この項目では、お笑いコンビについて説明しています。拳銃の技術については「二丁拳銃」をご覧ください。
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メンバー小堀裕之
川谷修士
別名にちょけん
結成年1993年
事務所吉本興業
活動時期1994年 -
出身NSC大阪校12期
出会いNSC
現在の活動状況テレビ・ライブなど
芸種漫才
コント
ネタ作成者小堀裕之
(修士や作家の場合もあり)
過去の代表番組2丁拳銃の拳(Gu)
2丁拳銃の箱入り娘
吉本超合金
まだまだこどもの時間
フジケン
ろっくとぅざふゅーちゃー
ロッケンロール
同期COWCOW
小籔千豊
浜本広晃(テンダラー)など
公式サイト公式プロフィール
2丁拳銃(にちょうけんじゅう)は、吉本興業(東京本社)に所属する日本のお笑いコンビ。1993年デビュー。愛称は「にちょけん」[1]。NSC大阪校12期出身[2]。M-1グランプリ2003、THE MANZAI 2014ファイナリスト。 1993年6月結成。コンビ名は2人ともファンであるTHE BLUE HEARTS『44口径』の歌詞が由来。後に『44口径』は舞台出演時の出囃子となる[26]。 デビューして間もなくは収入が乏しく、修士はたむらけんじや陣内智則といった先輩からの奢り、小堀は交際相手(現在の妻)やその他の女性からの奢りや借金でそれぞれ食い繋ぐ日々が続いた[27]。しかし1997年から98年にかけ数々の賞を受賞[2]、自活できるようになる[27]。 baseよしもとではアイドル的な人気を博し[28][29]、歌手・声優としても活動[2]。 baseよしもとの卒業生第1号として、2000年に東京進出。当時の修士は大阪に留まりたがっていたが、小堀の強い希望により東京へと活動拠点を移した[27]。しかしそれに伴って大阪で出演していた番組は全て降板となり[27]、東京のテレビでは「ひな壇」において自分たちを上手く印象付けられずメディア露出も減少、メンバーも「どん底」と振り返るような苦悶の時期を過ごす[30]。 2001年にルミネtheよしもとが開設され劇場の仕事が入るようになり[27]、またM-1グランプリが創設されたため漫才での成功を目指した[30]。だがM-1では2001年から2大会連続で準決勝進出に終わり、自分たちは漫才のスキルに見合わない人気を大阪で得ていたのではないかと内省し[28]、ネタのクオリティ向上を志す[30]。その一環として、100分間ノンストップで漫才を演じ続ける単独ライブ「百式(「百分式漫才」の略)」を2002年から開催[31]。 結成10年目及び当時のラストイヤーとなる2003年大会にて、初の決勝進出。8組目まで暫定3位だったが敗者復活枠のアンタッチャブルに抜かれ、最終成績は4位となる[32][33]。 M-1後も『笑いの金メダル』『爆笑レッドカーペット』といったネタ番組や、各地の劇場でネタを演じてきた[29]。 賞レース用の短い漫才に集中するため、「百式」を3年休止して臨んだTHE MANZAIでは2012年から2014年まで認定漫才師となる[34][35][36]。2014年に決勝進出するも、Aグループ最下位に終わった[37]。 2015年以降はコントにも注力するようになり、一時は参加をやめていたキングオブコントにも2018年まで出場した[38][31]。 漫才と並行して、大阪時代に引き続き音楽活動を継続。「コムロきどり」では他の芸人に楽曲を提供し、アルバムのプロデュースを行った[39]。また小堀は2009年当時マッシュルームカットにしていたことから、斉藤和義の『ずっと好きだった』(2010年4月リリース)、『やさしくなりたい』(2011年11月リリース)のミュージックビデオにいずれもジョージ・ハリスン役で出演している[40][41]。 TVチャンピオン「芸能人弾き語り王選手権」[42]やフジテレビ「歌うま王座」に出場するなど[43]、音楽スキルを活かしてバラエティ番組に出演することもある。 2010年以降は、2丁拳銃名義での音楽活動は縮小。 音楽などの活動にかまけてネタのスキルアップを疎かにする「クズ芸人」であり、複数の愛人宅を渡り歩き家に帰らず楽器に浪費して妻子に生活費を十分に渡さない「ヘドロパパ」でもある小堀を、修士の妻である野々村や他の芸能人が説教するといった筋書きのリアリティショーへ出演する機会がある[44][45][46]。 ネタ作りは小堀が主導だが、修士や作家が作ることもある[47]。 代表的なネタとして、修士が出したクイズに小堀がちょうどいい解答を出すというフォーマットの「丁度ええ漫才」がある[31]。2008年11月頃に構想完成、2009年1月1日の『爆笑レッドカーペット』で初披露[48]。「あるあるネタ」のバリエーションではあるが、若干マニアックなものを入れてみるなどで変化をつけている[47]。 年結果エントリーNo.決勝戦キャッチコピー備考 年結果備考 年結果
