「3次元コンピュータグラフィックス」あるいは「実写」とは異なります。
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立体映画(りったいえいが、英: 3-D film)あるいは3D映画(スリーディーえいが)とは、3D的に(立体的に)表示される映画である。現在は3D映画の呼称が一般的である。 左眼用と右眼用の映像を同時に撮影したものなどを、スクリーンに映写機で投影し、観客は専用の眼鏡を用いるなどして、左眼に左眼用、右眼に右眼用、それぞれの映像のみを投影して立体視を実現する。立体映画の方式には様々なものが存在する。 専用眼鏡 Stereoscopy
概要
1952年から1954年が「黄金時代」と呼ばれ、実験的な『ブワナの悪魔(英語版)』や『フェザー河の襲撃』、『ホンドー』、『大アマゾンの半魚人』などが製作された。本格的な劇映画として3Dになったものに1954年のアルフレッド・ヒッチコック監督の『ダイヤルMを廻せ!』がある。「1953年は1953Dの年として記憶されるであろう」というアメリカの宣伝文句があった[3]。1953年に日本で東宝が東宝トートビジョンを使用した立体映画を製作し、アナグリフ方式(英語版)を用いた2巻10分の作品『私は狙われている』と『飛び出した日曜日』が日本初の作品として公開された[4][5][6]。
東映は1969年から1974年に、東映まんがまつりの作品の一部でアナグリフ方式を用いた作品を複数公開した。これらは作品の一部が立体映像で、登場人物の合図や字幕カットで観客は立体眼鏡をかけ外した。これらの作品は第一次石油危機に伴う物価高騰で製作が中止される1974年まで製作された。
1985年のつくば科学万博の富士通館で公開された『ザ・ユニバース』の立体映像に感激したテレビ朝日編成局編成部副部長の高橋浩は、子供にドラえもんを立体映画で観せることを企図し、藤子・F・不二雄の快諾を得て[7]東宝に配給を相談したが、偏光メガネ方式は映写機に高額なレンズを要して費用が嵩み、立体映画が上映可能な劇場は全国100館程度で、採算が不明と断られた[7]。制作会社のシンエイ動画からアドバイスを得て、アナグリフ方式で映画制作を決定する。映画に必要な1個18円の赤と青の立体メガネに、原作出版社の小学館が児童雑誌の広告を入れた。この時点では『ドラえもん』の立体映画は実現せず、1986年3月15日公開『ドラえもん のび太と鉄人兵団』に併映された、短編映画『オバケのQ太郎 とびだせ! バケバケ大作戦』を立体映画とした[7]。『ドラえもん』の立体映画は2014年に『STAND BY ME ドラえもん』として実現した。
2005年に『チキン・リトル』でデジタル上映による3D映画が初登場し、2009年のジェームズ・キャメロン監督の『アバター』が世界興行収入歴代1位となる26億4000万ドル(約2385億円)を記録し、以降ハリウッドや日本で多数の立体映画が製作される。ヒットシリーズの最新作、リメイク、過去ヒット作品の3D変換版など、3D作品も増加し、立体映画に適するDLPなどデジタルシネマの普及が期待される。
「日経トレンディ」「2010ヒット商品ベスト30」で「3D映画」が2位に選出された。
日本映画の3D作品は、2011年公開作品の殆どで上映スクリーン・興行収入共に2D版が3D版を上回った。