2013年のジョージア
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憲法改正は、2013年3月25日の3次集計および最終集計をもって可決された。[12][13]

4月

4月19日 ? 政党「
統一国民運動」とミヘイル・サアカシュヴィリ大統領の支持者10,000人超がトビリシの繁華街に集結した。これは2012年10月の議会選挙での敗北以来、初めての大規模な集会であった。[14]

4月27日 ? 政党連合「ジョージアの夢」は国会補欠選挙において、3議席すべてを獲得した。勝利した選挙区はナザラデヴィ(トビリシ)、バグダティ、サムトレディアであった。[15]

5月第42歩兵大隊と第33歩兵大隊のアフガニスタン派兵式典(2013年3月22日)

5月12日 ? 政党連合「ジョージアの夢」のメンバーであるゲラ・クヴェデリゼ第一内務副大臣が、内密に記録したスリーサムによる性行為の映像を漏出したとして、プライバシー侵害の容疑により逮捕された。[16]

5月13日 ? アフガニスタンヘルマンド州を拠点にしていたジョージア軍の基地に対して、反政府軍が攻撃を行った。ジョージアの国際治安支援部隊の構成部隊は、直ちに反政府軍を撃退した。ジョージア人の被害者は死者3名、負傷者27名であった。[17]

5月17日 ? 2013年、トビリシにおいて反ホモフォビアに抗議する活動が実施されたが、騒動となり30余人が負傷した。トビリシの繁華街では反ホモフォビアを訴える集会が計画されていたが、正教徒の司祭らが反ホモフォビア集会に対する抗議デモを行った(2013年トビリシ反ホモフォビア集会抗議デモ)。[18][19]

5月18日 ? スウェーデンマルメで開催されたユーロビジョン・ソング・コンテスト2013において、ジョージアの2人組ソポ・ゲロヴァニとノディコ・タティシヴィリが決勝まで進み、15位の成績を収めた。彼らの楽曲「Waterfall」はマルセル・ブザンソン賞の「記者賞」を受賞した。[20]

5月21日 ? 前ジョージア首相である統一国民運動のイヴァニ・メラビシヴィリ幹事長とカヘティ州のズラブ・チアベラシヴィリ州知事が、2012年の選挙期間中に公的資金520万ラリを選挙活動に流用した疑惑により、取り調べの為に逮捕された。同党はこの告発を、ビジナ・イヴァニシヴィリ政権に対立する統一国民運動への政治的攻撃であると主張した。[21]

6月トビリシ・オープン・エア2013で演奏を披露するディープ・パープル

6月5日 ? 音楽祭トビリシ・オープン・エアにイギリスのロックバンド「ディープ・パープル」が出場し、ディナモ・アレナにおいて演奏を披露した。[22]

6月6日 ? アフガニスタンに派遣されている国際治安支援部隊の拠点シル・ガザイに反政府派がトラック爆弾を使用して攻撃。ジョージア軍の兵士7人が死亡、9人が負傷した。[23]

6月7日?16日 ? トビリシにおいてラグビーの国際大会「トビリシカップ」が開催された。

6月13日 ? ジョージア内務省は「テロ行為の企てを準備段階で阻止した」と発表し、2人の“外国市民”容疑者ミカイル・カディエフとリズヴァン・オマロフを逮捕した。[24]

6月27日 ? NATO事務総長アナス・フォー・ラスムセンはトビリシを訪問し、元政府高官の逮捕が相次いでいることに懸念を表明した。 彼はビジナ・イヴァニシヴィリ政権に対し、恣意的な裁判を止めるよう要求した。[25]

7月

7月4日 ? ジョージア警察
は116キログラムのヘロインを押収した。これは国内の薬物押収量としては過去最大であり、外国籍の人物2名を逮捕した。[26]

7月12日 ? ジョージアはバヌアツと外交関係の樹立および領事交換に合意・調印した。これによりバヌアツが独立状態にあるアブハジアを国家承認する懸念は終了した。[27]

7月22日 ? 欧州連合とジョージアは連合協定の一つである「深化した包括的自由貿易協定」について交渉を行い、成功裏に終了した。[28]

8月

8月26日 ? 南部
サムツヘ=ジャヴァヘティ州の地域で緊張状態が激化。ムスリムが多く住むアディゲニ地区の村チェラにおいて、政府がミナレットを強制的に解体したためであった。これについて政府は、建設認可が不足していたためと述べた[29]。このミナレットはその後、2013年11月に自治体協議会により認可が与えられ、再設置された。[30]

9月

9月9日 ? ジョージアはトビリシ航空機製造工場
の軍用滑走路を使用して、初の航空ショーを開催した。これはジョージア系アメリカ人の航空技師アレクサンダー・カルトヴェリの生誕記念日を祝うものであった。[31]

9月25日 ? ミヘイル・サアカシュヴィリ大統領は国際連合総会において、ロシア軍が独立状態にある南オセチアの求めに応じて有刺鉄線フェンスを設置していると演説した。そしてロシア軍がジョージアの領土を切り取り続けていると非難した。[32]

10月

10月3日 ? ジョージア内務省
キルギス国籍のサマル・チョクタエフをテロ事件に関与した疑いで、不在起訴を行った。彼は独立状態にあるアブハジアにおいて、ロシアの携帯電話事業者向けのIT専門家を務めていた。彼はジョージア軍に対立する「聖戦の脅威」の映像を作成した人物であるとジョージア警察により特定されており、この映像は6月頃からインターネット上に出回っていた。[33]

10月15日 ? ミヘイル・サアカシュヴィリ政権下で国防大臣を務めたダヴィード・カゼラシュヴィリが贈収賄の容疑を受け、国際刑事警察機構の令状によりフランスで拘束された。ジョージア政府はカゼラシュヴィリ元国防大臣の身柄引き渡しを要求した。[34]

10月27日 ? 2013年ジョージア大統領選挙において、与党「ジョージアの夢」連合のギオルギ・マルグヴェラシヴィリ候補が62パーセントの票を獲得し、勝利した。ミヘイル・サアカシュヴィリ大統領の統一国民運動ダヴィト・バクラゼを大統領候補に擁立したが、得票率は22パーセントに終わった。
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