メンバー
川谷 修士(かわたに しゅうじ、1974年5月17日 - )(50歳)
ツッコミ担当。兵庫県神戸市出身[2]。身長169 cm、体重54 kg[2]。血液型A型[2]。舞台俳優・映画俳優としても活動し、2017年には映画「火花」に若手漫才師役で出演[1][3][4]。アメリカン・コミックスに造詣が深く、吉本興業所属の他のアメコミファン芸人らと劇団「アメコミリーグ」を結成。東京コミコンの司会を務めた[5]。家族構成は妻と2人の子[6]で、妻は放送作家の野々村友紀子(元高僧・野々村)[7]。2002年6月30日に結婚した[8]。相方・小堀とは違い、家族仲は良好。写真で一言のBが得意。
小堀 裕之(こほり ひろゆき、1974年1月9日 - )(50歳)
ボケ・ネタ作り担当。奈良県奈良市出身[2]。身長168 cm、体重53 kg[2]。血液型B型[2]。家族構成は妻と4人の子[9]。コンビ以外では「ヘドロットン」名義でマルチタレントとして活動[10]。落語家・新作落語の落語台本作家でも活動。落語を演じる際の高座名は「はぐれ亭ヘドロ」[11]。台本作家としては「三分の二」で全国落語台本コンクール(六人の会主催)入賞[12]、2009年に「ハンカチ」で、2018年に「運動会」で上方落語台本大賞(上方落語協会主催)・優秀賞をそれぞれ受賞[13][14]。2021年には落語協会(東京)新作落語台本募集で「ライオン」で佳作を受賞[15]。2014年、藤田憲右(トータルテンボス)やくっきー!(野性爆弾)らと共に結成したロックバンド・THE SESELAGEESでは「ヘドヴィシャス」名義でベースを担当している[16]。1990年代後半からDJとしても活動、「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」および「COUNTDOWN JAPAN」には初期から複数回参加している[17]。舞台俳優[18][19]、漫画原作者としても活動[20]。所謂、クズエピソード(特に家庭)に事欠かない芸人としても知られる[21]。だが若手時代は後年のクズキャラの影も形もない、女性人気の高い好感度芸人であった。子煩悩を自称しているものの、「お腹を空かせている子供の前で1人だけうなぎ弁当を食べる」「子供の誕生日に欲しがってもいないウクレレを無理やりプレゼントする」など、子煩悩とは到底思えないようなエピソードが多数ある。風貌がジョージ・ハリスンとポール・マッカートニーに似ていることから[22]、デビュー当時のビートルズに扮してネタを披露する機会がある。また、ビートルズ関連のイベントにピンで参加することもある[23]。M-1グランプリ2022へ次男と共に「ヘドロ一家」として出場し、3回戦まで進出[24]。次男は芸人を志しており、その次男からM-1出場に誘われた。「もう一度パパをあの(M-1の)ステージに立たせたい」という思いもあったらしく、少し泣きそうになったとのこと[25]。
来歴
結成
東京進出
ネタ
音楽活動
リアリティショー
芸風
賞レース成績・受賞歴など
M-1グランプリ
2001年準決勝敗退1199[49]
2002年準決勝敗退1753
2003年決勝4位[50]484[注 1]ラストチャンスラストイヤー
日清食品 THE MANZAI
2011年2回戦敗退
2012年本戦サーキット敗退
2013年本戦サーキット敗退
2014年決勝大会敗退本戦サーキット10位
THE SECOND ?漫才トーナメント?
2023年ノックアウトステージ16→8敗退[51]
2024年選考会敗退
その他賞レース成績
2008年 キングオブコント 準決勝敗退[52]
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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