2000年オーストラリアグランプリ
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 2000年オーストリアグランプリレース詳細

日程2000年シーズン開幕戦
決勝開催日3月12日
正式名称LXV Qantas Australian Grand Prix
開催地メルボルン・グランプリ・サーキット
オーストラリア メルボルン
コースTemporary street circuit
コース長5.303km[1]
レース距離58周(307.574km)[2]
決勝日天候晴れ(ドライ)[2]
ポールポジション
ドライバー.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

ミカ・ハッキネン

タイム1'30.556[3]
ファステストラップ
ドライバー ルーベンス・バリチェロ
タイム1'31.481(Lap 41)[2]
決勝順位
優勝

ミハエル・シューマッハ
1:34'01.987

2位

ルーベンス・バリチェロ

3位

ラルフ・シューマッハ

2000年オーストラリアグランプリ (LXV Qantas Australian Grand Prix) は、2000年F1世界選手権の開幕戦として、2000年3月12日にメルボルン・グランプリ・サーキットで開催された[4]。58周で争われたレースは3番グリッドからスタートしたフェラーリミハエル・シューマッハが優勝した。今シーズンからシューマッハのチームメイトとなったルーベンス・バリチェロが2位に入り、BMW-ウィリアムズラルフ・シューマッハが3位に入った[5]

ポールポジションからスタートしたマクラーレンミカ・ハッキネンと、2番手スタートのチームメイトデビッド・クルサードは共にエアバルブのトラブルでリタイアとなった[6]。3名のドライバー、ウィリアムズのジェンソン・バトン、プロスト・グランプリのニック・ハイドフェルド、ミナルディのガストン・マッツァカーネがF1デビューを果たした。バトンとマッツァカーネはリタイアとなったが、ハイドフェルドは2周遅れの9位で完走となった[5][7]
背景

シーズン開幕に先立って、ブックメーカーおよび元F1ドライバー達はシューマッハが優勝する予想したが[8][9]、多くがフェラーリミハエル・シューマッハ1999年チャンピオン、マクラーレンミカ・ハッキネンが優勝争いの中心になると考えた[10]。シューマッハの元チームメイトであり今年からジャガーに乗るエディ・アーバインはシューマッハが優勝すると予想した[11]。フェラーリで1979年にタイトルを獲得したジョディ・シェクターもシューマッハの優勝を予想した[12]

11チーム、22名のドライバーが出場する本GPは3名のドライバーがデビューした。ニック・ハイドフェルドプロスト・グランプリに加入しジャン・アレジのチームメイトとなった[13]。プロストの1999年シーズンのラインナップは2人とも入れ替えとなり、オリビエ・パニスはマクラーレンのテストドライバーに、ヤルノ・トゥルーリデイモン・ヒルの後釜としてジョーダンに加入しハインツ=ハラルド・フレンツェンのチームメイトとなった[14][15]。ミナルディではルカ・バドエルが1997年から始めたフェラーリのテストドライバーとしての役割に専念するため、代わってガストン・マッツァカーネが加入した[16]。3人目のルーキー、ジェンソン・バトンアレッサンドロ・ザナルディに代わってウィリアムズに加入した。バトンは2000年当時の最年少イギリス人ドライバーであった[17]。多くの関係者、ドライバーがバトンを採用したウィリアムズの選択に疑問を抱いていた。ザウバーのミカ・サロは、バトンは経験不足で「自分か他の誰かを傷つけるだろう。」と述べた[18]
予選

ミカ・ハッキネンがチームメイトのデビッド・クルサードにコンマ35秒の差を付けてポールポジションを獲得、マクラーレンの2台がフロントローを独占した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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