2007年のF1世界選手権
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2007年のFIAフォーミュラ1
世界選手権
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2007年のF1世界選手権は、FIAフォーミュラ1世界選手権の第58回大会となる。2007年3月18日にオーストラリアで開幕し、10月21日にブラジルで開催された最終戦まで、全17戦で争われた。目次

1 シーズン概要

1.1 1ポイント差の明暗

1.1.1 スパイゲートの激震


1.2 新人当たり年

1.3 その他の出来事


2 レギュレーションの変更

3 開催地及び勝者

4 エントリーリスト

4.1 ドライバーの変更について


5 2007年のドライバーズランキング

6 2007年のコンストラクターズランキング

7 脚注

8 外部リンク

シーズン概要
1ポイント差の明暗 ドライバーズチャンピオンを争ったハミルトン(右端)、ライコネン(右2人目)、アロンソ(左端)の3名 最終戦ブラジルGPのスタート

ブリヂストンミシュランという構図で続いてきたタイヤ戦争がミシュランの撤退により終結し、ブリヂストンタイヤのワンメイクで行われることになった。

ミハエル・シューマッハの引退(後に2010年に復帰)という節目を迎え、ドライバーラインナップも様変わりした。2年連続チャンピオンとなったフェルナンド・アロンソマクラーレンへ移籍し、マクラーレンの秘蔵っ子と称されて今季よりF1デビューのルイス・ハミルトンとコンビを組む。また、シューマッハの後任としてキミ・ライコネンフェラーリへ移籍した。

この年はPPと優勝は全戦マクラーレン勢とフェラーリ勢が独占した。ハミルトンはデビュー6戦目のカナダGPで初優勝し、新人らしからぬ大活躍でシーズン終盤までポイントリーダーの座をキープした。一方、アロンソは自分の地位を脅かすに至ったハミルトンとの確執に加えてロン・デニスらチーム首脳との対立が表面化、マクラーレンはかつてのセナプロスト時代のようなチーム分裂状態に陥った。ハミルトンは第15戦日本GPを制して史上2人目のルーキーチャンピオン[1]に王手をかけたが、ミスやトラブルによってラスト2戦で失速。ライコネンは一時タイトルを絶望視されていたが、チームの協力もあってラスト2戦を連勝、ハミルトンとアロンソを1ポイント差で逆転して自身初のドライバーズチャンピオンに輝いた。フィンランド人としてはケケ・ロズベルグミカ・ハッキネンに続く3人目の王者である。
スパイゲートの激震

そんな中、マクラーレンのエンジニアのマイク・コフランナイジェル・ステップニー(元フェラーリ)の間でデータ漏洩疑惑(スパイゲート)と言う大スキャンダルが発覚し、審議の結果、マクラーレンは2007年のコンストラクターズポイントを剥奪の上、罰金5000万ドル(57億円)以上[2]という前例のない厳罰を受けた。

コンストラクターズ部門はマクラーレンが8勝8ポールポジション (PP) 、フェラーリが9勝9PPとほぼ互角の成績で、総獲得ポイントではマクラーレンが上回ったが、前述のポイント剥奪裁定によりフェラーリがタイトルを獲得した。
新人当たり年

この年にF1デビューを果たしたドライバーは6人。先述のルイス・ハミルトンはその年の多くでポイントリーダーに立ち、ルーキーチャンピオンの快挙に大きな期待を持たせたが、惜しくも届かなかった。ヘイキ・コバライネンはルノーのエースであったジャンカルロ・フィジケラをランキングで上回り、デビューから16戦連続完走を達成した。エイドリアン・スーティルは、デビューしたチームが前述の2人に比べると非力なスパイカーF1であったため成績では目立たなかったが、経験のあるクリスチャン・アルバースを上回ったり、雨のレースとなった日本グランプリで8位入賞に入るなど、才能を発揮した。セバスチャン・ベッテルアメリカグランプリロベルト・クビサの代役でデビューし、デビュー戦で当時の最年少入賞記録を更新、翌年以降の大活躍につながった。マルクス・ヴィンケルホックは1戦のみの参戦だったが、デビュー戦で作戦が当たりラップリーダーに輝き、インパクトを見せつけた。中嶋一貴は最終戦ブラジルグランプリでデビュー、日本人初の2世ドライバーとなった。翌年にはデビューわずか2戦目でポイントを獲得するなど、活躍した。
その他の出来事

2005年2006年にコンストラクターズを2連覇したルノーは今季未勝利に終わり、ランキング3位へ後退。獲得ポイントは前年の1/4に激減した。逆にBMWザウバーは獲得ポイントを前年比3倍に伸ばし、ランキング2位へ進出した。

