2020年のMotoGP
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2020年の
FIMロードレース世界選手権
前年:2019翌年:2021
2020年のMoto2
2020年のMoto3
2020年のMotoE
2021年のチャンピオン、ジョアン・ミル(右)

2020年のMotoGPは、FIMロードレース世界選手権第72回大会の最高峰クラスとなる。ジョアン・ミルが第14戦バレンシアグランプリでタイトルを獲得した[1]
シーズンの概要

マルク・マルケスレプソル・ホンダ・チームがディフェンディングチャンピオンとしてシーズンに臨んだが、第2戦スペイングランプリの決勝レースでクラッシュを喫し右上腕骨を骨折をした[2]。手術後、第3戦アンダルシアグランプリに強行出場しフリー走行に出走、予選Q1にも出走したものの僅か1周でピットに戻り、それ以降のすべてのセッションを欠場となった上、その無理が祟り骨折箇所に埋め込んだチタン製プレートが破損し再手術、その後レースへ復帰することは叶わずシーズンを終えた。選手権3部門制覇(ライダー・マニュファクチャラー・チーム)を3年連続達成してきたホンダは無冠に終わり、1981年以来となる最高峰クラス未勝利のシーズンとなった。

チャンピオンシップは第2戦から2連勝したファビオ・クアルタラロがリードしていたが、タイヤサプライヤーのミシュランがリアタイアの構造を変更したことなどに全メーカー苦戦し、前半戦終了時点で優勝者6名・首位から25ポイント圏内に9名という大接戦のチャンピオンシップとなった。

その後アラゴングランプリでジョアン・ミルが首位に立つと、3戦連続表彰台を獲得し、第14戦バレンシアグランプリでタイトルを獲得した[1]。同時にチーム・スズキ・エクスターは初めてチーム部門でタイトルを獲得し、2冠を達成した[3]。バレンシアグランプリ終了時、コンストラクター部門でスズキドゥカティに201ポイント同位まで追い上げを見せたが、最終戦ポルトガルグランプリでジャック・ミラーが2位でフィニッシュしコンストラクタータイトルはドゥカティが獲得した。これはドゥカティにとって2007年に3冠を達成して以来13年ぶりのコンストラクター部門制覇であった[4]

また、数多くの快挙や記録が更新されたシーズンであった。

ファビオ・クアルタラロブラッド・ビンダーミゲル・オリベイラフランコ・モルビデリ、ジョアン・ミルの5名は最高峰クラス初優勝を飾った。中でもブラッド・ビンダーの勝利は、KTMがファクトリー参戦してから初めての優勝であり、参戦1年目の初優勝は歴代4人目の快挙であった[5]

そして3つのチーム(ペトロナス・ヤマハSRT、レッドルブルKTMファクトリーレーシングレッドブルKTMテック3)は最高峰クラス初優勝をし、ヤマハのサテライトチームの優勝は20年ぶりのことであった[6]。発足2年目のペトロナス・ヤマハSRTは6勝を挙げ、チーム部門2位を獲得した。

ジョアン・ミルのタイトル獲得はスズキにとって2000年ケニー・ロバーツ・ジュニアが500ccクラスで総合優勝して以来20年ぶりで、MotoGPクラスになってからは初めてのタイトル獲得であった。同時にホンダヤマハ以外のライダーのタイトル獲得は2007年ドゥカティケーシー・ストーナー以来13年ぶりのことであった。

日本人選手の活躍は、中上貴晶が第12戦テルエルグランプリでポールポジションを獲得し、日本人ライダーとしては2004年玉田誠が獲得して以来16年ぶりのことであった[7]


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