1998_FIFAワールドカップ
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1998 FIFAワールドカップ
1998 FIFA World Cup
Coupe du monde de football de 1998
大会概要
開催国
フランス
日程1998年6月10日 - 7月12日
チーム数32 (5連盟)
開催地数10 (10都市)
大会結果
優勝 フランス (1回目)
準優勝 ブラジル
3位 クロアチア
4位 オランダ
大会統計
試合数64試合
ゴール数171点
(1試合平均 2.67点)
総入場者数2,785,100人
(1試合平均 43,517人)
得点王 ダヴォール・シューケル(6点)
最優秀選手 ロナウド
 < 19942002

1998 FIFAワールドカップ(: 1998 FIFA World Cup)は、1998年6月10日から7月12日にかけてフランスで開催された16回目のFIFAワールドカップである。決勝戦は地元のフランス代表と前回優勝国のブラジル代表の顔合わせとなったが、フランス代表がジネディーヌ・ジダンの2得点などでブラジル代表を3-0と下し初優勝を果たした[1]。大会最優秀選手はブラジル代表のロナウドが、得点王はクロアチア代表ダヴォール・シューケルが受賞した[1]。FIFAワールドカップとしては20世紀最後の大会[2][3]
開催国選定の経緯「FIFAワールドカップ開催国」も参照

1998年大会には当初フランス、モロッコスイスイングランド、ドイツの5ヶ国が招致の意向を示したが、ドイツは早々に撤退(後に2006年大会を招致)、イングランドもUEFA EURO '96の招致に成功したこともあって撤退、更にスイスは国際サッカー連盟 (FIFA) の求める招致基準を満たすことが出来ず、最終的にフランスとモロッコによる一騎打ちとなった。1992年7月1日にチューリッヒで行われたFIFA総会で、12対7の得票で、フランスが1938年大会以来2回目となるホスト国に選出された[4][5][6]
予選詳細は「1998 FIFAワールドカップ・予選」を参照

この大会より、本大会出場チームが24から32に拡大された。
出場国

出場選手は1998 FIFAワールドカップ参加チームを参照。

大陸連盟出場
枠数予選組
予選順位出場国・地域出場回数備考
UEFA1+14開催国 フランス3大会ぶり10回目
欧州予選1組1位 デンマーク3大会ぶり2回目
2位 クロアチア初出場☆
2組1位 イングランド2大会ぶり10回目
2位 イタリア10大会連続14回目☆
3組1位 ノルウェー2大会連続3回目
4組1位 オーストリア2大会ぶり7回目
2位 スコットランド2大会ぶり8回目
5組1位 ブルガリア2大会連続7回目
6組1位 スペイン6大会連続10回目
2位 ユーゴスラビア2大会ぶり9回目☆
7組1位 オランダ3大会連続7回目
2位 ベルギー5大会連続10回目☆
8組1位 ルーマニア3大会連続7回目
9組1位 ドイツ12大会連続14回目[注釈 1]
CONMEBOL1+4前回優勝国 ブラジル16大会連続16回目
南米予選1位 アルゼンチン7大会連続12回目
2位 パラグアイ3大会ぶり5回目
3位 コロンビア3大会連続4回目
4位 チリ4大会ぶり7回目
CONCACAF3最終予選1位 メキシコ2大会連続11回目
2位 アメリカ合衆国3大会連続6回目
3位 ジャマイカ初出場
CAF5最終予選1組1位 ナイジェリア2大会連続2回目
2組1位 チュニジア5大会ぶり2回目
3組1位 南アフリカ共和国初出場
4組1位 カメルーン3大会連続4回目
5組1位 モロッコ2大会連続4回目
AFC3.5最終予選A組1位 サウジアラビア2大会連続2回目
2位 イラン5大会ぶり2回目○
B組1位 韓国4大会連続5回目
2位 日本初出場
OFC0.5地区予選出場国無し


備考欄の「☆」は欧州予選プレーオフ、「○」は大陸間プレーオフに勝利の上、出場が決定したチーム。

本大会
概要.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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出典検索?: "1998 FIFAワールドカップ" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2014年11月)
アルゼンチン×日本戦(トゥールーズ)6月14日

参加国数が24から32に増えて初の大会。本大会出場選手本登録は22人で、1998年6月2日夜が締め切りであった。グループリーグがそれまでの4チームのA-Fの6グループからA-Hの8グループに増加し、各グループ上位2チーム、合計16チームがノックアウト方式の決勝トーナメントに進む[7]。トーナメント1回戦は、各グループ1位は2位のチームと、グループの対戦はAグループはBグループと、他はCとD、EとF、GとHとなる。大会は、前回大会優勝のブラジルスコットランド戦でブラジルの2対1の勝利で幕を開けた。

いわゆる「パリの悲劇」で、アメリカ大会に出場できなかったフランスが、1978年大会アルゼンチン以来20年ぶり史上7カ国目の初優勝を遂げた。エリック・カントナを代表から外し、ジネディーヌ・ジダンを中心に据えたエメ・ジャケ監督のチーム作りが成功した。またユニフォームは代表初戴冠となるUEFA欧州選手権1984時代を模したものにして縁起を担いだ。グループリーグではローラン・ブランマルセル・デサイーディディエ・デシャンといったベテランがチームをまとめ、ジダンを中心に、若手の成長株のティエリ・アンリダビド・トレゼゲといったストライカーが得点を重ねる、理想的なサッカーを展開した。決勝トーナメントに入り、その世代交代の過渡期だったストライカーが力不足を露呈して得点力不足に苦しんだが、1回戦ではDFブランがゴールデンゴールを挙げ、準決勝ではそれまで代表戦でゴールのなかったDFテュラムが同点、そして逆転ゴールを挙げる活躍でそれをカバー。決勝戦においては下馬評ではブラジルが有利と言われていた。しかし決勝当日の朝、泡を吹いて卒倒しているブラジルのエースロナウドが発見された。ブラジルはチーム全体がパニック状態に陥ることになる。発作が治まったロナウドは結局先発出場するのだが、怪物の抜け殻であり、エースを失ったブラジルは砂上の楼閣さながらだった、結果はフランスが3対0とフランスのサッカーを思う存分見せつけた試合と言える(決勝戦でもMFのジダンが2ゴール、同じくMFのエマニュエル・プティが1ゴールと、ストライカー以外のプレーヤーが得点を挙げている)。なお、ホスト国が優勝するのは1978年大会のアルゼンチン20年ぶり[3]

大会自体は、下馬評通りに優勝候補と目されていたブラジル、フランス、オランダ等が順当に勝ち進んだ。ガブリエル・バティストゥータディエゴ・シメオネを中心にしたアルゼンチンはベスト8まで進んだが、オランダ戦ではアリエル・オルテガの退場もあり敗退した。


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