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千年紀:1千年紀
世紀:1世紀 - 2世紀 - 3世紀
十年紀:100年代 110年代 120年代 130年代 140年代
150年代 160年代 170年代 180年代 190年代
クシャーナ朝の全盛期。カニシカ王の時代に現在のパキスタンにあるガンダーラで多くの仏像が作られた。画像は東京国立博物館蔵のガンダーラの仏像。デカン高原のサータヴァーハナ朝。ローマ帝国とのインド洋貿易を通じて南インドも活況を呈した。画像はこの王朝で作られた「アマラヴァティ・マーブル(英語版)」で仏陀を記念したもの(大英博物館蔵)。ティオティワカン。メキシコシティの北東50キロにある遺跡でこの当時新大陸で最大の宗教都市遺跡であった。1世紀から2世紀半ばまでをツァクアリ相と呼び、画像の「太陽のピラミッド」と「月のピラミッド」はこの時期に建設された。「武氏祠画像石」。2世紀半ばに建てられた山東省嘉祥県の武宅山の麓にある豪族武氏一族の石祠の画像石。この時代の人々の世界観が表れている。銅奔馬(中国語版)。西域への通路でもあった武威(甘粛省)は後漢後期に造営された雷台漢墓で有名である。画像は雷台漢墓から出土した銅奔馬で、その疾走する姿から「馬踏飛燕」の別名がある。打虎亭漢墓(中国語版)。河南省密県にある後漢後期の漢弘農郡の太守張徳の墓。画像は色鮮やかに残る祝宴の壁画で、料理や遊興などの風俗に関しても貴重な資料となっている。倭国大乱。この時代には大規模な環濠集落が形成され軍事的な緊張があったと考えられる。紀元前3世紀から紀元後3世紀まで継続した吉野ヶ里遺跡は環濠集落の遺跡の代表である。オケオ遺跡。ベトナム南部メコンデルタに位置する遺跡で、中国の史書にある「扶南」の港市と推定されている。画像はホーチミン市歴史博物館にあるオケオ出土の宝飾品で、他にもローマ皇帝マルクス・アウレリウス帝の金貨も出土している。「トラヤヌスの記念柱」。五賢帝の2人目であるトラヤヌス帝の末年までにローマ帝国の領土は最大に拡がった。画像の記念柱はローマに建立されたものでドナウ川北岸のダキア人との戦いが詳細にレリーフに刻まれている。パンテオン。ローマのマルス広場に建てられた神殿で「パンテオン」とは「全ての神」を祀ることに由来する。現在の建物はハドリアヌス帝による再建されたもので、ローマ帝国没落後はキリスト教会に転用されたため保存状態が良い。画像はパンテオンの頂上の開口部でオクルス(眼窓)と呼ばれている部位である。ケルススの図書館。ローマ皇帝ハドリアヌスの時代に完成したエフェソスに残るこの図書館は、アレクサンドリア図書館、ペルガモンの図書館と並ぶかつての世界三大図書館の一つであった。ハドリアヌスの長城。五賢帝の3人目であるハドリアヌス帝の時代にローマ帝国の範囲は属州ブリタニアから北方のカレドニア(スコットランド)との国境にまで及んだ。画像は長城に併設されたマイル・キャッスル(英語版)で、1ローマ・マイル(約1480m)ごとに置かれていた砦である。五賢帝時代の終わり。五賢帝時代はローマ帝国の最盛期であり安定した統治が行われていたが、五賢帝最後のマルクス・アウレリウス帝の時代には帝国周辺の諸民族の動きが慌ただしくなってきた。画像は哲学者としても知られるマルクス・アウレリウス帝の騎馬像(カピトリーノ美術館蔵)。繁栄する属州アエギュプトゥス。ローマ帝国の穀倉エジプトでは豊かな生活が営まれていた。ファイユームで発掘されたいわゆる「ミイラ肖像画」は多くの絵画作品が失われたこの時代の風俗の貴重な資料となっている。画像はルーヴル美術館蔵の女性のミイラ肖像画。レプティス・マグナ。193年にセプティミウス・セウェルスがローマ皇帝に選出されるとその故郷であるレプティス・マグナは3世紀の危機が到来するまで北アフリカ随一の大都市として繁栄した。画像はこの遺跡のローマ式円形劇場。「パンとサーカス」。2世紀初頭のローマの作家ユウェナリスの著作にこの言葉は怠惰と安逸に流れるローマ市民の生活を風刺するために用いられた。「サーカス(キルケンセス)」とは戦車競技や剣闘士の観戦の娯楽を指している。画像は200年ころリビアのズリテン・モザイク(英語版)に描かれた剣闘士。ミトラ教の隆盛。ローマ帝国には多くの宗教が混在していたが、イラン起源のミトラ教は軍人などから広範囲に広がった。画像はサンタ・マリア・カプア・ヴェーテレのミトラ教神殿(イタリア語版)壁画で牡牛を屠る姿のミトラ神が描かれている。
