2014年冬季オリンピックの開催地選考(2014ねんとうきオリンピックのかいさいちせんこう)では2014年冬季オリンピックの開催地が選考されるまでの経緯について記述する。
2014年冬季オリンピックの開催地選考には7都市が立候補した。IOCの理事会による1次選考でロシアのソチ、オーストリアのザルツブルク、韓国の平昌が「正式立候補都市」に選出され、2007年7月の第119次IOC総会においてソチが開催地に選ばれた。
2006年6月22日に行われた1次選考を通過した3都市は、詳細な開催計画を記載した「立候補ファイル」を2007年1月10日までに提出した。同年2月から4月には、IOCの評価委員会が各立候補都市を現地視察し、開催地決定の1ヶ月前に視察の結果を記載した各都市の「評価報告書」を公表した。
開催地を決める投票は、2007年7月4日にグアテマラの首都グアテマラシティで開かれた第119次IOC総会で行われた。[1] 1回目の投票で最少得票だったザルツブルクが落選し、2回目の決選投票で平昌を4票差で破ったソチが開催地に選ばれた。 平昌にとっては、2010年冬季オリンピックの開催地選考において1回目の投票でトップに立つも、2回目の投票でバンクーバーに3票差で敗れて開催を逃していただけに今回は大本命と見なされていたが、今回の開催地決定投票でも4年前と同様の出来事が起こってしまった。 1回目の投票でどの都市も過半数の票を獲得できなかったため、最も票の少なかったザルツブルクが落選。36票を獲得してトップだった平昌と、34票を獲得して2位となったソチの決選投票では、ザルツブルクの支持票がソチに流れ、51票を獲得したソチが開催地に決定。平昌は47票にとどまり、またしても開催権を勝ち取ることができなかった。 2014年開催地決定投票-投票結果 開催地の選考過程は、各国のオリンピック委員会(NOC)が国際オリンピック委員会(IOC)に申請書を提出して開始する。立候補の申請締め切りは2005年7月28日で、各申請都市は2006年2月1日までに開催計画の概要を記載した「申請ファイル」を提出した。IOCの作業部会が各都市の申請ファイルを精査し、オリンピックの開催能力のある都市を絞り込み、IOC理事会が2006年6月22日に「正式立候補都市」に選出された都市を発表した。「正式立候補都市」に選出された都市は、次ぎの第2段階に進むことが出来る。 各立候補都市は、より詳細な開催計画を記載した「立候補ファイル」を2007年1月10日までにIOCへ提出した。IOCの評価委員会が各都市のファイルの精査を行い、その後2007年2月から4月にかけて各都市を現地視察した。視察の結果を基に評価委員会は各都市の「評価報告書」を開催地決定の1ヶ月前に公表した。
選考のスケジュール黒海の海岸に設置されたソチの招致ロゴが描かれた看板
2004年
4月17日 ? ブルガリアオリンピック委員会、開催候補地にソフィアを指名
10月24日 ? IOC理事会、2014年冬季オリンピックの選考日程を発表
12月30日 ? 韓国オリンピック委員会、開催候補地に平昌を指名
2005年
1月24日 ? オーストリアオリンピック委員会、開催候補地にザルツブルクを指名
6月22日 ? ジョージア国内オリンピック委員会、ボルジョミを開催候補地として立候補
7月20日 ? スペインオリンピック委員会、ハカを開催候補地として立候補
7月21日 ? カザフスタンオリンピック委員会、アルマトイを開催候補地として立候補
7月28日 ? 立候補申請の締切
2006年
2月1日 ? 開催計画の概要を記載した「申請ファイル」の提出期限日
6月21日?23日 ? IOC理事会で第1次選考が行われ、ソチ、ザルツブルク、平昌の3都市が正式立候補都市に選ばれた
2007年
1月10日 ? 開催計画の詳細を説明する「立候補ファイル」の提出期限日
2月中旬?4月中旬 ? IOC評価委員会(委員長・猪谷千春)が各都市を現地視察
6月 ? IOC評価委員会が各都市の評価報告書を発表
7月4日 ? 第119次IOC総会(グアテマラシティ)で開催地がソチに決定
開催地決定投票
City国 (NOC)1回目2回目
ソチ ロシア3451
平昌 韓国3647
ザルツブルク オーストリア25?
開催地の選考過程2007年7月4日、グアテマラシティで行われたIOC総会でソチのプレゼンテーションに登壇したロシアのウラジーミル・プーチン大統領(当時)
第1段階:申請都市
第2段階:正式立候補都市
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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