24時間テレビ_「愛は地球を救う」
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^ 第14回(1991年)までは『24時間テレビ「愛は地球を救う」○○』と、放送回数を末尾に表記したものが正式タイトルだった。第31回2008年)以降の番組オープニングでは『24時間テレビ 愛は地球を救う○○』と放送回数が末尾に表記されている。
^ 第15回1992年)・第16回1993年)はタイトルを『24時間テレビ15(16)「愛の歌声は地球を救う」』とした。
^ 当時、終夜放送は緊急時(大規模な地震台風などの自然災害や、戦争紛争、交通ストライキなど)、ならびに近代オリンピックのうち、時差の関係で日本時間の深夜に開催されるヨーロッパ・アフリカやアメリカ大陸で開催する場合を除いて行われていなかった。第1回でスタジオ総合司会を務めた巨泉は、「これから24時間、今までやっていた通常の放送をすべてお休みにして、全く白紙に戻して、テレビが一体何ができるのかやってみたい。地球に住む我々が一体何が幸せかをかみしめたい。世の中にいる社会的弱者がテレビを通して役立つかどうか。テレビを通してチャリティーをやりたい」とのスピーチをしている。
^ 第15回(1992年)・第16回(1993年)は、当時日本テレビのキャッチフレーズだった「みんなのなかに、私はいます。」が使われた。
^ 第40回(2017年)の番組内で久里自身が発言。しかし、番組スタッフのほとんどはこれを地球とと勘違いし、社内では「地球マーク」と呼ばれていた。
^ 土曜日19:45 - 日曜日21:34に放送された第27回(2004年)と土曜日18:30 - 日曜日21:09に放送された第35回(2012年)は除く。
^ 前後の『満天☆青空レストラン』『行列のできる相談所』も24時間テレビに関連した特集で、なおかつメイン会場からの生放送となるため、それらを含めると実質28時間となる。
^ 東日本大震災が発生した2011年以降は、大規模災害の被災者やその遺族に着目した企画も放送されている。
^ 日本武道館が諸事情により使用出来ない年など、別の会場を使用するケースもある。実例は第14回(1991年)、第32回(2009年)。
^ 第1回(1978年)はグランドフィナーレ(代々木公園)の進行、第2回(1979年)はチャリティーパーソナリティー、第34回(2011年)はチャリティーマラソンランナー、第35回(2012年)は出演者のひとり、第36回(2013年)以降は24時間テレビサポーターとしてそれぞれ参加している。
^ 日本テレビは1953年(昭和28年)、読売テレビは1958年(昭和33年)にそれぞれ開局。
^ a b c d 2日目が該当。
^ 1日目が該当。
^ a b 但し、インターネット募金をする際に発生するクレジットカード決済と携帯キャリア決済のシステム利用料は寄付金から差し引かれる。この事については公式サイトでも明記されている。
^ 日本テレビの放送エリア管内では日産ギャラリーNISSAN CROSSING日産販売会社ショールームブルーステージレッドステージレッド&ブルーステージ日産自動車販売日産フォークリフトなど)、日産カレストイオングループ各店舗、住友生命各支社来店窓口、東洋水産各支店・営業所・工場・特設会場、ヤクルト本社・各支店、ライオンオフィス・事務所・特設会場、読売新聞販売店(YC)、草の根チャリティーネットワーク、新宿高島屋・大宮島屋、日本橋三越本店、横浜・川崎モアーズ町田東急ツインズ、藤沢・小田急百貨店東京駅一番街ツリービレッジなど。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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