月場所全休全休5勝3敗5休10勝2敗1分東富士が新横綱。
1949年5月場所11勝4敗12勝3敗9勝6敗8勝7敗4横綱全員皆勤。
1949年11月場所12勝3敗8勝2敗5休1勝6敗(引退)10勝5敗前田山が引退。
第6次36代羽黒山38代照国40代東富士41代千代の山
1951年9月場所10勝5敗11勝4敗13勝1敗1預9勝6敗千代の山が新横綱。
4横綱総当たり。
1952年1月場所15戦全勝10勝5敗7勝4敗4休13勝2敗照国は千秋楽のみ休場、東富士に不戦敗。
東富士は中日8日目から休場、13日目から再出場。
4横綱総当たり。
1952年5月場所7勝3敗5休全休13勝2敗10勝5敗羽黒山は7日目から休場、13日目から再出場。
1952年9月場所4勝3敗8休6勝6敗3休7勝7敗1休11勝4敗
1953年1月場所9勝6敗0勝3敗(引退)2勝5敗8休4勝4敗7休千代の山は3日目から休場、11日目から再出場。
照国が引退。
入れ違いに鏡里が横綱昇進。
第7次36代羽黒山40代東富士41代千代の山42代鏡里
1953年3月場所全休12勝3敗1勝5敗9休10勝5敗鏡里が新横綱。
1953年5月場所0勝3敗12休11勝4敗全休12勝3敗
1953年9月場所全休(引退)14勝1敗11勝4敗9勝6敗羽黒山が引退。
第8次40代東富士41代千代の山42代鏡里43代吉葉山
1954年3月場所5勝3敗7休10勝5敗10勝5敗全休吉葉山が新横綱。
1954年5月場所全休12勝3敗11勝4敗0勝1敗14休
1954年9月場所4勝4敗(引退)14勝1敗11勝4敗9勝6敗東富士が引退。
入れ違いに栃錦が横綱昇進。
第9次41代千代の山42代鏡里43代吉葉山44代栃錦
1955年1月場所12勝3敗10勝5敗5勝2敗8休10勝5敗栃錦が新横綱。
西方に大関不在、西第2位の吉葉山は張出ではなく枠内に書き出されたが「横綱大関」とはされなかった(東方第2位の鏡里は張出)。
なお、前場所の成績も踏まえると、東正横綱千代の山、西正横綱栃錦、西2枚目横綱吉葉山、東張出横綱鏡里、という序列だったことになる。
1955年3月場所13勝2敗4勝5敗6休3勝2敗10休12勝3敗西方に大関不在、西第2位の鏡里は枠内に書き出されたが「横綱大関」とはされなかった(吉葉山は東張出)。
前場所同様、成績上位だった鏡里が西2枚目横綱に、吉葉山が東張出に配されている。
1955年5月場所8勝7敗11勝4敗0勝2敗13休14勝1敗
1955年9月場所10勝4敗1分14勝1敗9勝6敗4勝3敗8休西方に大関不在、東西に張出横綱がおかれ、西正横綱鏡里も横綱大関とはされなかった。
1956年1月場所4勝1敗10休14勝1敗9勝6敗9勝6敗
1956年3月場所8勝7敗8勝7敗11勝4敗9勝6敗
1956年5月場所11勝4敗9勝6敗8勝7敗5勝5敗5休
1956年9月場所全休14勝1敗12勝3敗11勝4敗
1957年1月場所15戦全勝3勝5敗7休10勝5敗11勝4敗
1957年3月場所10勝5敗11勝4敗3勝3敗9休11勝4敗
1957年5月場所全休10勝5敗5勝6敗4休12勝3敗
1957年9月場所5勝8敗2休8勝7敗9勝6敗13勝2敗
1957年11月場所全休全休11勝4敗12勝3敗
1958年1月場所12勝3敗9勝6敗(引退)3勝6敗(引退)11勝4敗鏡里、吉葉山が引退。
第10次45代若乃花(初代)46代朝潮47代柏戸48代大鵬
1961年11月場所11勝4敗2勝5敗8休12勝3敗13勝2敗柏戸、大鵬が新横綱。
張出はつくらず4横綱全員枠内に書き出された。
またこの場所は3大関4関脇4小結がいたが、横綱以外はすべて張出がつくられた。
1962年1月場所11勝4敗引退10勝5敗13勝2敗4横綱全員枠内。
朝潮が場所前に引退。
第11次47代柏戸48代大鵬49代栃ノ海50代佐田の山
1965年3月場所全休14勝1敗8勝7敗12勝3敗佐田の山が新横綱。
