2014年のジョージア
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各年のジョージアの一覧

この項目では、2014年のジョージアについて記述する。
政権在職者
中央政府

大統領: ギオルギ・マルグヴェラシヴィリ(2013年11月17日 ? 在任中)

首相: イラクリ・ガリバシヴィリ(2013年11月20日 ? 2015年12月30日)

国会議長: ダヴィッド・ウスパシュヴィリ(2012年10月21日 ? 在任中)

自治共和国
アジャリア

首相: アルチル・ハバゼ(2012年10月30日 ? 在任中)

最高評議会議長: アフタンジル・ベリゼ(2012年10月28日 ? 在任中)

アブハジア

首相(亡命政府): ヴァフタング・コルバイア(代行; 2013年4月8日 ? 在任中)

最高評議会議長(亡命政府): エルグヤ・グヴァザヴァ(2009年3月20日 ? 在任中)

係争領域
アブハジア

大統領: アレクサンドル・アンクヴァブ(2011年5月29日 ? 2014年6月1日)、ヴァレリ・ブガンバ(代行; 2014年6月1日 ? 2014年9月25日)、ラウリ・ハジムバ(2014年9月25日 ? 在任中)

副大統領: ヴィタリ・ガブニア(2014年9月25日 ? 在任中)

首相: レオニード・ラケルバヤ(2011年9月29日 ? 2014年6月2日)、ウラジーミル・デルバ(代行; 2014年6月2日 ? 2014年9月29日)、ベスラン・ブタ(2014年9月29日 ? 2015年3月17日)

人民議会議長: ヴァレリ・ブガンバ(2012年4月3日 ? 在任中)

南オセチア

大統領: レオニード・チビロフ(2012年4月19日 ? 在任中)

首相: ロスチスラフ・フガエフ(2012年4月26日 ? 2014年1月20日)、ドメンチイ・クルムベゴフ(2014年1月20日 ? 在任中)

国会議長: スタニスラフ・コチエフ(2012年7月2日 ? 2014年6月23日)、アナトリイ・ビビオフ(2014年6月23日 ? 在任中)

出来事
1月アメリカ合衆国議会からの派遣団を受け入れるジョージア政府(2014年1月20日)

1月1日 ? 再統合省は名称を融和・市民平等省に改称した。併せてアブハジアおよび南オセチアに存在する独立政体との関与を弱める狙いを打ち出した。[1]

1月8日 ? グルジア正教会イリア2世総主教は降誕祭のメッセージにおいて、代理母あるいは人工授精を介して産まれた子供たちが成人になることについて「問題がある」と述べ、そのような子供を持った家族は幸福になることができないだろうという意見を述べた。この発言は論争を引き起こし、総主教の執務室の外では抗議集会が開かれた。抗議者たちは総主教の支持者たちと衝突し、小規模な小競り合いが発生した。[2][3]

1月20日 ? 独立状態にある南オセチアの大統領レオニード・チビロフは、政府の非効率性と経済問題への取り組みの怠慢さを理由として、政府を解散した。[4]

2月

2月5日 ? ジョージア国会は地方自治の改革に関する法案を採択した。これにより、12の町において予定していた首長選任は、直接選挙により実施する運びとなった。また今後は、すべての自治体の首長についても、同様に直接選挙で選任することとなった。
[5]

2月7日?23日 ? ロシアとの緊張関係のために国内ではボイコットすべきとの論争も起こったが[6]、ジョージアはロシアのソチで開催の2014年冬季オリンピックに対して選手派遣を決定した。選手4名が出場したが、メダル獲得はならなかった。[7]

2月17日、27日 ? 野党「統一国民運動」で幹事長を務めていたヴァノ・メラビシュヴィリ元首相が、職権濫用、有権者との贈収賄、そして予算財源の非効率的な使用の罪により、禁錮5年の刑が宣告された[8]。また2011年5月にトビリシで開かれた反政府集会について公的権限を超える形で排除したとして、4年6ヶ月が追加された。[9]

2月21日 ? 中央アフリカ共和国における欧州連合の軍事ミッション (EUFOR RCA) の一環として、ジョージア国会は歩兵中隊を中央アフリカへ派遣する決定を承認した。[10]

2月21日 ? ジョージアの愛国的なユーロマイダンの活動家ダヴィッド・キピアニ(33歳)が、ウクライナキエフにおいて、警察部隊と反体制派の抗議者の衝突にて死亡した。ウクライナで発生した一連の抗議活動におけるジョージア人の死者は、これが2件目となった。[11]

2月28日 ? 2006年のコドリ危機に関与したとして指名手配されていた武装グループ指導者エムザル・クヴィツィアニが、モスクワからトビリシに到着したところを逮捕された。[12]

3月

3月14日 ? ジョージア政府は採掘会社
RMGに対して、サクドリシ遺跡での金採鉱の許可を与えた。考古学者や保護主義者らは、これに対して抗議の意を示した。[13]

3月15日 ? ラグビージョージア代表欧州ネイションズカップで勝利した。[14]

3月24日 ? 内務省特殊部隊の元責任者シャルヴァ・タツハシュヴィリが不透明な状況下で死亡した。彼は元上司ダタ・アハライアの刑事事件に関する証人となっていたが、捜査員が取り調べ中に虐待を行った疑惑が後に浮上した。この疑惑について、検察当局は否定した。[15][16]

3月27日 ? 検察はいくつかの刑事事件の証人として尋問を行うため、ミヘイル・サアカシュヴィリ元大統領の召喚を求めた。対象の事件には、2005年にズラブ・ジワニア首相が死亡した案件などが含まれていた。このときサアカシュヴィリ元大統領はアメリカに滞在していたが、尋問のためにジョージアへ戻る意思はないと述べた。[17]

4月

4月15日 ? ジョージア人ジャーナリスト3名が拘留され、
ロシア軍により監禁状態となった。彼らは2日後に南オセチアとの行政境界線付近で解放された。[18]

5月ダリアリ峡谷にて地滑りが発生(2015年5月)

5月2日 ? ジョージア国会は「あらゆる差別の撲滅」を謳った差別禁止法案について、3回目の計上の結果、115票の賛成で可決した。これに対しては人権団体が批判を行い、効率的に実施する体制が欠如していると指摘した。またグルジア正教会は「性的指向」と「性同一性」に言及し、強い反対を示した。


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