ホンダワークスが低迷する一方、2年目のスーパーアグリはプライベーターながらも健闘し、2度の入賞を果たした。カナダGPでは佐藤琢磨がマクラーレンのアロンソをオーバーテイクする見せ場を作った。

BMWザウバーのサードドライバーであるセバスチャン・ベッテルが、ロバート・クビサの代役としてアメリカGPでレースデビューし、最年少入賞記録(19歳349日)を残した。

日本人初のF1レギュラードライバーである中嶋悟を父に持つ中嶋一貴が、最終戦ブラジルGPでウィリアムズからレースデビューし、日本初の親子2世代F1ドライバーとなった。

第10戦ヨーロッパGPはスタート直後の大雨により順位が錯綜し、スパイカーからスポット参戦したマルクス・ヴィンケルホックがデビュー戦ラップリーダーを記録した。ヴィンケルホックのF1参戦はこのレースのみだった。

日本GPは1977年以来久しぶりに富士スピードウェイで開催されたが、悪天候下でのレース強行や輸送機関の麻痺などの問題が発生した(詳細は2007年日本グランプリ (4輪)#問題点を参照)。

レギュレーションの変更

エンジン

前年の
日本GP時点の仕様にて開発を凍結。期間は2010年シーズンまでとされたが、その後2013年まで延長された。

最高回転数を19,000rpmに制限。

2レース1エンジン規定から金曜フリー走行は除外する。

2種類のタイヤの識別用にペイントされた白線

タイヤ

ブリヂストンが単独サプライヤーとなる。各レース2種類(プライムとオプション)のタイヤを供給する。観客(TV視聴者)が区別しやすいよう、ソフト側のタイヤにはマーキングを施す。開幕戦オーストラリアGPではサイドウォールに白丸を描いたが、見えにくいという意見を受けて、グルーブドタイヤの溝に白線1本を引く方式に修正された。[3]

レース中2種類のタイヤ使用を義務付ける。ただし、ウェットレースではこの義務が解除される。路面状況に合わないタイヤでも使用しなければならず、レースによっては波乱を生む要因になった。

各ドライバーの使用セットを7→14セットに拡大(金曜4、土日10)。




フリー走行

金曜フリー走行を60分×2セッションから90分×2セッションに延長する。

金曜フリー走行に出走できるのは各チーム最大2名まで(サードカーの禁止)。サードドライバーを起用しても良い。


ピットレーン

ピットレーン走行速度を減速。フリー走行は80km/h→60km/h、予選・決勝は100km/h→80km/h。

セーフティカー導入時、給油目的のピットインは禁止される(その他の作業は可能)。

この他に、チーム間の紳士協定として、年間テスト走行距離が30,000kmまでに制限された。日数は自由で、使用タイヤは300セットまで。シーズン中のテストでは1台のみ走行。
開催地及び勝者

前年に
コモンウェルスゲームズイギリス連邦大会)との重複を避ける為、第3戦として開催されたオーストラリアGPがバーレーンGPと入れ替わって2年ぶりの開幕戦となった。

1981年から26年間連続して開催されてきたサンマリノGPがサーキット設備の問題と1国1開催の原則から開催されないことになった。

1995年から12年間連続してドイツで2レース開催されてきたが、ホッケンハイムの経営難の問題と1国1開催の原則から、ニュルブルクリンクのみでの開催となった。

ドイツで開催されるこのグランプリは当初「ドイツGP」として発表されたが、シーズン開幕後の4月14日に「ヨーロッパGP」へと改称された。[4]このため、2007年は1960年以来47年振りに、“F1のドイツGPが開催されない年”となる。1960年のドイツGPはF2レースとして開催されており、2007年に「ドイツGP」を冠したイベントが何も開催されない場合、その前例は1955年までさかのぼることとなる。


ベルギーGP2005年以来2年ぶりに開催された。

1987年から20年間連続して開催されてきた鈴鹿に代わり、富士1977年以来30年ぶりに日本GPが開催されることになった。

ラウンドレース開催日開催地ポールポジションファステストラップ優勝者コンストラクターレポート
1 オーストラリアグランプリ3月18日メルボルン キミ・ライコネン キミ・ライコネン キミ・ライコネン フェラーリ詳細
2 マレーシアグランプリ4月8日セパン フェリペ・マッサ ルイス・ハミルトン フェルナンド・アロンソ マクラーレン-メルセデス詳細


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