2019年パイパー_PA-46墜落事故
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2019年パイパー PA-46墜落事故2017年に撮影された事故機
事故の概要
日付2019年1月21日 (2019-01-21)
概要空中分解、一酸化炭素中毒が原因のパイロットエラー
現場 イギリス イギリス海峡チャンネル諸島オルダニー島
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯49度49分 西経2度43分 / 北緯49.82度 西経2.71度 / 49.82; -2.71座標: 北緯49度49分 西経2度43分 / 北緯49.82度 西経2.71度 / 49.82; -2.71
乗客数1
乗員数1
負傷者数0
死者数2 (全員)
生存者数0
機種パイパー PA-46
機体記号N264DB
出発地 ナント・アトランティック空港
目的地 カーディフ空港
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2019年パイパー PA-46墜落事故は、2019年1月21日イギリス海峡で発生した航空事故である。

フランスナントからウェールズカーディフに向けて飛行していたパイパー PA-46が、チャンネル諸島オルダニー島沖へ墜落した。パイロットが行方不明となり、乗客であったサッカー選手エミリアーノ・サラが死亡したことでも知られる。
事故の経緯

現地時間1月22日19時15分、サラを乗せた飛行機はナント・アトランティック空港からカーディフ空港へ向けて離陸した[1]ジャージー航空管制と最後の交信が行われた際、パイロットは有視界気象状態を維持するためとして飛行高度を5,000フィート (1,500 m) から2,500フィート (760 m) に変更することを要求していた[2][3]。機影消失時、事故機は高度2,300フィート (700 m)付近を飛行中だった。

20時23分、ガーンジー島沿岸警備隊はジャージー航空管制官から、ガーンジーの北24km付近でレーダーから機影が消えたという通報を受けた[4]。事故機は信号途絶時点でチャンネル諸島オルダニー島の北西13km付近、カスケス灯台の近くを飛行していた[5]

飛行中、サラはWhatsAppを使って不安を伝える音声メッセージを送信している。「ボロボロの飛行機に乗っている。今後1時間半以内に連絡がなかったら、誰かが救助に行かなければならないかもしれない。怖くなってきた!」という内容であった[6]
サラ搭乗の経緯エミリアーノ・サラ(2017年)

サラは1月19日にカーディフでFCナントからカーディフ・シティFCへの移籍契約を結んでいた[7]。サラは契約成立後一旦ナントへと戻り、FCナントのチームメイトに別れを告げてから再びカーディフに行く予定であった[8][9]。カーディフ側は移動にあたってパリ発の商用便をサラに提供していたが、サラ側はそれを断り[9]、別の便を手配していた。サラはカーディフ到着後の翌朝、新しいチームの練習に参加する予定だった[10]

事故機はサラの代理人によって手配されたものだったが、代理人は当日のフライトで使用される機体や担当パイロットの人選には関与していないと主張している。また、このフライトは当初、当日の担当パイロットとは別の人物が担当する予定だった[11]。最初担当予定であったパイロットは数多くのスポーツ選手をヨーロッパへ送り届けた経験のあるベテランで、機材もこのパイロットによって手配されたことがフランスのメディアによって報じられている[11][12]。 飛行計画によると、事故機は当初1月21日9時0分に離陸する予定だったが、遅延していた[13]
事故機

使用された機材は米国で登録された[14]パイパーPA-46で、単発ピストンエンジンを装備した6座席タイプの軽飛行機である[15]。 1984年に製造された機体で、機体番号N264DB、シリアルナンバー46-8408037[14]、登録証明書は2015年9月11日に発行された[16]

事故機は英国サフォーク州バンゲイの受託管理者であるサザン・エアクラフト・コンサルタントに登録されていた[17][18]
最初の捜索活動

事故発生後、捜索救助活動が開始されたが、気象条件の悪化により、1月22日の2時にいったん中断された。この地域は本来イギリスの管轄外であったが、 イギリス沿岸警備隊は航空機の捜索のため、2機のヘリコプターを派遣した[19]。この他オルダニー島とガーンジー島が救命艇を派遣したほか、フランスもヘリコプター1機と海軍の艦船1隻を派遣して捜索に加わった[20]

1月22日の8時から捜索活動は再開された[21]。11時45分までに、5機の航空機と2隻の救命艇により、合計2,590平方キロメートルの範囲を捜索したが、機体の痕跡は発見されなかった[22]。更に15時30分時点で1機の航空機と1隻の救命艇が活動を継続しており、述べ2,991平方キロメートルの範囲を捜索した[23]。22日の夕方、再び捜索活動は中断された。捜索の過程で海上を浮遊する物体は発見されたが、事故機の残骸であるかどうかは分からなかった[24]。1月23日8時から再び捜索活動が行われ、2機の航空機でオルダニー島沿岸の捜索が行われた[25]。 11時30分までにヘリコプターと航空機3機が捜索活動を継続し、衛星写真や携帯電話のデータも調べられたが、航空機の行方を示す情報は得られなかった[26]

1月23日、チャンネル諸島の空中捜索隊は、水中で生存するのは極めて厳しいと発表した[27]。ただし、生存者が救命いかだに乗り、イギリス海峡を漂流している可能性はあるとした[28]。1月24日、生存の可能性は「極めて低い」と判断され、捜索活動は打ち切られた。最終的な捜索範囲はバーフー島、カスケッツ島、オルダニー島シェルブール半島の北海岸、ジャージー島サーク島北海岸と、それら周辺海域の述べ4,403平方キロメートルに及んだ[29]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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