2004年アメリカ合衆国大統領民主党予備選挙
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ミズーリ州でのケリー候補エドワーズ候補

2004年アメリカ合衆国大統領民主党予備選挙(2004ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょう みんしゅとうよびせんきょ、Democratic Party (United States) presidential primaries of 2004, 2004 Democratic primaries)は、2004年アメリカ合衆国大統領選挙に向けて、民主党大統領副大統領候補を選出した手続をいう。民主党党大会を最終的な舞台とする一連の予備選挙党員集会を通じて、マサチューセッツ州選出上院議員ジョン・ケリーを大統領候補に、ノースカロライナ州出身のジョン・エドワーズを副大統領候補にそれぞれ選出した。

ケリー、エドワーズ、退役大将ウェズリー・クラーク(英語版)、元ヴァーモント州知事ハワード・ディーンなど10人の候補が民主党大統領候補としての指名をめぐって争った。選挙運動序盤の2003年には、多くの世論調査で良い結果を出し、資金集め面でも先行していたディーン候補が、かなり先行した有力候補と目されていた。しかし、アイオワ州党員集会で、予想に反して、ケリー候補が州の38%の代議員を獲得し、エドワーズ候補も州の32%の代議員を獲得したことで流れが変わった。以降、ケリー候補は、4つの州とワシントンD.C.を除くほとんどの州で勝利ないしは優位を確保した。クラーク候補はオクラホマ州で、ディーン候補はバーモント州とワシントンDCで、エドワーズ候補は、ノースカロライナ州サウスカロライナ州でそれぞれ勝利を収めるにとどまった。

2004年民主党党大会を直前に控えた7月6日、ケリー候補は、エドワーズ候補を副大統領候補として指名した。7月28日、ケリー候補の地元マサチューセッツ州ボストンで開かれた民主党党大会において、ケリー候補とエドワーズ候補は、正式に民主党候補としての指名を受けた。両候補は、現職大統領の共和党ジョージ・ブッシュ候補と本選挙を戦い、僅差ながら敗れた(2004年アメリカ合衆国大統領選挙)。
選挙戦の始まり

2002年5月31日、バーモント州の知事であったハワード・ディーンは大統領選挙検討委員会を設置した。最初のアイオワ州党員集会から数えて2年近くも前の時点ではあったが、小さな州の知事として、地元以外ではあまり知られていなかったディーン候補は、早いスタートによって知名度の向上を狙っていた。

同年12月、ジョン・ケリー上院議員(マサチューセッツ州選出)は、NBCの番組で、2004年大統領選に向けて検討委員会を設置するつもりであることを表明し、正式な立候補の表明を数か月以内に行うとの意思を明かした。ケリー候補は、輝かしいベトナム戦争の従軍経験を有しており、民主党候補といえば、軍の最高司令官としての適性について疑問を持たれる、という状況に苦しんでいた民主党員の間では興奮が広がった。

2週間後、2000年アメリカ合衆国大統領選挙で大統領候補であったアル・ゴア元副大統領が、CBSの番組で、2004年の大統領選挙に出馬しないことを表明した。ゴアは、全米規模で書籍の出版に関するキャンペーンを繰り広げていたところで、いよいよ出馬表明をするものと周囲からは広く考えられていた。他の候補者達は、有力候補とされるゴアがどういうプランを有しているのかについて様子を見ていたのか、2003年1月には堰が切られたかのように立候補に向けた動きが活発化した。

ジョー・リーバーマン上院議員は2000年にゴア大統領候補の副大統領候補であったことなどから、もし、ゴアが民主党の大統領候補としての指名を目指すのであれば、自らは出馬しないとの約束をしていた。この約束を守る必要がなくなったことで、リーバーマンは大統領選挙への出馬を表明した。さらに、ノースカロライナ州選出のジョン・エドワーズ上院議員、ミズーリ州選出リチャード・ゲッパート下院議員、ニューヨーク州のアル・シャープトン牧師などが、正式な立候補に向けた第一歩として検討委員会の設置を表明した。2月には、さらなる候補者として、元イリノイ州選出上院議員キャロル・ブラウン、オハイオ州選出デニス・クシニッチ下院議員、そしてフロリダ州選出ボブ・グラハム上院議員が立候補を表明した。

このほかにも、立候補の可能性について名前が挙がる者については様々な憶測が巻き起こった。候補の可能性があるとされた者の中で、正式に不出馬を表明した者としては、上院院内総務トム・ダシュルコネチカット州選出クリストファー・ドッド上院議員、そして元コロラド州選出上院議員ゲーリー・ハートなどが挙げられる。

4月に発表された2003年第一四半期に関する資金調達状況によれば、エドワーズ候補が740万ドル、ケリー候補が700万ドル、ゲッパート候補が350万ドル、リーバーマン候補が300万ドル、ディーン候補が260万ドル、グラハム候補が110万ドル、クシニッチ候補とブラウン候補がそれぞれ100万ドルを下回る金額をそれぞれ調達した。
イラク戦争