2世紀(にせいき)とは、西暦101年から西暦200年までの100年間を指す世紀。
できごと
2世紀初頭
日本で石器が消滅し、鉄器が普及する(弥生時代後期)。
ペルーでナスカ文化がおこる。
メキシコでティオティワカンの都市設計が行われる。
月のピラミッド、太陽のピラミッド、死者の通りが建設される。
スペインのガリシア地方にある古代ローマ式灯台「ヘラクレスの塔」が建設される(21世紀の現在も使用中の最古の灯台)。
100年代詳細は「100年代」を参照
101年 - 安息王満屈復(パルティア王パコルス2世)が後漢に使者を派遣する。
103年 - 属州パンノニアが上パンノニアと下パンノニアに分割される。
105年 - 後漢の蔡倫が製紙法を改良する。
106年
ローマ皇帝トラヤヌスがダキア戦争に勝利し属州ダキアを設置。
ナバテア王ラベル2世死去に伴い、トラヤヌス帝がナバテア王国を征服して属州アラビアを設置。
106年頃 - ガウタミープトラ・シャータカルニ王が即位し、サータヴァーハナ朝が最盛期を迎える。
107年
西域都護が廃止される。
倭国王帥升らが後漢の安帝に生口160人を献上する。
(後漢・永初元年、丁未;『後漢書』安帝紀、同東夷伝)。
この頃、倭は朝鮮の弁韓・辰韓の鉄を盛んに輸入する(『三国志』魏書韓伝)。
110年代詳細は「110年代」を参照
112年 - 118年 - セゴビアの水道橋 (en)が建設される。
113年 - トラヤヌスのフォルムにトラヤヌスの記念柱が建設される。
114年 - ローマ皇帝トラヤヌスのパルティア遠征( - 117年)。属州アルメニアを獲得。
114年頃 - ローマ帝国の属州アシア首府エフェソスにケルススの図書館(英語版)が建てられる( - 117年頃)。
115年 - ローマ皇帝トラヤヌスが属州メソポタミアを獲得。
116年 - ローマ皇帝トラヤヌスが属州アッシリアを獲得。
117年 - この頃までにローマ帝国の領土が最大となる。
属州キリキアのセレヌスにてローマ皇帝トラヤヌスが死去。
養子のハドリアヌス帝(トラヤヌス帝の従兄弟の子)が即位。
先帝の獲得した東方属州(アルメニア・メソポタミア・アッシリア)を放棄。
118年
ハドリアヌス帝側近による四執政官事件。
ティヴォリのヴィッラ・アドリアーナが着工される。
120年代詳細は「120年代」を参照
121年 - 後漢でケ太后の死去に伴い、安帝がケ?らケ一族を粛清し、蔡倫も連座する。
121年頃 - ローマ皇帝ハドリアヌスの帝国巡幸が行われる( - 125年)。
122年 - ハドリアヌスの長城が着工される。
124年 - 再建されたパンテオンが完成する。
125年
後漢で少帝懿の死去に伴い、孫程らが閻顕ら閻一族を粛清し、順帝を擁立する。
ローマ皇帝ハドリアヌスが属州トラキアにハドリアノポリスを建設。
126年 - 西域長史班勇が北匈奴の呼衍王を破る。
128年 - ローマ皇帝ハドリアヌスの帝国巡幸が行われる( - 134年)。
130年代詳細は「130年代」を参照
130年 - ローマ皇帝ハドリアヌスが寵愛していた青年アンティノウスが死去。
ハドリアヌスは彼を記念してエジプトナイル川中流域にアンティノポリス(英語版)を建設させる。
130年頃 - インドのクシャーナ朝でカニシカ王が即位する( - 170年頃)。
カニシカ王の統治期間には諸説あるが、近年発見された「ラバータク碑文」によりその系譜は確定された。
カニシカ王即位とほぼ同時期に作成されたのが「カニシカ王の舎利容器(ペシャーワル博物館蔵)」。
131年頃
インドのマトゥラーで「カニシカ王在位4年」の銘がある「キンベルの菩薩坐像(英語版)(キンベル美術館蔵)」が作られる。
ローマ皇帝ハドリアヌスがサルウィウス・ユリアヌスに命じ法典『永久告示録』を編纂させる。
132年
アテネにハドリアヌスの図書館が建てられる。
後漢の張衡が世界最古の地震計である地動儀を発明する。
135年
ローマ帝国がユダヤ人の蜂起を鎮圧(バル・コクバの乱)。