2013年のジョージア
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各年のジョージアの一覧

2013年のジョージアは、史上初めて、平和的な政権交代と議会共和制への移行を完了した。2012年10月に当時の大統領ミヘイル・サアカシュヴィリが率いていた「統一国民運動」を打破して政権を獲得した政党連合「ジョージアの夢」は、更なる民主改革の推進を公約した。「ジョージアの夢」のギオルギ・マルグヴェラシヴィリは2013年10月の大統領選挙にて勝利し、大統領権限を大きく減らして首相や行政府の権限を強めた新憲法を発効した。11月、「ジョージアの夢」の代表であるビジナ・イヴァニシヴィリ首相は政界引退を表明し、長年の盟友であったイラクリ・ガリバシヴィリを後継者に指名した。
政権在職者
中央政府

大統領: ミヘイル・サアカシュヴィリ(2004年1月25日 ? 2013年11月17日)、ギオルギ・マルグヴェラシヴィリ(2013年11月17日 ? 在任中)

首相: ビジナ・イヴァニシヴィリ(2012年10月25日 ? 2013年11月20日)、イラクリ・ガリバシヴィリ(2013年11月20日 ? 2015年12月30日)

国会議長: ダヴィッド・ウスパシュヴィリ(2012年10月21日 ? 在任中)

自治共和国
アジャリア

首相: アルチル・ハバゼ
(2012年10月30日 ? 在任中)

最高評議会議長: アフタンジル・ベリゼ(2012年10月28日 ? 在任中)

アブハジア

首相(亡命政府): ギオルギ・バラミア
(2009年6月15日 ? 2013年4月5日)、ヴァフタング・コルバイア(代行; 2013年4月8日 ? 在任中)

最高評議会議長(亡命政府): エルグヤ・グヴァザヴァ(2009年3月20日 ? 在任中)

係争領域
アブハジア

大統領: アレクサンドル・アンクヴァブ(2011年5月29日 ? 2014年6月1日)

副大統領: ミハイル・ログア(2011年9月26日 ? 2013年12月25日)

首相: レオニード・ラケルバヤ(2011年9月29日 ? 2014年6月2日)

人民議会議長: ヴァレリ・ブガンバ(2012年4月3日 ? 在任中)

南オセチア

大統領: レオニード・チビロフ(2012年4月19日 ? 在任中)

首相: ロスチスラフ・フガエフ(2012年4月26日 ? 2014年1月20日)

国会議長: スタニスラフ・コチエフ(2012年7月2日 ? 2014年6月23日)

出来事
1月

1月1日 ? ジョージアは
民主主義と経済発展のための機構GUAMにおいて輪番により議長国に就任した。これはジョージア、ウクライナアゼルバイジャンモルドバの4カ国による国際機関である。[1]

1月5日 ? トビリシ市裁判所は検察庁が提出した「受刑者に対する組織的・非人道的な処遇」による起訴を受けて、元司法大臣ズラブ・アデイシヴィリに対して本人不在のまま公判前勾留を宣告した。[2]

1月13日 ? ジョージアの新議会は政治犯と見なされていた約200人の受刑者を恩赦により釈放した。[3]

1月23日 ? ビジナ・イヴァニシヴィリ首相は国防大臣イラクリ・アラサニアについて、アラサニアが2013年の大統領選挙で計画した「狭いサークル」の議論を引用した上で、アラサニアが兼任していた副首相の職務を解いた。[4][5]

1月23日 ? グルジア正教会イリア2世総主教はモスクワ総主教キリル1世の立会いの下、モスクワにてロシアのウラジーミル・プーチン大統領と会談した。[6]

1月24日 ? ジョージアのビジナ・イヴァニシヴィリ首相はダボスで開催された世界経済フォーラムに出席し、ロシア側のカウンターパートであるドミートリー・メドヴェージェフ首相と短い会話を行った。グルジアとロシアの行政府の長が会談を行ったのは、2008年の南オセチア紛争以降では初めてのことであった。[7]

1月24日 ? アルメニアの活動家ヴァハグン・チャハリア(2008年に逮捕)が恩赦法により刑務所から釈放された。[8]

2月

2月7日 ?
ミヘイル・サアカシュヴィリ大統領による議会での年次教書演説が2月8日に予定されていた。しかしながら議会で過半数を占める政党連合「ジョージアの夢」によって、年次教書演説の実施延期が図られた。政党連合「ジョージアの夢」が提案していた、大統領の権限を制限しようとする憲法改正について、論争となったためであった。サアカシュヴィリ大統領はジョージア国立国会図書館で演説を行うことを決定した。[9]

2月8日 ? 国立国会図書館の外において、300余の抗議団体が、ミヘイル・サアカシュヴィリ大統領が属する議会少数党「統一国民運動」の党員らに暴行を行った。大統領は年次教書演説の発表を大統領官邸から強行した。[9]

3月2013年4月の国会議場となったクタイシの公会堂

3月4日 ? 「統一国民運動」のミヘイル・サアカシュヴィリ大統領と「ジョージアの夢」のビジナ・イヴァニシヴィリ首相がトビリシで会談を行った。しかしながら意見の相違により、具体的な成果は得られなかった。[10]

3月4日 ? 二大政党の「ジョージアの夢」と「統一国民運動」が共同で起草した親欧米派の外交政策路線について、ジョージア国会は決議採択した。[11]

3月21日 ? ジョージア国会は全会一致で、大統領権限のうち議会の承認なしに政府閣僚を任命できる権限を取り除く憲法改正を可決した。先行して実施された拘束力のない試験投票の結果から、ミヘイル・サアカシュヴィリ大統領の勢力は、議会で多数派を占める政党連合「ジョージアの夢」が憲法改正に必要な3分の2以上の票を獲得できないと推測していた。憲法改正は、2013年3月25日の3次集計および最終集計をもって可決された。


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