2016年リオデジャネイロオリンピックの開会式
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リオデジャネイロオリンピックの開会式
Games of the XXXI Olympiad XXII Opening Ceremony
第31回オリンピック競技大会開会式
イベントの種類開会式
開催時期2016年8月5日20:16 ? 23:54 BRT (UTC-3)
(3時間38分)
会場 ブラジル リオデジャネイロエスタジオ・ド・マラカナン
主催IOC
企画制作フェルナンド・メイレリス
運営リオデジャネイロオリンピック組織委員会
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2016年リオデジャネイロオリンピックの開会式(2016ねんリオデジャネイロオリンピックのかいかいしき)では、2016年8月5日午後8時(ブラジル時間UTC-3)にリオデジャネイロのエスタジオ・ド・マラカナンで挙行されたリオデジャネイロオリンピック(第31回夏季オリンピック)の開会式について取扱う。

今大会は閉会式やパラリンピックの式典を含めた総監督に映画監督のフェルナンド・メイレリスが務めた。
開会式

開会式の会場となったエスタジオ・ド・マラカナンはサッカー専用の競技場であり、2014年FIFAワールドカップに合わせて改修された。夏のオリンピックの開会式が陸上競技場以外で開催されるのは1900年の第2回パリオリンピック以来で116年ぶりであった。
プロローグブラジルの国旗の掲揚。国旗、オリンピック旗の掲揚台は「オスカー・ニーマイヤー風」である。

午後8時の定刻、開会式はルイス・メロディア歌唱の『抱擁(Aquele Abraco)』とともにリオデジャネイロの空撮の映像で始まった。リオデジャネイロの砂浜と波に、リオデジャネイロの各地でスポーツに興ずる人々の様子が映し出され、最後に正方形、あるいはそれを半分にした直角二等辺三角形の250枚の銀色のシートがランダムに並べられた地面が映し出された。それは開会式の始まったスタジアムの様子である。銀色のシートを広げて支えていた人々が、それに空気をはらませて、渦を巻きながら動き出すと花火が打ち上げられた。

プロジェクションマッピングの最初のイメージのあと、トーマス・バッハIOC会長が紹介された。歌手のパウリーニョ・ダ・ヴィオラがブラジリアを設計した建築家オスカー・ニーマイヤーの作品(cf.ブラジルの国会議事堂)に触発されたデザインの舞台の上でショーロ風に編曲されたブラジルの国歌を歌唱し観客を魅了した。国歌の演奏には9人の弦楽がともなった。ブラジルの国旗バーナ・ディアスロブソン・ダ・シルバマウレン・マギフラビオ・カントによって運ばれ掲揚された。60のブラジルの国旗を身に巻いたダンサーが舞台を取り囲んだ[1]
芸術的パフォーマンス詳細は「ブラジルの歴史」を参照ブラジルの先住民をテーマにした演技。日系ブラジル人をテーマにした演技。ブラジルの発明家で、「飛行機王」と呼ばれたアルベルト・サントス=デュモンの14Bisのレプリカ。

芸術的なパフォーマンスはspirit of kludgeのオマージュを伴ったものになった。これは「虚無からきたる偉大なことをするための才能」としての創造主によって規定される。

このパートの始まりでは、ブラジルの幾何学的な図形として先住民の幾何学図形、アフリカ人の紋様、ポルトガルのタイルが取り上げられる。平和と持続可能性が一本の木の平和のシンボルのプロジェクションマッピングで表される。ブラジルを覆う果てしない森林にポルトガル人が到来したことが表現された。生命の始まりから、先住民族工芸品製作中を模した演技中に先住民の構成が演じられブラジルの先住民に敬意が払われた。彼らは2つのw:Parintins Festivalの団体の72人のダンサーであった。キャラベル船に乗ってブラジルに到来したヨーロッパ人、奴隷としてブラジルへの到来を強制されたアフリカ人、移民として到来したアラビア人日本人などブラジルに到来した人々のパフォーマンスがそれぞれの子孫によって演じられた[2]。日系人の登場した時間帯はメイレレス監督の意向により、広島市への原子爆弾投下が行われた日本時間の午前8時15分の時間帯に合わせられた[3]Tribute to w:samba.

パルクール集団が、舞台を横切り、プロジェクションマッピングで映されたビルの屋根を飛び跳ねた。これは現代のブラジルの都市化と大都市への集中をハイライトしたものである。シコ・ブアルキのクラシック音楽『建設("Construcao")』の音とともに、アクロバットはシノグラフィーの建物のファサードを描き、白い壁を取り付け、その前でブラジルの発明家アルベルト・サントス=デュモンが「14Bis」飛行機を製作する様子が俳優によって演じられた。

飛行機からの映像ではリオデジャネイロの上空を飛び、コルコバードの丘なども回遊していく。ここで、ジゼル・ブンチェンが『イパネマの娘』を演じて、会場をウォーキング。その時にはアントニオ・カルロス・ジョビンの孫ダニエル・ジョビンがクラシック音楽を演奏した。ブンチェンのウォーキングのあとをサン・フランシスコ礼拝堂 と ブラジリア大聖堂のようなニーマイヤーの作品の揺らめく曲線群がプロジェクションマッピングで描きだされ、後を追いかけるように映し出された。[4][5]ファベーラのアトラクション。

『イパネマの娘』のあと、サンバとファンク・キャリオカの音に合わせてリオデジャネイロのスラムファベーラ」が表現された。このときエルザ・ソアレスが『オサーニャの歌(Canto de Ossanha)』をルドミラが『ラップ・ダ・フェリシダーデ(Rap da Felicidade)』を演奏した。ラッパーのマルセロ・D2と歌手のゼカ・パゴディノが映像に流れていたカポエイラの決闘をシミュレイトした。w:maracatuとw:bumba-meu-boiのような文化的イベントのは会場の舞台を分かち合った。ジョルジ・ベンジョールとレジナ・カセが『熱帯の国(Pais Tropical)』を歌唱した。[2]カエターノ・ヴェローゾ、 アニッタとジルベルト・ジル

選手入場の後、花火を持ったSpecial Groupの12のサンバチームが現れ、「争いをやめ、みんなで一緒に踊りましょう」と声をかけられると、アニッタ、カエターノ・ヴェローゾジルベルト・ジルがアリー・バホーゾの『ここではこれは何?(Isto aqui, o que e?)』を歌った。

Lea Tが開会式に出席していた。そして最初のオリンピックに参加したトランスジェンダーになった[6]


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