2000年のロードレース世界選手権
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2000年の
FIMロードレース世界選手権
前年:1999翌年:2001

2000年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第52回大会である。
シーズンの概要

ケニー・ロバーツ・ジュニアがランキング2位に終わった前年の屈辱を晴らし、2戦を残した第14戦ブラジルGPで早々にチャンピオンを決めた。また、この年はバレンティーノ・ロッシの最高峰クラスデビューも注目を集めた。ロッシは開幕戦から2戦立て続けにクラッシュし、バレンシアでもシーズン3度目の転倒を喫したが、それでも2勝を含む8度の表彰台を獲得し、終わってみればルーキーイヤーにランキング2位と非凡さを見せ付けた。

ヤマハギャリー・マッコイは、前後輪を派手にスライドさせる豪快なライディングで人気を博し、シーズン3勝を挙げた。マッコイが使っていた16.5インチタイヤは、かつて500ccクラスでケビン・シュワンツが使っていたサイズであったが、マッコイの活躍で注目を浴び、再びグランプリに流行しはじめた。[1]

ディフェンディング・チャンピオンのアレックス・クリビーレは、原因不明の病気[2]と、2000年型NSRの気難しいエンジン特性に悩まされ、失意のシーズンを送った。この年のNSRのエンジンに問題があったことはロッシのチーフ・エンジニアであるジェレミー・バージェスも認めており、ホンダは第3戦からエンジンの一部を前年型のパーツに戻し、ロッシとバージェスは1999年型のエンジンを2000年型のシャーシに搭載して戦うことを決断した。[3]

250ccクラスではヤマハのオリビエ・ジャックが、チームメイトの中野真矢とホンダの加藤大治郎という二人の日本人との三つ巴の戦いを制し、最終戦でタイトルを獲得した。

125ccクラスでは5勝を挙げたアプリリアロベルト・ロカテリが、デルビで同じくシーズン5勝を挙げた宇井陽一を抑えてタイトルを獲得した。宇井は表彰台かリタイヤかという極端な成績が最後まで響いた結果となった。

この年の4月、FIMはひとつの重大な決定を下した。2002年シーズンからグランプリの最高峰クラスを最大排気量990ccの4ストロークエンジンを主体としたMotoGPクラスとすることを発表したのである。
グランプリ

Rd.決勝日GPサーキット125ccクラス優勝250ccクラス優勝500ccクラス優勝
1
3月19日 南アフリカパキサ アルノー・ヴァンサン 中野真矢 ギャリー・マッコイ
24月2日 マレーシアセパン ロベルト・ロカテリ 中野真矢 ケニー・ロバーツ Jr.
34月9日 日本鈴鹿 宇井陽一 加藤大治郎 阿部典史
44月30日 スペインヘレス エミリオ・アルサモラ ラルフ・ウォルドマン ケニー・ロバーツ Jr.
55月14日 フランスル・マン 宇井陽一 宇川徹 アレックス・クリビーレ
65月28日 イタリアムジェロ ロベルト・ロカテリ 中野真矢 ロリス・カピロッシ
76月11日 カタルーニャカタロニア シモーネ・サンナ オリビエ・ジャック ケニー・ロバーツ Jr.
86月24日 オランダ(ダッチTT)アッセン 宇井陽一 宇川徹 アレックス・バロス
97月9日 イギリスドニントン 宇井陽一 ラルフ・ウォルドマン バレンティーノ・ロッシ
107月23日 ドイツザクセンリンク 宇井陽一 オリビエ・ジャック アレックス・バロス
118月20日 チェコブルノ ロベルト・ロカテリ 中野真矢 マックス・ビアッジ
129月3日 ポルトガルエストリル エミリオ・アルサモラ 加藤大治郎 ギャリー・マッコイ


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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