2018年アフガニスタン下院議員選挙
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2018年アフガニスタン下院議員選挙
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2010年 ←
2018年10月20日 - 27日


選挙前下院議長

アブドゥル・ラウフ・イブラヒミ
無所属選出下院議長

ミール・ラフマーン・ラフマニ
無所属

2018年アフガニスタン下院議員選挙(2018ねんアフガニスタンかいんぎいんせんきょ、パシュトー語: ? ????????? ? ???? ???? ? ???? ??? ?????‎)は、2018年10月20日に行われたアフガニスタン・イスラーム共和国で行われた国民議会(ウォレシ・ジルガ)議員の選挙である[1][2]

もともと選挙は2016年10月15日に予定されていたが[3]、2018年7月7日に延期され[4]、10月20日に再延期された[5]。現行の選挙制度は単記非移譲式投票で行われているが[6]、選挙戦では選挙法の改正に焦点があてられた。カンダハール州の投票は10月27日に行われ[7][8]、新議会は2019年4月26日に発足した[9]
背景
選挙制度への不信

2014年の大統領選挙で争ったガニー大統領とアブドラ・アブドラ行政長官は次の選挙までに選挙制度を見直すという約束で権力を共有し、国家統一政府(NUG)を樹立した。しかし選挙制度の見直しは方法や人選の対立で遅々として進まなかった。ガニー大統領はシュクリア・バラクザイ(Shukria Barakzai)を推薦したが、アブドラ行政長官は大統領に近すぎるとして拒否した。またアブドラ行政長官は2014年の大統領選挙と同じ官僚が下院議員選挙を行うことにも強く反対した。2014年の選挙では、ガニー大統領を利するような不正があったと噂されたが、不正は立証されず見過ごされた[10]。アブドラは大幅な選挙制度改革を強く求めたが、ガニーは限定的な改革を主張した[11]
投票者登録の問題

改革が必要な重要課題の1つは投票者の登録制度である。現状の制度では投票地域が限定されていないので、2001年に発行した投票者カードは全国のどの投票所でも使用できてしまう。また2001年以来の3回の選挙で2000万枚のカードが発行されたが、アフガニスタンの有権者は1200万人しかおらず、余分なカードは不正の温床になっていた。しかし電子的な身分確認システムの導入は困難で、10年以上の検証が必要とされている[11]。国連の機関は多大な資金援助を行ったが改革は遅々として進まず、2015年6月に援助を打ち切った[12]。議会の任期が6月22日に迫ったが、ガニー大統領は任期の延長法を発布しなかった。7月16日、9か月遅れで、ガニー大統領は選挙改革委員会を設立し[13]、8月から検証作業が始まった[14]
委員会の答申

2015年8月30日、委員会は2つの案を答申した。1つは議席数を250から83に削減して、独立候補が乱立する現状を脱して全国規模の政党政治への移行を促す案。もう1つは選挙制度を改革して、身分確認の明確化や選挙区の細分化により不正を防止する案だった。アブドラは後者の案に好意的だと言う[15]。またガニー大統領派のカウン・カカル委員(Kawun Kakar)とシャー・マスード・ミアヘル委員(Shah Mahmood Miakhel)は全国規模の政党政治を優遇するより、地元の議員と選挙民が親密である方が良いという理由で前者の案に反対した。一方、委員長のシャー・スルタン・アケフィ(Shah Sultan Akefi)は政党政治への移行を主張した[15]
治安の悪化

2014年のISAFの撤退を機にターリバーンは全国的に攻勢を強めた。一方、アフガニスタンの国家統一政府は大統領選挙から1年が経過した2015年になっても権力争いを続けており、国防大臣の選任が遅れてアフガニスタン第六の都市クンドゥーズが一時的に陥落するなど混乱を極めた[16]。同年、イスラム国(ISIS)がアフガニスタンに対して領土的な野心を向け、アフガニスタン政府やターリバーンと三つ巴の戦いを始めた。2017年、アフガニスタン政府の支配地域は407郡中231郡(57%)にすぎないことが判明した。政府とターリバーンは122郡(30%)の支配を争っており、ターリバーンが54郡(13%)を支配していることが分かった。ターリバーンの支配地域は2015年11月から2017年8月の間に倍増しており、紛争地域も1.4倍増加した。ウルズガーン州(7郡中5郡)やクンドゥーズ州(7郡中5郡)、ヘルマンド州(14郡中9郡)はほぼターリバーンに支配されていた[17]。2018年になってもターリバーンの猛攻は続き、ガズニー州の州都が陥落寸前になった。
選挙準備

結局、選挙が実施されたのは3年後の2018年である。選挙資格のある約1200万人のうち、約900万人が選挙登録を行った(うち女性は300万人)[18] 。2万1000か所以上の投票所が設けられ、警備の治安軍は5万4000人以上に及んだ[19]

1月、独立選挙委員会(IEC)の新委員長にアブドゥル・バーディー・サイイド(Gula Jan Abdul Bade Sayad)が選ばれた[20]。2月、ガニー大統領がターリバーンに選挙への参加を呼びかけた[21]。3月、7355か所中1120か所の投票所の危険度は非常に高く、948か所はアフガニスタン政府の支配地域外にあると内務大臣が発表した[22]。4月14日、アフガニスタン政府は選挙日を10月20日に確定し、有権者登録を開始した。有権者登録は3つの期間に分かれており、最初は州都の住民、次は郡の住民、最後に遠隔地の住民を対象に行われた[23]。同月、ターリバーンは政治的な決定は数千にも及ぶ占領軍が行っており、最終的な決定はアフガニスタンの有権者ではなくアメリカ合衆国の国務長官が行っているとして、無意味な選挙には参加しない旨を発表した[24]。5月、場所を変えれば何度でも有権者登録を行えることや有権者登録済み証明書が市中に出回っていることが発覚した[25]。アフガニスタンの大統領府は登録済みの有権者のIDに印をつけるなどの弥縫策で対応しようとしたが、選挙不正につながるとして独立選挙委員会の職員から拒絶された[26]。6月末、独立選挙委員会は最初の候補者リストを発表した。この時点の判明した候補者は2691人(うち女性は404人)であり、有権者登録は730万人だった[27]。8月11日、独立選挙委員会は違法な武装集団の関係者など35人を最終候補者リストから除外した[28]。除外された6人の候補者を支援する数十人のデモ隊はカブールの独立選挙委員会の事務所の周りにテントを張って、職員が中に入れないようにした。またバルフ州の現下院議員で失脚した元知事の腹心の1人だったアサデュッラー・シャリフィ候補(Assadullah Sharifi)のデモ隊は高速道路を封鎖した[29]。9月、政府はガズニー州で選挙を行うかどうか決断できないでいた。州内の14郡の治安は非常に危険で、州都の15か所の有権者登録センターも閉鎖されていた[30]


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