2005年の映画
7月27日 - 米ハリウッド映画製作大手7社が「デジタルシネマ」の上映方式などの規格統一で合意と発表[2]。
8月2日 - 米興行界、23週連続前年割れと不振[2]。
9月6日 - カナダ・第29回モントリオール世界映画祭で『いつか読書する日』(緒方明監督)が審査員特別賞受賞[2]。
9月9日 - 第62回ヴェネツィア国際映画祭で宮崎駿監督が栄誉金獅子賞受賞[2]。
9月23日
松竹、創立110年を記念して、第43回ニューヨーク映画祭で45作品を回顧上映[2]。
『星になった少年』(河毛俊作監督)、タイ・バンコクにてウボンラタナ王女をお迎えして試写会を開催[3]。
9月28日 - 第50回アジア太平洋映画祭、マレーシア・クアラルンプールで開催[2]。
10月4日 - ダニエル・クレイグが次の『007』シリーズでジェームズ・ボンドを演じることが発表された[要出典]。
日本「2005年の日本#できごと」も参照
1月
2004年度全国映画館数2825館(うちシネコン1766スクリーン、前年比144スクリーン増)、入場人員1億7000万人(前年比104.8%)と21年ぶりに1億7000万人台を回復、興行収入2109億1400万円(前年比103.8%)と歴代最高を更新[1][4]。
1月1日 - 演劇などへの13歳未満の子役の出演可能時間が現行の20時までから21時までに延長[1]。
1月8日 - 映画評論家・小森和子死去[1]。
1月9日 - 松竹、新潟県中越地震の被災地小千谷市で『男はつらいよ』の無料上映会を2日間開催[1]。
1月10日 - 『ハウルの動く城』などを違法コピーした海賊版DVDを販売の露天商、著作権法違反で逮捕[1]。
1月13日 - キャメラマン岡崎宏三死去[1][5]。
2月
2月1日 - 映連、外国映画輸入配給協会(外配協)、モーション・ピクチャー・アソシエーション(MPA)、全興連の4団体「インド洋大津波救援/100円募金キャンペーン」を開始、全国の劇場などに募金箱設置(28日まで)[1]。3月30日、寄せられた募金およそ2053万円を日本赤十字社に寄付[1]。
2月19日 - 映画監督・岡本喜八死去[1]。
2月25日 - 愛知県知多郡・イオン東浦東宝シネマ9、リニューアルして「TOHOシネマズ東浦」と改称[1]。
3月
3月1日 - 有線ブロードネットワークスが「USEN」と改称[1]。
3月12日 - 『ドラえもん』の新しい声優陣をテレビ朝日が発表[1]。
3月14日 - 2004年度DVD・ビデオ市場、歴代最高の3753億9300万円の売上額を記録[1]。
3月15日 - 角川グループとCJエンタテインメント(韓国最大手の映画製作・配給・興行会社)が事業提携を発表[1]。
3月17日
角川ホールディングスが日本ヘラルド映画の完全子会社化を発表する[6]。シネコンを展開するヘラルド・エンタープライズを傘下に収めたことで、角川グループが製作・配給・興行まで行う邦画第4のメジャーとなった[7]。
東京・TOHOシネマズ府中開場[1]。
3月18日 - 109シネマズ名古屋開場[1]。
3月25日 - 東京・上野東宝ビル竣工[1]。
3月26日 - 東京日比谷、「さよなら日比谷映画 ありがとうみゆき座」閉館記念名作上映会(入場料金はオープン当時の一般300円、指定席500円)開催(31日まで)[1]。3月31日、東宝本社ビルの改築のため、みゆき座が閉館[8]。同様に、4月8日、日比谷映画(旧千代田劇場)閉館[8][2]。4月1日、宝塚ビルのスカラ座2が「みゆき座」と改名することで名称のみが残る[8][2]。
3月28日 - 松竹、『阿修羅城の瞳』(滝田洋二郎監督)で日本初の知的財産権信託を用いた映画ファンドを組成[1]。
3月31日 - スタジオジブリが徳間書店から分離独立[1]。鈴木敏夫が社長に就任[1]。
4月
4月1日 - 日本映画海外普及協会(ユニジャパン・フィルム)が東京国際映像文化振興会を統合し、「日本映像国際振興協会(新・ユニジャパン)」設立[1]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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