2000年の福岡ダイエーホークス
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2000年の福岡ダイエーホークス
成績
日本シリーズ敗退
日本S2勝4敗(対巨人
パシフィック・リーグ優勝
73勝60敗2分 勝率.549
本拠地
都市福岡県福岡市
球場福岡ドーム

球団組織
オーナー中内?
(代行:中内正
経営母体ダイエー
球団社長高塚猛
監督王貞治
選手会長小久保裕紀
スローガン
めざせ! V2
≪ 19992001 ≫

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2000年の福岡ダイエーホークスでは、2000年シーズンについての福岡ダイエーホークスの動向をまとめる。

この年の福岡ダイエーホークスは、王貞治監督の6年目のシーズンであり、2年連続14度目のリーグ優勝に輝いたシーズンである。
概要

南海時代の1973年以来の26年ぶりのリーグ優勝に加え、日本シリーズで星野仙一監督率いる中日を4勝1敗で破って35年ぶりの日本一も勝ち取ったチームはこの年も優勝候補にあげられ、V2は間違いなしと思われた。しかし、開幕後に正捕手の城島健司がクロスプレーで負傷し、急遽2番手捕手の坊西浩嗣やかつての正捕手・吉永幸一郎がマスクをかぶる非常事態。5月に城島が復帰しても貯金を中々作れず、西武日本ハムとのデッドヒートが8月まで続いた。9月を16勝9敗と勝ち越して貯金7を稼ぎ、最終的に2連覇を達成。投手陣は先発組が2桁勝利者がゼロに終わり、チーム防御率も4点台に落ちるなど本調子ではなかったが、充実したリリーフ陣がこれを支え、投手陣崩壊を防いだことが大きかった。打撃陣は松中信彦が5番として30本100打点をマークするなど打線の主力となり、チーム本塁打は日本ハムの177本に次ぐ129本で、チーム打率.268はリーグ2位だった。巨人との日本シリーズは王監督と長嶋茂雄監督の対決となり、ONシリーズと呼ばれ話題となったがチームは2勝4敗で敗れた。日本シリーズ開幕前、藤井将雄が32歳で没した。
チーム成績
レギュラーシーズン

オーダー変遷開幕:4/15/26/17/18/19/1
1
秋山幸二中柴原洋中柴原洋中柴原洋右柴原洋中柴原洋
2柴原洋村松有人左村松有人指大道典良中村松有人二本間満
3吉永幸一郎大道典良指ニエベス捕城島健司左大道典良指吉永幸一郎
4ニエベス三小久保裕紀三小久保裕紀三小久保裕紀三小久保裕紀三小久保裕紀
5小久保裕紀一松中信彦一松中信彦一松中信彦指松中信彦一松中信彦
6城島健司右秋山幸二右秋山幸二左ニエベス捕城島健司捕城島健司
7松中信彦鳥越裕介捕吉永幸一郎右秋山幸二遊本間満左ニエベス
8柳田聖人坊西浩嗣遊井口資仁二本間満バンクス右秋山幸二
9井口資仁遊井口資仁二鳥越裕介遊井口資仁二浜名千広遊鳥越裕介
西村龍次永井智浩若田部健一ラジオ投若田部健一投ラジオ

[1]

2000年パシフィック・リーグ順位変動順位4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時最終成績
1位日本ハム--西武--西武--ダイエー--西武--ダイエー--
2位西武0.5オリックスダイエー0.0西武0.5日本ハム2.5西武2.5
3位オリックスダイエー2.0日本ハム1.5オリックス2.5ダイエー3.0日本ハム4.5
4位ダイエー2.0日本ハム4.0オリックス2.0日本ハム4.5オリックス6.0オリックス8.0
5位近鉄6.0近鉄7.0近鉄6.5ロッテ6.5ロッテ10.5ロッテ9.0
6位ロッテ9.0ロッテ8.0ロッテ8.0近鉄10.0近鉄14.0近鉄15.0
期間
成績12勝10敗
勝率.54512勝11敗1分
勝率.52212勝9敗
勝率.57110勝8敗1分
勝率.55611勝13敗
勝率.45816勝9敗
勝率.640


2000年パシフィック・リーグ最終成績順位球団勝率
1位福岡ダイエーホークス73602.549優勝
2位西武ライオンズ69615.5312.5
3位日本ハムファイターズ69651.5154.5
4位オリックス・ブルーウェーブ64674.4898.0
5位千葉ロッテマリーンズ62676.4819.0
6位大阪近鉄バファローズ58752.43615.0

日本シリーズ

2000年 日本シリーズ日付試合ビジター球団(先攻)スコアホーム球団(後攻)開催球場


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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