2005年アメリカグランプリ
[Wikipedia|▼Menu]

 2005年アメリカグランプリレース詳細

日程2005年シーズン第9戦
決勝開催日6月19日
開催地インディアナポリス・モーター・スピードウェイ
インディアナ州インディアナポリス
コース長4.195km
レース距離306.016km
決勝日天候曇(ドライ)
ポールポジション
ドライバー.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

ヤルノ・トゥルーリ

タイム1'10.625
ファステストラップ
ドライバー ミハエル・シューマッハ
タイム1'11.497(Lap 48)
決勝順位
優勝

ミハエル・シューマッハ
1:29'43.181

2位

ルーベンス・バリチェロ

3位

ティアゴ・モンテイロ

2005年アメリカグランプリ(: '2005 United States Grand Prix)は、2005年6月19日にインディアナポリス・モーター・スピードウェイで開催されたフォーミュラ1のレースである。
概要

2005年シーズンの第9戦として行われた。エントリーしていた20台のうち、ブリヂストンタイヤを装着したチーム(フェラーリミナルディジョーダン)の6台のみで争われた。残る14台は全てミシュランタイヤを装着していたが、安全性の懸念によりフォーメーションラップでピットインしリタイアした。

最も激しい事故は金曜日のプラクティス中にラルフ・シューマッハトヨタのマシンに発生したが、決勝レースまでにも数度のタイヤの障害に見舞われ、ミシュランはユーザーの7チームに対し、供給されたタイヤでは安全にレースを行うことができないと通告した。F1の運営団体であるFIAは、コースにシケインを増設するという提案を拒絶した。そのような変更を行うことは、適切に機能するタイヤを持ち込んだブリヂストンを使用するチームに対して不公正だからである。FIAとの間に妥協を引き出すことができなかったため、ミシュラン使用チームはレースに参加しないことを決定した。

6台の中で争われたレースは、最終的にミハエル・シューマッハが優勝した。この結果は、シューマッハのポイントランキングを大きく押し上げ、総合3位となった。ポイントで彼より上位のドライバーは、一人もレースに出走しなかったのである[1]。そして、2005年のコンストラクターチャンピオンシップにも大きな影響を与えた。このレースで得た18ポイントが無ければ、フェラーリは選手権でトヨタの下位になるところだったのである(最終的にはトヨタに12ポイントの差をつけて3位となっている)。この状況はF1に大きな悪評を立てることとなり、それは特にアメリカにおいて顕著であった。アメリカはF1がずっと地位を確立するために20年にわたり努力してきたマーケットであったが、このレースがインディゲートの烙印を押されることに繋がった[2]
レース前の論争
トヨタのタイヤトラブル

2005年6月17日の金曜日に行われた午後のプラクティスセッションで、トヨタに乗るラルフ・シューマッハがインディアナポリス・モーター・スピードウェイロードコースの第13コーナーで、左リアタイヤのバーストでスピン。コントロールを失ったマシンはウォールに激しくぶつかり、マシンは部品を撒き散らしながら大破した。彼は軽傷を負ったため出走を続けることができず、レースウィークの残りはチームの第3ドライバーであるリカルド・ゾンタに引き継がれた。明らかにタイヤトラブルであったことから、ミシュランスタッフは、クラッシュしたラルフのタイヤと、すでに走行済みの他チームのタイヤを回収し調査に当たった。ちなみにラルフは、ウィリアムズに乗っていた前年も第13コーナーでクラッシュしている[3]