アメリカ同時多発テロ事件を契機として、ブッシュ政権では、イラクサダム・フセイン政権を打倒することが緊急の課題として議論され始めた。この議論は、サダム政権が核物質を調達しようとしたこと、生物・化学物質で大量破壊兵器に転用可能なものについて国連制裁に沿った説明を行っていないことを根拠としていた。事態は、合衆国が、イラク侵攻のために英国、スペイン、イタリアおよびポーランドなど40ほどの国(ブッシュは「有志連合」と呼んだ)を集めるに至った。

「有志連合」はイラクに2003年3月20日侵攻した。この行為につきほとんどの候補者は支持を表明した。ディーン候補とクシニッチ候補だけが、その目的と政府の戦略に対し強い疑問を呈し、戦争に反対する者たちの目を引いた。ケリー候補は、ニューハンプシャー州ピーターボローの聴衆の前での演説で、「我々はイラクでの政権交代を求めるだけではなく、ここ合衆国でも政権交代を求める。」[1] と発言した。共和党員は、これを戦時中の大統領への反対を公言するものとして批判した [2]。

侵攻は、サダム政権とイラク軍を崩壊させるのに3週間ほどという速やかなものだった。イラクの産油施設は限られた損害に留めた状況で速やかに確保された。5月1日、ブッシュ大統領は、軍用機ロッキードS-3空母エイブラハム・リンカーンに着艦し、イラク戦争の主要な戦闘が終了したことを告げる演説を行った。その背後には「Mission Accomplished(任務完了/作戦完遂)」との横断幕がはっきりと掲げられていた。この空母での演説は、大げさに芝居じみたもので、無駄な費用をかけるものと批判された。CNNによれば [3]、横断幕は、ホワイトハウスのスタッフが作成した上で、アメリカ海軍によりそこに掲示されたという。この横断幕は後に時期尚早として批判されたが、CNN・USA TODAY・ギャラップ社の世論調査による5月の大統領支持率は66%に上昇した ⇒[4]

2003年5月3日、サウスカロライナ大学で、民主党の9人の候補者の間での最初の公式討論会が行われた。イラク戦争、健康保険問題、ブッシュ大統領の減税政策については意見が一致しなかったが、ブッシュ政権の経済運営を批判する点では各候補者が歩調を揃えた。
ディーン候補が先行2003年6月23日のディーン候補の立候補の演説

2003年6月、ディーン候補は、30万ドルを超える費用をかけて、2004年の選挙運動の最初のテレビ・コマーシャルを流した。機を同じくして正式に大統領への立候補を表明し、連邦選挙委員会に大統領選の選挙運動の届出を行った。同月下旬、リベラル派のウェブサイトが行ったオンラインでの民主党「予備選挙」(公式のものではない)を実施したところ、ディーン候補が44%、デニス・クシニッチ候補が24%、ジョン・ケリー候補が16%を獲得した。

7月には、2003年第二四半期の各候補の資金調達状況についての発表があった。ディーン候補は750万ドルを集め周囲を驚かせた。ジョン・ケリー候補は600万ドル、ジョン・エドワーズ候補とジョセフ・リーバーマン候補はそれぞれおよそ500万ドルを集めた。ディーン候補の資金調達が好調なのはインターネットを選挙運動に用いる革新的な手法によるところが大きかった。ディーン候補への寄付の大半は、「Deanites」またはより一般的に「Deaniacs」と呼ばれたディーン候補支持の個人からもたらされた。革新的なインターネットを利用した選挙運動は、ディーン候補を強く支持する草の根有権者を生み出し、それらの有権者はディーン候補が選挙運動を終了した後も、ディーン候補を強く支持していた。

2003年の秋までに、ディーン候補は、民主党大統領候補指名の明らかな有力候補(front-runner、先行候補)となり、ほとんどの世論調査で良い結果を残していた。知事時代に、実践的な中道的と一般に見られていたが、大統領選挙の選挙運動中に、ブッシュ政権の政策(とりわけイラク戦争)や、同僚の民主党員がイラク戦争に反対しなかったことを非難したことから、ポピュリスト的な性質があることも明らかになってきた。

保守的な評論家は、選挙運動中、ディーン候補の政治的立場は極端なリベラルであるとレッテルを貼った。しかし、長く堅実な財政抑制論者として知られていたディーン候補は、進歩的なバーモント州では穏健派とみなされていた。民主党のクシニッチ候補や独立系のラルフ・ネーダー候補を支持する多くの左翼評論家は、実際は、ディーン候補は社会的にはリベラルで、財政的には保守派というロックフェラー・リパブリカン(共和党穏健派的)であるとして非難した。
ウェズリー・クラークの参入ウェズリー・クラーク陸軍退役大将


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