1965年5月場所9勝6敗9勝6敗8勝7敗14勝1敗4横綱総当たり(ただし大鵬は千秋楽休場、佐田の山に不戦勝)。
1965年7月場所12勝3敗13勝2敗7勝4敗3休12勝3敗
1965年9月場所12勝3敗11勝4敗10勝5敗12勝3敗
(優勝同点)4横綱総当たり。
1965年11月場所1勝1敗13休13勝2敗10勝5敗11勝4敗
1966年1月場所14勝1敗全休全休5勝6敗4休
1966年3月場所10勝5敗13勝2敗10勝5敗5勝5敗5休
1966年5月場所12勝3敗14勝1敗1勝3敗11休全休
1966年7月場所12勝3敗
[注釈 1]14勝1敗全休11勝4敗
1966年9月場所13勝2敗
(優勝同点)13勝2敗全休12勝3敗
1966年11月場所10勝5敗15戦全勝2勝5敗(引退)10勝5敗栃ノ海が引退。
第12次54代輪島55代北の湖56代若乃花(2代)57代三重ノ海
1979年9月場所10勝5敗13勝2敗11勝4敗11勝4敗三重ノ海が新横綱。
4横綱総当たり。
1979年11月場所10勝5敗10勝5敗12勝3敗14勝1敗
[注釈 1]4横綱総当たり。
1980年1月場所0勝3敗12休12勝3敗11勝4敗
[注釈 1]15戦全勝
1980年3月場所11勝4敗13勝2敗12勝3敗1勝4敗10休
1980年5月場所11勝4敗14勝1敗12勝3敗10勝5敗4横綱総当たり。
1980年7月場所1勝4敗10休15戦全勝10勝5敗4勝6敗5休
1980年9月場所11勝4敗11勝4敗14勝1敗全休
1980年11月場所14勝1敗12勝3敗13勝2敗0勝3敗(引退)三重ノ海が引退。
第13次58代千代の富士60代双羽黒61代北勝海62代大乃国
1987年11月場所15戦全勝13勝2敗13勝2敗8勝7敗大乃国が新横綱。
1988年1月場所12勝3敗廃業11勝4敗5勝5敗5休双羽黒が場所前に廃業。
第14次58代千代の富士61代北勝海62代大乃国63代旭富士
1990年9月場所全休14勝1敗全休13勝2敗旭富士が新横綱。
1990年11月場所13勝2敗9勝6敗10勝5敗12勝3敗
1991年1月場所2勝1敗12休12勝3敗10勝5敗11勝4敗
1991年3月場所全休13勝2敗12勝3敗11勝4敗
1991年5月場所1勝3敗(引退)全休全休14勝1敗千代の富士が引退。
第15次64代曙65代貴乃花66代若乃花(3代)67代武蔵丸以降、張出制度廃止により、全員枠内に書き出される。
1999年7月場所13勝2敗
(優勝同点)9勝6敗全休12勝3敗武蔵丸が新横綱。
1999年9月場所2勝2敗11休0勝3敗12休7勝8敗12勝3敗
1999年11月場所全休11勝4敗全休12勝3敗
2000年1月場所11勝4敗12勝3敗全休2勝2敗11休
2000年3月場所12勝3敗11勝4敗2勝4敗(引退)11勝4敗若乃花が引退。
第16次69代白鵬70代日馬富士71代鶴竜72代稀勢の里
2017年3月場所2勝3敗10休10勝5敗10勝5敗13勝2敗稀勢の里が新横綱。
2017年5月場所15戦全勝11勝4敗1勝4敗10休6勝5敗4休
2017年7月場所14勝1敗11勝4敗2勝2敗11休2勝4敗9休
2017年9月場所全休11勝4敗全休全休
2017年11月場所14勝1敗0勝3敗12休(引退)全休4勝6敗5休日馬富士が引退。
脚注
注釈^ a b c d e f g h i j k l m n 番付上は横綱大関。
出典
関連項目
横綱
横綱一覧
番付上1人横綱
外部リンク
⇒4横綱時代一覧大相撲≒おつかれマツェラート
表
話
編
歴
幕内
横綱
(横綱大関)
三役
大関
関脇
小結
前頭(平幕)
十両
(関取)
幕下
(幕下付出)
三段目
(三段目付出)
序二段
序ノ口
新序
前相撲(番付外)
(力士養成員)
力士・記録
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