調査の結果、クラッシュしたタイヤも、しなかったタイヤからも、サイドウォールの偏摩耗が確認された。インディアナポリス・モーター・スピードウェイのロードコースの第13コーナーはオーバル部分を使用したバンク付きの高速コーナーであり、F1レースでは独特なものである。このコーナーはタイヤへの負荷が通常よりも大きい[4]。さらに、この年はグリップ力を高めるため路面に細かい溝を刻んでおり、これがタイヤへの更なる負荷になった[5]。またこの年のレギュレーションでは、タイヤは明らかな破損等の異常事態以外は交換禁止となっており、フルレースを走り切る設計をしなければならなかった本年のタイヤ設計に前年データを流用することはできなかった。データ収集テスト走行も行えなかったタイヤサプライヤー達は、机上でのシミュレートでタイヤの設計を行った。その結果、この力をシミュレートしきれなかったミシュランタイヤは、設計限界を超えた力を受けタイヤのサイドウォールがたわみ、その部分を異常に傷ませてしまった。これによって、トレッドの支持力は失われ、タイヤは破裂し、クラッシュに至ったと推定された。

翌日ミシュランは、7チーム(B・A・RマクラーレンレッドブルルノートヨタF1ザウバーウィリアムズF1)に供給されたタイヤが何故このコーナーで壊れたのかは不明であると報告し、異なるスペックのタイヤをクレルモンフェランの本社から空輸することを検討していると発表した[6]。しかし、交換のために持ち込まれた別のスペックのタイヤ(2005年スペイングランプリで使用されたタイプ)も同じ問題を抱えていることがテストで明らかになった。
ミシュランとFIAのやりとり

6月18日の土曜日にFIAのレースディレクター、チャーリー・ホワイティング宛に送られた書簡の中で、ミシュラン代表のピエール・デュパスキエとニック・ショロックは、ミシュランはトヨタのタイヤトラブルの原因を掴んでおらず、第13コーナーのスピードを落とせない限り、ミシュランが予選で使用したタイヤを決勝に使用することはできないと明かした。

ホワイティングは6月19日の日曜日に返信し、ミシュランが適切なタイヤを持ち込んでいなかったことへの驚きをあらわし、チームがドライバーに制限を掛け、ミシュランが示した安全な最高速度で第13コーナーを走らせるようにすることを提案した。また、チームから提案された幾つかの解決策についても言及し、別のタイヤを持ち込むことについては「ルールに違反することで、スチュワードが検討することだ」とし、シケインの設置については「検討の余地は無い」ことで、コースレイアウトを変更するとFIAの認可が下りない(非選手権レースになる)とした。ホワイティングは、ミシュランのチームからの提案を、ブリヂストン使用チームに対して「著しく不公平」なものとみなした[7]タイヤ問題により、レースは6台のみで開催されることになった

6月19日に送られた2通目の手紙で、デュパスキエとショロックは、ミシュランは、サーキットに変更が加えられない限り、予選で使用したミシュランタイヤを装着してレースに参加することを各チームに許可しないつもりであることを確認し、ミシュランは第13コーナーの低速化を要求すると繰り返した。ホワイティングからの短い返信は、そのような変更は認められないという内容で、各チームに与えられた選択肢は、第13コーナーの通過速度を抑えること、ペナルティを受けながらも予選で使用したものと異なるスペックのタイヤを使用すること、繰り返しタイヤを交換することのいずれかであり、これらはドライバーの安全確保のためだとされた[8]
妥協への試み

ブリヂストンユーザーの一チームであったミナルディのオーナー、ポール・ストッダートは6月22日の水曜日、レースに至るまでに起こったことについての報告書を公表した。ストッダートは決勝日の午前10時頃に行われたミーティングを記録しており、そのミーティングにはサーキットオーナーのトニー・ジョージ、「このレースでのミシュランの2名の上級代表者」、バーニー・エクレストン(FOM(Formula One Management)とFOA(Formula One Administration)のCEO)、チーム代表者、ミシュランの各チームごとの技術代表者が招集されていた。招集されたメンバーは、フェラーリチーム代表のジャン・トッドを除いて全員が出席した[9]予選中のアロンソ

ストッダートの説明によると、このミーティングは次のように始まった。

ミシュランの代表は彼らの置かれた状況を説明し、チームに供給されているタイヤでは安全にレース距離を走りきることができず、ストッダートとジョーダンのコリン・コレスが代表とするブリヂストンのチームに、第13コーナーにシケインを増設することを許可するよう依頼した。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:103 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef