2002年のJリーグJ1
期間2002年3月2日 - 11月30日
年間優勝ジュビロ磐田
1st 優勝ジュビロ磐田
2nd 優勝ジュビロ磐田
J2降格サンフレッチェ広島
コンサドーレ札幌
J2
期間2002年3月3日 - 11月24日
J1昇格大分トリニータ
セレッソ大阪
ヤマザキナビスコカップ
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2002年のJリーグは、J1リーグが3月2日に開幕、11月30日に閉幕した。J2リーグが3月3日に開幕、11月24日に閉幕した。J1リーグの優勝クラブは1stステージ、2ndステージ共にジュビロ磐田となり、年間総合優勝もジュビロ磐田であった。J2リーグの優勝は大分トリニータであった。
できごと
3月2日 - J1が開幕[1]。
3月9日 - 鹿島アントラーズが1st第2節・カシマスタジアムでの対清水エスパルス戦に0-1で敗れ、昨春の改装以来のカシマスタジアムでの不敗記録(カップ戦などを含む)が18試合でストップした[2]。
3月21日 - ひたちなか市総合運動公園陸上競技場でのJ2・水戸ホーリーホック対大宮アルディージャ戦が強風のため中止となり、3月27日に同競技場で代替開催されることになった[3]。
4月6日 - 大分スポーツ公園総合競技場で可動式ドーム型の天井の屋根が閉まらないトラブルが発生。このため、この日の午後に行われたJ2・大分トリニータ対大宮アルディージャ戦は、雨の中での競技となった[4]。
4月13日 - FC東京のMF呉章銀が1st第6節・万博記念競技場での対ガンバ大阪戦にJ1最年少出場となる「16歳8か月」で途中出場。これまで阿部勇樹(ジェフユナイテッド市原)が持っていた「16歳10か月」の記録を更新[5]。
4月19日 - アビスパ福岡が4月10日の博多の森球技場での対モンテディオ山形戦の試合後に韓国代表のユニフォームをスタンドから投げ入れたサポーター(1人)に1年間ホームの試合で入場禁止にすると発表[6]。
5月20日 - Jリーグが4月10日の対モンテディオ山形戦(博多の森球技場)で立ち入り禁止区域にサポーターの乱入を許したアビスパ福岡をけん責処分(始末書提出)にし、制裁金100万円を科した。クラブ側も、友池一寛社長ら3人に最高で減給10パーセント3か月の処分を発表[7]。
7月23日 - Jリーグの理事会、総会が東京都内で行われ、日本サッカー協会の新会長に就任した川淵三郎チェアマンの後任に、鹿島アントラーズ前社長の鈴木昌を選任したと発表。任期期間は2年[8]。
7月27日
清水エスパルスのMF沢登正朗が1st第11節・日本平スタジアムでの対東京ヴェルディ1969戦に出場し、Jリーグ史上初のリーグ戦通算300試合出場を達成[9]。
浦和レッズのMF福田正博が1st第11節・埼玉スタジアム2002での対京都パープルサンガ戦に出場し、J1通算200試合出場を達成。史上59人目[10]。
1st第11節・市原緑地運動公園臨海競技場でのジェフユナイテッド市原対ジュビロ磐田戦で1試合PK機会5回の最多記録。これまでは3回が最多だった[11]。
8月13日 - JリーグがJ1の実行委員会を開き、延長Vゴール方式を今季限りで廃止し、来季からは90分で同点の場合は引き分けとする新方式を採用する方針を固めた[12]。