2005年アンマン自爆テロ
アンマンはヨルダンの首都
場所ヨルダン・アンマン
日付2005年11月9日
20:50より (UTC+2)
標的3軒のホテル
攻撃手段自爆テロ
死亡者60人に加え3人の自爆テロ実行犯
負傷者115人
犯人アリ・フセイン・アリ・アル・シャマリ(ラディッソンSAS)、ラワドゥ・ジャッセム・モハメド・アベドゥ(グランド・ハイアット)、サファー・モハメド・アリ(デイズイン)
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2005年アンマン自爆テロ(2005ねんアンマンじばくテロ)は、2005年11月9日にヨルダンのアンマンで3つのホテルで起きた連続爆弾攻撃である。この攻撃によって60人が死亡し、115人が負傷した。グランド・ハイアット・ホテル、ラディッソンSASホテル
、デイズインの3つのホテルで起こった連続爆発は、現地時間20時50分頃(協定世界時18時50分頃)にグランド・ハイアット・ホテルで始まった[1][2]。この3つのホテルはよく外国の外交官が利用していた。ラディッソンSASでの爆発は、何百人もの客が集まる結婚式が開催されていたフィラデルフィア大宴会場で起こった。2005年アンマン自爆テロ犠牲者 ラディッソンSAS(現在は「ランドマーク・ホテル」と呼ばれる)では、2人の自爆犯(アリ・フセイン・アリ・アル・シャマリとサジダ・ムバラク・アトゥロウス・アル・リシャウィの夫婦)がフィラデルフィア大宴会場に侵入した。そこではアシュラフ・アフラスとナディア・アル・アラミの結婚式を900人のヨルダン人とパレスチナ人が祝福していた。サジダ・アル・リシャウィはベルトを爆発させることができなかった。夫のアル・シャマリはアル・リシャウィに部屋から出るよう諭したようだ。アル・リシャウィが部屋を出ると、舞踏室の照明が消され、アル・シャマリはダイニング・ルーム・テーブルに飛び乗って自爆した。この爆発によって花婿と花嫁の父を含む38人が殺害された[3]。加えて、爆発は宴会場の大窓を街路に吹き飛ばし、天井板を落下させた。ホテルの待合室も天井板と照明装置、調度品が破壊され、ガラス扉も封鎖された。その後すぐに、掃除と再建が始まった。 2つ目の爆発はラディソンSASから500メートル離れたハイアットで起きた。爆発はホテルの玄関を破壊し、柱と天井タイルを落下させ、受付、バー区画に大きな損傷を与えた。自爆犯はオレンジジュースをホテルの喫茶店で頼んだ後、おそらく爆発ベルトを付けるために一旦他の部屋に行き、戻って来て自爆した。この爆発で従業員達とシリア系アメリカ人の映画監督のムスタファ・アッカド デイズインでは自爆犯はホテル1階のレストランに入室した。彼は自爆しようとしたが失敗し、従業員に知られ警備員を呼ばれた。自爆犯はホテルの外に逃げ自爆に成功し、中国軍関係者3人を殺害した。デイズインの損害は約20万ドルと推定された[5]。 ヨルダン当局者Maj. Bashir al-Da'ajaの公式発表では、地方政府は調査の初期段階から爆発の原因が自爆テロであると確認していた。ヨルダン副首相のマーワン・アル・ムアシェー 犠牲者の内ヨルダン人が36人で殆どが結婚式場で死亡した。続いてイラク人が6人、パレスチナ人が5人、アメリカ人が4人、イスラエルのアラブ人が2人、バーレーン人が2人、中国の人民解放軍使節が3人、サウジアラビア人が1人、インドネシア人が1人死亡した[6]。パレスチナ人犠牲者には有力者が多かった。ヨルダン川西岸地区の軍事分析部部長のバシー・ナフェーや、アベドゥ・アッルン大佐、安全保障軍高官のジハドゥ・ファトウー、在カイロパレスチナ大使館職員、元パルテルのCEOでパレスチナ系アメリカ人のモサブ・ホーマが死亡した。イスラエル人犠牲者は全てアラブ人だった。ウンム・アル・ファーム ヨルダン警察は当初少なくとも4人の攻撃者がおり、イラク訛りのアラビア語を話す夫婦がいたと述べた。4人目の女性は後に逮捕された。その後の数日で容疑者として逮捕されたイラク人は100人以上に及ぶ。警察は攻撃計画に用いられた地図を発見したと主張した[8]11月12日、ヨルダン副首相は攻撃者はイラク人で自爆犯は3人のみと述べた[9]。
場所死者負傷者出典
ラディッソンSAS36? ⇒(AP)
グランド・ハイアット9? ⇒(AP)
デイズイン3? ⇒(AP)
病院12- ⇒(AP)
総計60+115
+3人の実行犯は除く
ラディッソンSAS
グランド・ハイアット
デイズイン
犠牲者
容疑者