23-F
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この時、国王はソフィア王妃やフェリペ王太子(のちの国王フェリペ6世)、王女たちを立ち会わせ、終始毅然たる態度で臨んだ。王太子が眠気に襲われるとやさしくゆり起こし「起きなさい。王たる者の務めを見ておくんだよ」と諭し、王命に尻込みするミランス・デル・ボッシュ中将には「目的を達成したいのなら、この私を射殺せよ」と強い口調で迫った。

やがて国王はミランス・デル・ボッシュに「私は現行憲法の秩序維持のため、この場で断固たる決意を示す。以上の言葉のほかは一切通用せぬ。国王の名の下に行われるクーデターは大逆である」との言葉で始まるクーデター不支持のコメントを送り反乱軍は戦意を失った。翌日1時23分、国王の命令がテレビ放送され、ここに国民はクーデター失敗を知る。

4時には国王の支持を得られなかったことでミランス・デル・ボッシュ中将が投降、同時にテヘーロ中佐は、中尉以下のグアルディア・シビル隊員が告訴の対象とならないことなどを条件に人質を解放して自らも投降するが、立腹のあまり降伏文書の調印にアルマーダ・イ・コミン少将を指名。やむを得ずアルマーダ・イ・コミン少将は路上の車のボンネットで調印の後解任、拘束されるという屈辱を味わった。ミランス・デル・ボッシュやテヘーロら首謀者も相次いで拘束された。

なお、テヘーロ中佐の投降に先立ち、国王の不支持などでクーデターの失敗を悟った多くのグアルディア・シビル隊員たちは、下院の裏口の窓から飛び降りるなどして、武器を捨てて逃亡していた。
その後
民主主義の定着

このクーデターは、フアン・カルロス1世国王の支持を受けたうえで軍事クーデターを成功させ、その後ミランス・デル・ボッシュ中将を首班にした「救国内閣」を設立し、国王を擁したうえでの軍事独裁の復活を図ったものであった。しかし、フランコ死去後の議会制民主主義および立憲君主制移行が一段落し、国民が軍事独裁の復活を支持しなかったことに加え、フアン・カルロス1世国王の支持を受けることもできなかったため、失敗に終わった。

その後軍部によるクーデターは、事件後四半世紀を過ぎた現在に至るまで一度も行われず、また、この事件以降軍部の威信が低下し、政治に対する影響力が排除されるなど、スペインに民主主義が完全に定着するきっかけとなった。これらのことと併せて、この事件後には民主主義の守護者となった国王に対する支持と信任が飛躍的に高まる結果となった。

なお事件後の2月25日には、首相選出のための投票が行われ、事件前に辞任を表明していたスアレス首相に代わり、レオポルド・カルボ=ソテーロが首相の座を引き継ぐことになった。
裁判事件発生30周年を記念した集合写真

事件後に行われた裁判では、アルフォンソ・アルマーダ・イ・コミン少将とハイメ・ミランス・デル・ボッシュ中将、アントニオ・テヘーロ中佐らが国家反逆罪などで裁かれることとなったが、アルマーダ・イ・コミン少将は、「このクーデターに関与していない」と主張した。

その後、彼らは有罪判決を受け、実刑に服すことになったが、テヘーロ中佐は獄中から1982年に行われた総選挙に立候補し話題となった。なおテヘーロ中佐は、事件後25年経った2006年12月に最後の事件関係者として釈放された。
黒幕

作家としても著名なホセ・ルイス・デ・ビラジョンガ侯爵などの複数の評論家やジャーナリストは、銀行家やカトリック教会関係者などの、冷戦下における急激なスペインの民主化を「左傾化」とみなし、王政復古することでこのような傾向を収めようと考えた右派の民間人や組織がこのクーデターを後援していたことを指摘しており、国王フアン・カルロス1世もこれを明確に否定していない。
陰謀論

「『民主主義を否定し王政復古を狙った軍事クーデターを国王が自らの手で鎮圧させることで、国民による国王の威信を高めると同時にスペインに民主主義を定着させる』ことと同時に、『国王の威信を高めると同時に民主主義を定着させることにより、冷戦下で勢いをつけてきた共産主義勢力の勢いを削ぎスペインの左傾化を止める』ことを目的として、国王とアメリカの支援を受けた軍部中道派が起こした陰謀である」という陰謀説を唱えるジャーナリストや政治家がいるが、このような意見を支持する者は少ない。
脚注^ LA IMAGEN DE TU VIDA - El 23F (1981) (Youtube、TVEで実際に中継されたクーデターの映像)

関連項目

ファランヘ党

バスク祖国と自由

典拠管理データベース: 国立図書館

イスラエル

アメリカ

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