2011年のFIA_GT1世界選手権
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2011年のFIA GT1世界選手権
前年:2010翌年:2012

2011年のFIA GT1世界選手権は、FIA GT1世界選手権の2年目のシーズン。国際自動車連盟GT1レギュレーションで争われる。選手権はドライバーズタイトルとチームタイトルが懸けられた[1]。前年度参加した6マニファクチャラーの内、5つが継続して参加した。しかしながら、マセラティが参戦を取りやめたため、チャンピオンのビータフォン・レーシングチームはタイトル防衛が不可能となった[2]。今年度はGT1カテゴリーの最終年度となり、各マニファクチャラーは新型車両を投入しなかった。これは日産・GT-R GT1がGT1レギュレーションに沿って製作された最後の車両になったことを意味した。

シーズンはアブダビヤス・マリーナ・サーキットで3月25日に開幕し、アルゼンチンのポトデロ・デ・ロス・フネス・サーキットで11月6日に行われた最終戦まで全10戦が行われ、その中には中国オルドス国際サーキットでの初めてのレースも含まれた。JRモータースポーツのドイツ人ドライバーコンビ、ルーカス・ルーアミハエル・クルムが4勝を挙げてドライバーズタイトルを獲得し、エクシス AMRがチームタイトルを獲得した。
開催カレンダー

FIAは2010年12月10日に行われた世界モータースポーツ協議会で全10戦のカレンダーを発表した[3]。中国のオルドス国際サーキットが初開催となり、ヨーロッパ外で行われる4番目のイベントとなった。これはブルノで行われていたチェコ・ラウンドの代替であった。いくつかのイベントの開催サーキットが変更となった。ベルギー・ラウンドはスパ・フランコルシャンからゾルダーに変更となり、ドイツ・ラウンドはニュルブルクリンクに代わってザクセンリンクで開催されることとなった。

当初はクリチバ・サーキットでブラジル・ラウンドの開催が計画されていたが、シーズン途中でキャンセルとなった。FIAはオルドスのレース1週間後に北京金港国際サーキットで2度目の中国ラウンドを開催することを承認した[4][5]。北京でのレースの翌日、「北京GT1ワールド・スーパーカー」博覧イベントがオリンピック公園で開かれ、短距離の市街地レースが開催された[6]アストンマーティン使用チーム、ヤングドライバー AMRとエクシス AMR。

ラウンド開催国サーキット開催日
1 アラブ首長国連邦ヤス・マリーナ・サーキット3月26日
2 ベルギーゾルダー・サーキット4月10日
3 ポルトガルアウトードロモ・インテルナシオナル・ド・アルガルヴェ5月8日
4 ドイツザクセンリンク5月15日
5 イギリスシルバーストン・サーキット6月5日
6 スペインナバラ・サーキット7月3日
7 フランスポール・リカール・サーキット7月17日
8 中国オルドス国際サーキット9月4日
9 中国北京金港国際サーキット9月10日
10 アルゼンチンポトデロ・デ・ロス・フネス・サーキット11月6日

エントリー
マニファクチャラー

2011年はマセラティ・MC12 GT1、コルベット C6.Rアストンマーティン・DBR9が選手権レギュレーションに適合する最後のシーズンであった。この3車種はホモロゲーションを満たすため2年の権利放棄が行われた。2010年6月、オーロラ・レーシング・デザインはBMW・アルピナ・B6をベースとしたGT1車両の開発計画を発表した。これはFIA GT3レギュレーションに基づくB6 GT3をベースとする物であった[7][8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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