2001年イタリア総選挙
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ジラソーレ[8]805,3402.200
イタリア共産主義者党620,8591.700
オリーブの木・南チロル人民党190,5560.555
その他252,0190.74200,0590.504
その他3,882,22910.415,555,29115.01112
共産主義再建党1,868,6595.01111
ディ・ピエトロリスト1,487,2874.001,443,7253.900
ヨーロッパ民主党1,310,1193.50888,2492.400
パンネッラ・ボニーノ457,1171.20832,2132.300
ヴァッレ・ダオスタ25,5770.1[9]11
諸派602,1291.60522,4451.400
計37,259,705100.047537,122,776100.0155630

選挙の結果、上下両院で中道右派連合「自由の家」が得票率では前回96年選挙より減らしたものの新選挙制度導入後、初めて上下両院で過半数を制することに成功して勝利した。対する中道左派連合「オリーブの木」は96年選挙とほぼ同じ得票率であったにも係わらず「自由の家」に敗れた。中道右派の勝因として早い段階から周到な準備を行って選挙に備えていたこと、Fiの中心制が確立して選挙連合内の摩擦が少なかったこと、前回独自に選挙を戦った北部同盟が中道右派連合に復帰したことなどが挙げられる。これに対して中道左派連合は8つの主要党派で構成され統一性と指導力に欠け、選挙の準備態勢が遅れたこと最後まで響いた。
脚注^ 上院の終身議員を除く。
^ 下院選挙における控除は次点候補者の得票数+1であるのに対し、上院では当選者の得票数が全部控除される仕組みとなっていた。
^ 「lista civetta」の意味は本来「(新聞の)大見出し」という名詞であるが、形容詞的には「偽装の」とか「目を引く」といった意味を持つ。
^ 池谷知明「2極化と破片化?2001年イタリア上下両院選挙?」、選挙学会編『選挙研究』No18 2003、48ページ。
^ フォルツァ・イタリア国民同盟、ビアンコ・フィーレ(キリスト教民主中道、キリスト教民主主義者連合)、北部同盟新イタリア社会党イタリア共和党
^ 左翼民主主義者マルゲリータ(イタリア人民党、欧州民主連合民主主義者、イタリア刷新)
^ シチリア州のみで「フォルツァ・イタリア」の候補として擁立することで「自由の家」との選挙協力を結んだ
^ イタリア民主社会主義者緑の連盟の候補者名簿連合。
^ ヴァッレ・ダオスタ州選挙区での得票率は35.7%。

参考文献

選挙学会編『選挙研究』No18 2003年

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上院選挙結果 - イタリア内務省(イタリア語)

下院選挙結果 - イタリア内務省(イタリア語)










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